あらすじ
「力の絶対否定で動く」とは?
蹴らずに動く「無足の法」とは?
つかんできた相手の腕をねじ曲げる極意とは?
武術の極意は途方もなくつかみづらいもの。
さて、そこを率直に訊いてみたら?……
剣術から柔術、絶技の感覚から稽古法まで、達人がすべて答えます!
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Posted by ブクログ
構えを完璧に崩さずに、しかも柔らかく動く、と言う矛盾した教えが順体法。
立ち居振る舞いに際しても、極力静かに「無音」であることを心がけたいもの。
祖父の言葉で、構を正しく知ると言うことに全力を尽くすということが修行の大半である。
型から入り、日常の歩行法が術化された時、平常の歩行の形を取りながら、一般人の動きとは異なった姿勢や歩行が可能となるだろう。
型の存在する意義は、無駄な傾向しないで済むと言うことに尽きる。
直伝と言うことの大事があります。見よう見まねで神の術技を得ることなど到底できないと知るべきです。画像の盗むなどと言う稽古法は存在しない。
まず日常の規則、イズマイ礼儀作法をきちんと守れるような必要を学び直すということです。
振武間の理論、すなわち型は、すべて動きや気配を消すためにある。
型を理解すると言う事は、力を絶対否定された世界には消える動きがあると言うこと、あるいは型そのものがその世界では消えた存在であると言うことを理解すること。
正しくゆっくり抜けるからこそ早くも抜けるものだと言っていた祖父。
地歌舞の竹原はんのようにごくごくゆっくり動けば良い。
腕の上下、歩行、立ち居振る舞いの全てにおいて、筋肉の連関性、運動法を変えなければならない。
脳から指令としての電気信号が運動神経を介して筋肉に伝えられ、初めてその筋肉が動き、一定の運動が起こるが、その神経回路を変更して、初めて「術」が生まれる
もっと柔らかく、さらに速く、さらに速くもっと柔らかく…と繰り返すうちに、私自身過去の自分を乗り越え続けて今日に至った
稽古では礼式においても、正座からの立ち上がり動作において、煙が立ち上がるごとく立たねばならぬと戒められております。
身体の理論的、合理合法的なる運用を目指すための手立てが型と言う理論なのです。
まず体力、筋力を否定した上で、理論そのものも学ぶのが武術です。
どのような状況でも、相手の腰を直接崩すことができて、初めて開始技としての効果を評価することができる。