【感想・ネタバレ】「鬼畜」の家―わが子を殺す親たち―(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

使用済みのオムツが悪臭を放ち、床には虫が湧く。暗く寒い部屋に監禁され食事は与えられず、それでもなお親の愛を信じていた5歳の男児は、一人息絶え、ミイラ化した。極めて身勝手な理由でわが子を手にかける親たち。彼らは一様に口を揃える。「愛していたけど、殺した」。ただし「私なりに」。親の生育歴を遡ることで見えてきた真実とは。家庭という密室で殺される子供たちを追う衝撃のルポ。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

子どもを殺した親たちの事件のルポタージュ。
3つの事件のことが書かれている。どれも大きく報道されていたので、私も覚えている。
と思ったけど、二つ目の事件は記憶の中ではかなり曖昧だった。子殺しの事件は他にもありすぎて覚えきれてない。

Case1:厚木市幼児餓死白骨化事件
3つの事件の中でも、この事件は私の中で一番印象が強い。というのも、私も厚木市に住んでいたことがあるからだ。現場近くの様子や厚木市内の様子などの描写は、私の知っているものと重なってしまった。

そして、それとは別でもう一つこの事件を印象付けたのは『逮捕されたのは父親』という点だった。それまでは子供へのネグレクトでの死亡は母親逮捕のニュースしか見たことがなかった。父親が逮捕される場合は暴力による虐待が多く、ネグレクトで父親が逮捕されたことも珍しかったように思う。


事件の大まかな概要は『母親が育児放棄をして家を出る。その後、父親が5歳の理玖(りく)くんをネグレクトして餓死させた』というもの。
私は事件が最初に報道された時、『母親が死んで父親一人で育児をした結果なのだろうか』と思っていたけれど、蓋を開けるとそうではなかったことに驚いた。でも、詳しく追っていたわけではないので、この本でさらに詳しく両親の話が掘り下げられている。

父親の幸裕(ゆきひろ)の家庭環境は母親が統合失調症。父親が放任主義で、病気の母親を幸裕が支えつつ、弟、妹の面倒も見ていた。母親の状態はかなり酷く、火に執着して蝋燭をあちこちに並べるようになる。
……幸裕の家庭環境は劣悪で、『記憶できない』状態になっていたともあった。虐待環境にいる子どもたちにはよくある「忘れることで自分を保つ状態」になっていて、裁判でも多くのことを「忘れた」と答えているとあった。
対して理玖君の母親である愛美佳(あみか)(仮)の家庭環境は老舗旅館経営一族の三姉妹の二女。これだけみると、安定した家庭環境に見えるけれど、内実は祖父、父親の女癖が酷く、それに対抗するように母親は三姉妹に勉強を強いて、愛美佳はそれについていけなかった落ちこぼれだった。
長女が上手く順応してしまった分、二女の負担は増えた。そして、家から逃げるように街をうろつくようになり、幸裕と出会い理玖君を産む。

理玖君は家の外に出て警察に保護され、児童相談所に繋がっている。そこで発達の遅れが記載されている。

『理玖君は三歳になっても「会話をすることができない」で、「職員にかけられた言葉をおうむ返しに答えるだけ」、言葉も「日本語かどうかもわからないような奇声を上げ」ることしかできなかった。さらに、「耳の中は垢」だらけで、「爪は伸びて」いて、食事を与えると「左手で手づかみで食べ」ていたらしい。理玖君は左利きだった。』42p

この状態でも支援の手が入らなかった。…児相側の意見みたいなのも本には書いてあった。当時はこの案件は虐待とはされなかったと。時代の隙間と言うか、そういうものの間に理玖君はストンと落ちてしまっている感じもする。
理玖くんの死が明らかになったのは死んでから7年後の2014年。その間、子供一人学校に通ってこないことを疑問視する大人がいなかった。でも、同時にそれは子育て夫婦を気にかけていた大人がいなかったということ。

そして、事件とは別で、私は男たちの言葉にうんざりしながら読んでしまった。
『――では、なんで理玖君は亡くなったのだと?
「そんなの俺が知りたいっすよ。俺はちゃんとかわいがって、やることやってましたから。誰より一番理玖の世話してましたから!」』72p
父親の幸裕の言葉がこれだけど、愛情だけでは子供は育たないというのがここからも分かる。必要なのは知識で、『かわいがる』『やることやる』という個人的基準ではない。でもこれ、悲惨なのは男だから子育てをする必要がないとして社会も男に子育て知識を与えようとはしてない現実もあるんだよな。2000年代ならまだ男は子育てしない方が多かったと思う。それが、いきなり押しつけられて頑張ったのに『なんで俺だけのせいなんだ』という不貞腐れになる。そして、怖いことに社会も同じということが、愛美佳の働いていた風俗店の元店長の
『でも、最初に捨てたのはあの女の方だろ。男が働きながら一人で育てるなんて、できるわけねぇじゃん。』100p
この言葉にも表れているなぁと思う。この事件のニュースのコメントにもこういうのがごろごろ沸いてたと思う。気持ち悪すぎて、私は見ないようにするのが大変だった。

同じ言葉をそっくりそのまま男たちに返したい。

Case2:下田市嬰児連続殺害事件
読みながら、ファミレスで働いていた女性が赤ん坊を隠していた事件を脳内から引っ張り出した。たぶん、この事件も私は見ていたと思う。類似事件が多すぎて、記憶に残っている部分が小さいだけ。
この本で明らかになっている部分は確かに私の知らない情報ではあるのだけど、類似事件でよく見聞きする範囲内のものが多いなと思ってしまった。

事件の概要はいたって簡単で、『母親や親族に搾取されている女性が、断り切れずに身体を男性たちに明け渡し、妊娠。中絶費用を貯めることも出来ずに出産後にその遺体を隠した』というもの。

こんな事を言うのは吐き気がするけど、本当にありふれた事件で私もこれらの事件は覚えられない。

『育児は両親の責任であって、どちらかだけがすべてを負うべきものではない。』75p
となってるけど、育児だけではなくて妊娠出産も同じだから。男女がいないと子供は出来ないのよ。なんで妊娠出産だけ女性側の問題をことさらにあげつらうのか。なぜ『この女性から生まれた子供は自分の子どもではないのかもしれない』と思う相手と性行為をするのか。そういう疑問を持ってほしかったなと思ってしまった。


Case3:足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件
これも覚えてたつもりだったけど、遺体はでていなかったと書いてあった。細部の情報までは覚えてなかった。

事件の概要は『3歳次男をウサギ用ゲージに入れて監禁して殺した。二女は虐待されていたのを保護された。しかし、次男の死体は見つかっていない』というもの。

両親の生い立ちが5人兄弟の長子で親の気まぐれに振り回される環境だったという事が書いてあった。先を考えることができず、行き当たりばったりの傾向があることも書かれていて、それらが合わさって次男は死を迎えることになった。

『取材をここまで進めたうえでこれらを見ると、二人は二人なりに家族を愛していたと認めざるをえなくなった。その方法も感覚も根本からまちがってはいたが、夫婦なりに精いっぱい、子供たちの笑い声が絶えない温かな家庭を築き上げようとしていたのだ。』301p
これは合っているようで間違っている。人は『機嫌のいい時があれば、悪い時もある』そして、虐待家庭はこの振り幅が大きいというだけなのだと思う。
機嫌のいい時に子供をかわいがり、機嫌が悪ければ暴力暴言の限りを尽くす。それだけの話で、『機嫌のいい時の子どもたちと親の笑顔』を愛というのも違うと思う。それを『愛』と言ってしまうのは、殺された子供たちがあまりにも救われない。そして、殺されずに生き残ってしまった子供たちにとっても救われない。

機嫌のよさを愛と呼ばないでほしい。

ただし、親たちもまた虐待された子供であり、生き延びてしまった子供であることには違いがない。親たちが殺した子供を愛せなかったように、親たちもまた自分の親には愛されていなかった。それが虐待の連鎖を産むというだけの話。

事件をただの『消費』として使ってはいけないと書いてあるのだから、相談窓口、支援機関etcの一覧を最後に載せるくらいはしてほしい。というか、この先の未来ではこういう本にはそう言う一覧が載っている本がたくさん出てると良いと思う。

ごちそうさまでした。

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2025年04月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

虐待という言葉が広く認知されるようになったきっかけとも言える
「厚木市幼児餓死白骨化事件」
「下田市嬰児連続殺害事件」「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」
の3つの事件を掘り下げたドキュメンタリー。

こどもに罪はなく亡くなるまでどんな気持ちだったのだろうと思うと胸が痛かったが、結果として虐待をしてしまった親たちもちゃんと育てられた経験がない被害者だったことも悲しかった。

こういう事件の被害に合うこどもが1人でもいなくなる世界になりますように。

0
2024年11月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

幼児餓死白骨化事件/嬰児連続殺人事件/ウサギ用ケージ監禁虐待事件。
これらの凄惨な事件はどうして起こってしまったのか。
筆者の取材により明らかになる、加害者である親自体の問題。

抑圧された環境で育った結果、思考を止めてやり過ごすことを覚え、誰かに相談するという発想を持てなかったりする。
さらに問題を認識することもできなかったり、出来ても今までのように時間が経つに任せ、やがて問題を忘れてしまう。
子どもの育て方というか、人間に必要なものが分かっていないから、過酷な環境に子どもを置いていても本人たちはきちんと育児をしているという認識になる。
ケージ監禁虐待事件は上の子たちはきょうだいの虐待を見て育っている。
事件は他の場所から発覚しているが、学校で喋ったりはしなかったのだろうか。
上の子たちにとっては可愛がってくれた親であり、幸せな家庭だったのかもしれない。
だがそれが歪なものだと理解し、虐待の連鎖を断ち切ってくれるよう願う。

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2022年03月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

記憶に新しい三つの凄惨な虐待死亡事件。それら一件一件を丁寧に取材した石井光太氏のノンフィクション。

「文庫版あとがき」に記載されているが、どの事件の背景にも共通する真実があった。それは、「虐待親たちが生まれ育った環境の劣悪さ(338頁)」と「ゆがんだ親子関係(338頁)」。つまり、「犯人を育てた親が大きな問題を抱え、子供たちを虐待、もしくはそれに近い環境に置いていた。犯人たちは生まれつきのモンスターだったわけではなく、彼らの親こそがモンスターだったのだ。そういう意味では、犯人たちは幼少期からモンスターである親の言動に翻弄され、悩み苦しみ、人格から常識までをねじ曲げられたまま成人したと言えるだろう。愛情が何なのか、家族が何なのか、命の重みが何なのかを考える機会さえ与えられてこなかった。だからこそ、彼らが親となった時、「愛している」と言いながら、わが子を虐待し、命を奪ってしまうことになる(339頁)」。
だからこそ、石井氏は虐待問題への対策の困難さを訴える。それはつまり、「親が育児をする前から家庭の支援をはじめなければならない(340頁)」ということだ。「まっとうな子育てができない親がいることを認めた上で、出産直後、いや出産の前からそうした親の生活を支え、適切な育児が何かを教え、困難にぶつかればすぐに専門家が手を差し伸べられるような環境づくり(340頁)」がないと「虐待の萌芽を摘みとることは難しい(340頁)」と語る。だが、現実問題として、その実現は難しい。それでも、こうして本書として問題提起することで、我々一人一人が虐待事件の犯人をただ「鬼畜」という一言で終わらせるのではなく、その正体を正しい目で見据える必要性を訴えている。
本書は確かに、面白半分で読み進められるような内容ではない。だが、マスコミに報道される「鬼畜」虐待親という一辺倒な見方にメスを入れ、虐待事件の闇に眠る深層に迫ったものだった。読み終わった後に受ける衝撃を、我々は忘れてはならない。

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2019年08月21日

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