あらすじ
三河吉田藩の目付役が書き残した詳細な記録から「参勤交代のリアル」を再現! 天保12年(1841)、病気の藩主に変わって江戸から国元の三河吉田(豊橋)への参勤交代を命じられた若殿・松平信宝(のぶとみ)。若殿にとっては初めてのお国入りである。この参勤交代の準備を仰せつかったのが目付役の大嶋左源太。しかし、決まらない日程、馬に乗れない老家臣、ダブルブッキング、初のお国入りの理想と財政難という現実……次々と問題が持ち上がる。左源太は、若殿を無事に出発させることができるのか? ○磯田道史氏推薦!「三河吉田藩の若殿様が参勤交代をした時の詳細な記録が発見された。この古文書をもとに参勤交代の驚くべき実情が明らかにされる」
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Posted by ブクログ
・久住祐一郎「三河吉田藩・お国入り道中記」(インターナショナル新書)を読んだ。帯には「古文書から読み解く参勤交代のリアル」とある。「リアル」とは何か、これを知りたくて読んだ。とにかく、私の参勤交代の知識は教科書程度でしかない。本書「はじめに」でも「参勤交代とは」との節が設けられ、そこに「先頭の奴子が槍を振り回しながら云々」(3頁)との説明が載るが、私のもこの類であらう。大名の資金減らしの為に行ふものだとかと聞いたこともあるが、本書から確かにさうであるとも思へる。何しろ吉田は豊橋である。新幹線こだまでも2時間半ほどで東京に行ける。参勤交代だと6泊7日である。これでも金がかかるのだとよく分かる。これが参勤交代のリアルなのかもしれない。帯の裏には「この古文書をもとに参勤交代の驚くべき実情が明らかにされる」(磯田道史)との言葉も載る。さう、実情である。真実などといふものではない。あくまでリアルに実情を記す、これが本書である。だから、この時の参勤交代で若殿様が何をしてとか、本陣の構造はなどといふこともはほとんど書いてない。そんな参勤交代本であつた。さう言へば「はじめに」にはかうも書いてあつた、「江戸時代に何万回と繰り返された参勤交代のうちのたった一回に焦点を当て」た「きわめてミクロな視点の本である。」(5頁)
・私は三河吉田藩の三河吉田に住む人間なので気になることがある。これは、もしかしたら、江戸でも地方でも同じやうに関心があるのではないかと思ふ。つまり、参勤交代で移動した人間はどうなるのかといふことである。移動するのは300人程度であつたらしい。例へば吉田に行く時、吉田在の人間はどのくらゐか、逆に江戸に行く時、江戸在の人間はどれくらゐか。これは書いてないのだが、しかし「御供役割帳」(60〜61頁)といふのがあつて、ここの「種別」が「詰切」と「道中計」の2つに分かれてゐる。「詰切(吉田へ着いたら次の江戸参府まで滞在すること)」(62頁)は行つたら江戸に帰れないのである。このツメキリに対してドウチュウバカリといふのがある。「道中計(吉田へ着いたらすぐに江戸へ戻ること)」(同前)はこの参勤交代だけの役割で、終はれば江戸に帰らねばならないのでる。この「役割表」を見ると圧倒的に「道中計」が多い。江戸から吉田に行くのは江戸の人間であるから、吉田にゐても仕事はないといふことである。ただ、すぐ帰ると言つても「とんぼ返りではさすがに体力がもたないので、通常は三日間の休暇が与えられた。」(190頁)といふ。用事有りで五〜二〇日間の延長休暇を申請する者が多かった。」(同前)といふ。親類や知人を訪ねたらしい。三河から行く場合はこの逆になるのであらうか。いづれにしろ、参勤交代の問題はここにあるのではなく金の問題なのであらう。とにかく金がかかるのでる。総勢300人のうち、現在で言ふ派遣が何人ゐるのであらうか。それも含めて人件費が高い。これ以外に献上品も多かつた。一々返礼金を渡してゐるとばかにならない。といふわけで、一回の参勤交代にかかる費用は、三河吉田藩で600〜700両(119頁)であつたらしい。こんなことをしてゐれば金もかかるよなと思ふ。いくら年貢が納められても足りない。文久三年の借財は「総額金五万両であ」(213頁)つたといふ。大名といふ者、ああだかうだと何かと物入りであつたらしい。そんなわけで、私は参勤交代の「リアル」を人と金中心に見たのだが、本書にはその他が具体的に出てくる。とにかく準備と金がかかるのが参勤交代であつた。教科書には決して書いてないことである。おもしろい。