【感想・ネタバレ】ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたことのレビュー

あらすじ

ボルネオ島の狩猟採集民「プナン」とのフィールドワークから見えてきたこと。豊かさ、自由、幸せとは何かを根っこから問い直す、刺激に満ちた人類学エッセイ!

「奥野さんは長期間、継続的にプナン人と交流してきた。そこで知り得たプナン人の人生哲学や世界観は奥野さんに多くの刺激と気づきをもたらした。この書を読み、生産、消費、効率至上主義の世界で疲弊した私は驚嘆し、覚醒し、生きることを根本から考えなおす契機を貰った。」
――関野吉晴氏(グレートジャーニー)

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Posted by ブクログ

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タイトルにひかれて読んだ本。狩猟民族プナンの人々の生活や価値観、生き方から生を考える本。プナンの人たちの当たり前は、日本で暮らす私たちにとってどれも非日常で、世界共通の当たり前なんて本当に1つもないんだなと思う。

プナンの人たちは目の前の「今」と、みんなで生きることを大切にしているんだなと読んでいて感じた。それは人間的というより、生物学的なヒトの生き方の色合いが強い気がしてすごく興味深かった。生物学的に自然なのはプナンの生き方なのかも。と思うと、今の私たちの日々の生活は本当はすごく無理があって、みんなで一生懸命無理して成り立たせているものなんじゃないか。だからそこについていけない人がいたり、色んな場面で歪みや辛さが出てくるのかも。

どっちが正しいということはないけど、今の私たちの生活は人間が意図的に作り上げてきた文化や価値観の積み重ねの上に出来ていて、自然界から見たらそれが不自然である可能性は大いにあるよね、と思ったのでした。

ごめんなさいもありがとうも「言わない」んじゃなく、「いらない」のがプナンの人たちの文化。面白かった。

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2021年08月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ボルネオ島のプナンの人と暮らして著者が考えたことが書かれている。興味深かった。

ボルネオ島の森でプナンと一緒に暮らすことは、「大いなる正午」を垣間見る経験だった。
「大いなる正午」という比喩はニーチェの言葉で、「真上からの強烈な光によって物事が隅々まで照らされ影が極端に短くなり、影そのものが消えてしまった状態。」のこと。「影が消える」とは、世界から価値観がすべてなくなってしまった状態である。おおいなる正午とは、真上から強烈な光に照らされて影の部分がない、善悪がない状態である。
世界には固定された絶対的な価値観が存在しないということを、体験をとおして理解したと言っている。

私たちは、一生をかけて何かを実現したり、今日の働きで何かが達成されたりすることをひそかに心に描いて働いている。ところが、プナンは、これこれのことを成し遂げるために生きるとか、将来何かになりたいとか、世の中をよくするためい生きるとか、生きることの中に意味を見出すことはない。
なので「反省しない、感謝を伝えるべき言葉がない、精神病理がない、薬指という言葉と概念がない、水と川の区別がない、方位・方角がない」、、、という、わたしたちにとって「あるべきこと」がプナン社会にはない。とても興味深い。

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2023年08月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

マレーシアのボルネオ島、プナン。そこは贈与論(Mモース)にでてくるような循環型社会の一端を虫眼鏡で拡大したような、個人での所有という概念の無い社会。この社会では、幼いころから親などから「ケチはいけないことだ」と教えられ、モノ・非モノ問わず全てを共有している。人々は常に今ここを生き、将来の心配も、過去の反省も無い。問題がおきても、個人にその責任を追及することはなく、それにより、ストレスや孤独、自殺も無いそうだ。

著者はニーチェの言葉をそこかしこに引用し、プナンの生き方と重ね合わせ、我々の常識に揺さぶりをかけてくる。プナンの人々は生きることの意味を考えたりはしない。一生かけて何かを達成したり、社会へ貢献したり、などを考える我々の直線的な生き方とは対極的なのである。それは、ニーチェの「永遠回帰」を生きるための技法であるかもしれないと、著者は言う。
プナンのビッグマンは超人だろうか?

この本のカバーイラストに、我々の考え方とプナンの考え方の違いが図的に描いてあるのだが、それが面白い。これを見ていると、何か新しいものを思いつきそうな気がしてくる。
自分の「当たり前」の外にあるものに触れることから生きるヒントが見つけられるのではないかとこの本は述べている。

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2022年01月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

個人として反省をしないプナンの人たち。反省というのは、いつからあって、それは個人的なものと集団的なものでいうとどちらが先だったのか。教育の現場では振り返りやリフレクションと言われるが、未来視点での向上を前提としたこのあり方はどうなのだろうか

また、狩猟民族のため獲物が取れなかったときなどに互いに贈与し合うことなどが影響し、贈与の精神が後天的についている。個人所有の概念を捨てていく。現在の物で溢れている物質的に豊かな社会においては贈与が不必要にもなりうるため、意味合いが異なりそう。

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2021年01月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

難しい部分は飛ばし飛ばしで読んだけど、おもしろい本だった〜。

マレーシア、インドネシア、ブルネイの3つの国からなるボルネオ島のプナン人の暮らしが舞台。
(※プナン人→狩猟採集民)

⚫︎現代社会→高次で巨大な外臓システムを構築し、所有を広げてきた。格差社会、所有の奴隷。
⚫︎プナン社会→今を生きる。個人占有の否定。
共有主義。全体的給付体系。所有欲の芽を潰す教育。


現代社会とプナン社会のどちらがいいとは一概には言えないけど、
"私"の範囲を集団にまで広げ共同で生きる、誰も置いていかないプナン社会の豊かさを想像して
少し羨ましい気持ちになった。

そういう社会がある、ということを知れて
わたしの考え方や理想もまた広がった気がする。

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2020年05月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

タイトルの通りの内容なので、「ルポルタージュ」ではないかも。何に分類したらいいのかわからない。エッセイでもないし。とにかくタイトルの通り、人類学者の著者が、プナンというボルネオ島に住む人々に密着して気づいたことを、ニーチェの哲学と織り交ぜて、そもそも人間とは、生きるとは何なのか、現代人の、文明的な生活が本来あるべき人間の姿なのか?と考察しながら書いている。
ちょっとニーチェの引用が難しすぎて読むのに時間がかかってしまったが全体的には面白かった。
プナンは定住することも、家や土地を所有することもなく、森のなかをうろつき、狩猟採集をして暮らす。子どもは学校に行かない。そもそも所有するという概念がなく、あるものはみんなで分かち合う。人よりも高い能力を獲得して優位に立つとか、豊かになりたいという欲求もない。
人間はいつからそのような欲求をもつようになったのか?
プナンの生き方が文明的でないとか、人間らしくないと言えるのか?
トイレで排泄するという習慣もない!
著者が何かを持って彼らのコミュニティーを訪問すれば、当然のようにそれをみんなのものとし、ありがとうもなく、壊してもごめんなさいもない。
とっても興味深いですな。
最後の方で、年に何度か訪問していたのにコロナで数年あいて再訪したとき、スマホとWi-Fiが導入されていたっていうくだりもかなり面白かった。
プナンはそんなものに興味をもたないかと思ったら、マレーシア政府の政策?で無料で配られたスマホとWi-Fiを駆使して、彼らはエロ動画を見ていた笑!文字の読み書きができないので、音声チャットで獲物がどこでとれるかという情報をやりとりしたり。
ニーチェは難しくても、知らない世界を覗き見られるという読書の楽しみを存分に与えてくれる一冊でした。

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2024年03月20日

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