あらすじ
2020年、「教養のパラダイム・チェンジ」が起きる! 大学入試改革がもたらす「知の変動」に、何をどのように学んでいくべきかを具体的かつ実践的に解説! 母校同志社大学で行なわれた「伝説の名講義」を完全再現! <本書のまえがきより>本書が具体的に想定しているのは、以下のカテゴリー(範疇)に属する読者だ。〔1 大学受験を控えている中高生。〕〔2 将来に不安を感じている浪人生。〕〔3 現在、大学(院)の講義やゼミだけでは、十分な教養を身につけることができないと不安を覚えている大学生(院生)。〕〔4 二〇代~三〇代の、大学・大学院を卒業したが、知的基礎体力に不安を覚えていて、自分の教養の「鍛え直し」を志している社会人。〕これらの人たちを指導する立場にある中学高校、大学の教師、企業や官庁の管理職にも、役立つ構成になっている。私は、「真理は具体的」であると考えている。実用性のない「教養のための教養」「知識のための知識」を身につけても、意味がない。同時に、すぐに役に立つような実用的知識は、陳腐化が早いのである。本書で述べていることを要約すると、文科系、理科系を問わずに高校教科書レベルの知識をきちんと体得しておけば、国際基準での教養が十分に身につくということだ。しかし、教科書の記述は単調なので、自分が苦手意識を持っている分野をマスターするのは至難の業だ。それを克服するためには、「この知識を得なくてはならない」という知的意欲を持つことだ。本書を精読していただければ、あなたの知的欲求が刺激され、学習意欲が増進すると私は確信している。
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Posted by ブクログ
勉強する楽しさを感じさせられる。これから受験戦争を迎える子供にどのような教育方針を伝えていくべきか、たいへん参考になりました。特に英語や数学などの学び直しの為の具体的な書物を紹介されている点も実用的な内容となっています。
Posted by ブクログ
何を求められているのか、何を学ぶことが大事なのか。若い世代ほど早く出会ったほうがいい書籍。具体的に著書名が書かれているため、行動に移しやすい。
Posted by ブクログ
国際的には数学は重要な教養の一つであり、教育では非常に重視する。
なぜ数学が必要なのか。
論理的な思考能力を身につけるため。
文系だとしても数学の論理的な考え方は大いに役に立つし、理科系の学問も生きていく上で基礎的な知識は必要になる(私たちの生活は今やテクノロジーは切り離せないし、報道に対して全て鵜呑みにしないためにも知識は必要)
理系でも歴史や倫理の知識は必要である。
文理をはっきりと分けてしまう今の受験教育は非常に危険であり、今後ますます理系離れが進むし日本は産業やテクノロジーで他の国に大きく差がつくのだろうな。
だからこそサイエンスコミュニケーターという自分の専攻分野を理論的に説明できる能力が大切になるし、そういった仕事も公的機関や民間企業、マスコミなどで必要になるだろう。
子供を数学嫌いにさせないように今から頑張らねば。
Posted by ブクログ
現代の知の巨人である佐藤優氏の講演会録。
社会人に必要とされる基礎知識とその学び直しをする方法を示した良書である。他の書籍とかなり重複する部分があるので新たに学び直したいと言う意思がある方のみお勧めできる。
Posted by ブクログ
【感想】
前半が大学生に対する授業の議事録チックな内容で、後半は同志社大学の野口氏との対談形式の本。
論文ではなく、話し言葉で掲載されており、なんとなく読み辛いな~と思ってしまった(笑)
佐藤優の本は、個人的には教養を高めるというより知的好奇心を満たすために拝読することが多いかな。
「この人なんでも知っているな」とか、「知識が幅広く、そして深いんだな」と、いつも読んでいて畏怖の念が生まれてくる。
自分の仕事に活きるかどうかは別として、単純に読んでいて博識の深さに舌を巻く思いでいっぱいになる。
SNSについて、断固否定される佐藤優氏の意見には大賛成だ。
僕自身、こんなにも時間の無駄になるツールは必要ないと思っている。
だが、社会に出ていない若い人たち、特に高校生以下の子供にとってはそうとは言い切れないのではないか?とも思ってしまった。
大学生くらいにもなれば孤独を楽しめるだろうが、小学校や中学校ではコミュニティから仲間外れにされることによって負ってしまう心の傷は、大人と違って計り知れないのではないかな・・・
そのあたり、自身の子どもの教育には今後も必須なツールであることは間違いないだろうなと読んでいて思った。
(勿論、佐藤優氏の意見の方が正しいと思うが。)
また、佐藤優氏の書籍を読んでいる際についつい耳が痛くなってしまう点として、「読書だけではなく、教養を身いつけるための実学をしろ」という箇所が挙げられる。
自分は確かに読書家で新聞も読んでいるが、基礎知識が抜け落ちてしまっているのは否めない・・・・
受動的に読書するだけではなく、能動的に実学・勉強に励む事で、教養を身につけなくてはいけないんだよなぁ・・・・
いけないんだけれども、二の足を踏んでしまう。
最後に、佐藤氏の問い掛けとして、「教養の最終目的は何なのか?」という箇所がある。
これは、お題は違えど、「〇〇の最終目的」(例:人生の~、仕事の~、キャリアの~etc...)と通じるモノがあり、自分自身どう回答すれば良いのか試行錯誤している気持ちがある。
この問についての佐藤氏の回答として、「『教養人だから』『インテリだから』それに尽きる。」と書いてあった。
「ビジョン」なんていう厳かな問についても、他のどのような問についても、使命感に満ちているカッコイイ模範回答なんて必要なくて、ある意味俗っぽいこんな回答でいいんだよなと気持ちが軽くなった気がした。
佐藤優の本を読むと、いつもお尻を叩かれる気がして、背中を押されるような気がして、本当にモチベーションが上がるなぁ。
【内容まとめ】
1.「真理は具体的である。
実用性のない「教養のための教養」「知識のための知識」を身につけても意味がない。
同時に、すぐに役に立つような実用的知識は、陳腐化が早いのである。
文系、理系問わず、高校教科書レベルの知識をきちんと体得しておくこと。
そうすれば、国際基準での教養は充分に身につく。
2.1945年8月15日は終戦記念日として日本人にとっては「カイロス」である。
が、この日は国際法的には何の意味もない日である。国際法的に意味があるのは1945年8月14日で、日本が中立国のスイスを通じて、アメリカ、イギリス、ソ連、中国に「ポツダム宣言を受諾する」と伝えた日である。
そして、降伏文書に調印したのは翌月の9月2日、東京湾上のミズーリ号の船上で調印した。
なので、国際法的には対日戦争の終結は9月2日になっている。
3.あと20年したら後輩に追い抜かれる時代になる。
大学入試のシステムが変われば、当然予備校や高校の教育システムも変わる。それと同じくらい大学の教育内容も変わってくる。
小学校から大学まで、すべて過去とは違う教育を受けた子どもたちが社会に出てくるのは今から20年後くらいという計算。
飛行機にたとえればプロペラ機とジェット機くらいスペックが違ってくる。。。
どうしたらいい?答えは明白だ。
2020年からの教育改革を見て、自分に欠けている、不足していると思われるスペックを補充することを、10年計画くらいでしないといけない。
文理融合を、一人一人が自分の中で教養を統合していく必要がある!
4.数学は捨てたらだめだ。
数学に自信のない人は、まず数学検定の三級を受けることをお薦めする。
三級は中学3年生までの数学で、それに合格すれば準二級、そして最終的には二級だ。
文化系ならばそれで十分だ。
もう少し高度な数学を勉強する必要があるなら、準一級を目指す。
そうなると微積分や統計処理がわかるようになる。
5.留学の必要がある人、仕事で英語を使うことになる人の場合、「読む・書く・聞く・話す」の四技能をオールラウンドに求められる。
だが、自分はドメスティックでいい、留学もしないし英語を使う仕事に就くつもりもないという人の場合はどうするか?
その場合、最低限でも英語を読む力をつけることだ。
読む力さえつけておれば、残りの力は必要時に後からカバーできる。
6.教養の最終目的は何なのか?
一体何のために勉強しているのかというと、その答えは簡単である。
「教養人だから」「インテリだから」それに尽きる。
知識人というのは、己の専門科目を通じて幅広く教養を身につけようと努力し、自分が社会の中でどのような場所にいるのかを知ろうとしている人であり、それを自分の言葉で語ることができる人のことだ。
極論を言えば、世間の人にどう説明するかを考えるよりも、「あなた自身が本当に好きなことを勉強しているのか?」を自問するべきである。
そうすれば、自ずと将来のビジョンもそこから生まれてくるだろう。
【引用】
私は「真理は具体的である」と考えている。
実用性のない「教養のための教養」「知識のための知識」を身につけても意味がない。同時に、すぐに役に立つような実用的知識は、陳腐化が早いのである。
文系、理系問わず、高校教科書レベルの知識をきちんと体得しておけば、国際基準での教養は充分に身につく。
あなたの知的欲求を刺激し、学習意欲を増進しよう!
p23
・円環の時間を生きる日本人、「時間には終わりがある」と思う欧米人。
NHKの紅白歌合戦は宗教行事である。人為的なカオスを作り、最後に国防歌謡でもある「蛍の光」を歌う。それが終わると番組は「ゆく年くる年」に切り替わり、除夜の鐘の音が流れ、日本人は「新しい年が始まった」という気になる。
日本人の時間は円環をなしている。一年が経って正月になると、新しい時間に切り替わったような気になる。だから、どこかで人生はやり直し可能だと感じる。
しかし、ヨーロッパやアメリカでは時間というのは円環ではない。
時間がスタートした瞬間が遠い過去にあって、それからずっと時間は連鎖し、いつかゴールを迎えるという感覚がある。
こうした時間の流れをギリシャ語で「クロノス」と言い、終わりを「テロス」という。
世界は神によって造られ、いつか必ず終末が来る。
p27
カイロス
→そのことが起きる前と起きた後で世界の形相が全く違ってしまう「時」のこと。
1945年8月15日は終戦記念日として日本人にとっては「カイロス」である。
が、この日は国際法的には何の意味もない日である。国際法的に意味があるのは1945年8月14日で、日本が中立国のスイスを通じて、アメリカ、イギリス、ソ連、中国に「ポツダム宣言を受諾する」と伝えた日である。
そして、降伏文書に調印したのは翌月の9月2日、東京湾上のミズーリ号の船上で調印した。
なので、国際法的には対日戦争の終結は9月2日になっている。
p60
・あと20年したら後輩に追い抜かれる時代になる。
大学入試のシステムが変われば、当然予備校や高校の教育システムも変わる。それと同じくらい大学の教育内容も変わってくる。
小学校から大学まで、すべて過去とは違う教育を受けた子どもたちが社会に出てくるのは今から20年後くらいという計算。
飛行機にたとえればプロペラ機とジェット機くらいスペックが違ってくる。。。
どうしたらいい?答えは明白だ。
2020年からの教育改革を見て、自分に欠けている、不足していると思われるスペックを補充することを、10年計画くらいでしないといけない。
文理融合を、一人一人が自分の中で教養を統合していく必要がある!
p68
・第一次世界大戦は誰が始めたのか?
1914年6月、サラエボでセルビア人の民族主義者がオーストリアの皇太子とその奥さんを殺害したことがきっかけである。が、この暗殺者が戦争を始めたわけでは決してない。
そもそもオーストリアは巨大帝国で、セルビアは弱小の新興国だ。普通ならセルビアが謝罪して終わるはずだが、当時の東欧には複雑な同盟関係があり、それで話はおかしくなった。
セルビアの同盟国であるロシアがオーストリアに干渉し、ロシアの同盟国であるフランスもセルビア側に加わり、フランスの同盟国であるイギリスがセルビアについた。
これに対し、オーストリア側には同盟国のドイツがついた。
相手への威嚇が続き、いつのまにか戦争の流れができてしまったといっていい。
この戦争は、当初は簡単に講和条約が結ばれるだろうと思われたが、国家総力戦が始まり、結果足かけ5年も戦争が続いた。
p79
・文化系ならば数学検定三級からスタートしよう。
数学は捨てたらだめだ。
数学に自信のない人は、まず数学検定の三級を受けることをお薦めする。
三級は中学3年生までの数学で、それに合格すれば準二級、そして最終的には二級だ。
文化系ならばそれで十分だ。
もう少し高度な数学を勉強する必要があるなら、準一級を目指す。
そうなると微積分や統計処理がわかるようになる。
p88
・留学の必要がある人、仕事で英語を使うことになる人の場合、「読む・書く・聞く・話す」の四技能をオールラウンドに求められる。
だが、自分はドメスティックでいい、留学もしないし英語を使う仕事に就くつもりもないという人の場合はどうするか?
その場合、最低限でも英語を読む力をつけることだ。
読む力さえつけておれば、残りの力は必要時に後からカバーできる。
p91
・SNSでは真の友達は増えない。
学生で、夕方講義が終わってから深夜までLINEのやり取りをする子もいる。返信しないと自分はハブられるのではと常に恐れている。
そんな過ごし方では、到底勉強する時間なんかなくなるよね。
動物行動学者で進化人類学者の長谷川真理子さんの話では、人間がまともに認知できる数は150人くらいが限界だという。
それ以上になるとただの記号となるため、到底「友達」とは呼べない。
人間が最初に作った社会集団の規模がちょうどそのくらいで、人間の脳がそのサイズに適応するように進化し、社会の規模は大きくなってもすぐには人間の脳は進化しない。
企業でも軍隊でも、大体100人前後の集団が単位で、それ以上大きくなるとセクションを分割する。
「技術の猛烈な発展に我々の脳は追いついていない、そのギャップが今の混乱を生み出している」という仮説は充分に成り立つ。
p96
・教養の最終目的は何なのか?
一体何のために勉強しているのかというと、その答えは簡単である。
「教養人だから」「インテリだから」それに尽きる。
知識人というのは、己の専門科目を通じて幅広く教養を身につけようと努力し、自分が社会の中でどのような場所にいるのかを知ろうとしている人であり、それを自分の言葉で語ることができる人のことだ。
極論を言えば、世間の人にどう説明するかを考えるよりも、「あなた自身が本当に好きなことを勉強しているのか?」を自問するべきである。
そうすれば、自ずと将来のビジョンもそこから生まれてくるだろう。
p108
・公立高校の限界
公立高校のカリキュラムでは、とても文理融合の教養教育は望めないという現実。
理系か文系かの選択を高1の段階で行わざるをえなく、その時点から受験勉強しないと間に合わないという。
しかしそれでは、理系文系それぞれに欠落した教科が生じてしまう事を避けられない。
p111
・なぜ今、サイエンス・コミュニケーターなのか?
サイエンス・コミュニケーターを一言で表せば、「理系と文系の架け橋になる人」と言える。
それぞれの問題意識を別側にフィードバックする能力が求められており、ただ単に科学技術を分かりやすく伝える人ということではありません。
Posted by ブクログ
あまり学びが無かったかな。
自分の頭で考えるベースの教養は必要、特に数学、論理学、哲学と理解した。高校レベルで暗記に頼らない、理解重視の学習を再開してみようと思った。
Posted by ブクログ
同志社大学では、文系と理系の融合に取り組んでいるのだそうな。実は読んでから少し間が空いてしまい、印象に残っている部分も少ないんだけど、ぱらぱらと見返して、あぁそういう話だったね、と思い出した。
学ぶということは、いつも楽しい。俺、今でも学生に戻りたいものなあ。戻っていいなら、いつでも戻るぞ。現役の学生だったころよりも、熱意をもって勉強するような気がする。まぁ知識のための知識ではなく、どう使うか、今動くために自分に何が足りていないかという部分が駆動する力になっているのだろうから、完全に学生に戻っちまったら、モティベーション下がるかもしんないけど。
佐藤氏のこのあたりの教養エンタメ本は、そのあたりの欲求を満たしてくれるんだろうな。
Posted by ブクログ
前半は、同志社大学の学生向けの教養に関する講演、後半は、同大学の野口範子教授との対談からなる。全体を通じて、佐藤優氏の母校への恩返しが詰まっている内容と感じた。
「カイロス(刻)」、前と後で違いがある、歴史の年号を覚えるのは、このカイロスを知ることという点が重要という指摘は、気にしてなかった… ただ年号と出来事だけを記憶するつまらない勉強ではなく、その出来事で前と後が何が変わったのか?をこれからは意識しよう。
対談では、「合理的思考であるが科学的思考では無い」といういくつかの話がちょっと面白かった。例として、オウム真理教とロケット開発を出している。オウムは、妄想の末に自分達がやられる前にやってやるという発想からテロを起こしたが、理系が多かったことへの警鐘。ロケット開発は、19世紀末のロシアにいたニコライ・フョードロフという思想家が、将来、科学はやがて不老不死と死者の復活を、可能にするだろうと考えて、地球には人間が住むところが無くなってしまうからロケット開発しないと!と言って、その思想を引き継いだコンスタンチン・ツォルスキーがロケット工学の基礎をつくって、それがスプートニク開発につながった。また、騙す方も気を付けないといけなくて、AIブームを使って国からの助成金不正受給のペジーコンピューティングの齋藤元彰氏の話や、STAP細胞で一世を風靡した小保方晴子氏。当然、この2人はやっちまった人達なんだけど、官にも民にも見抜ける人が非常に少なかったことから、サイエンス・コミュニケーターというような文理両立の人たちが必要というとこで締めくくられている。