あらすじ
論語はすなわち儒教のことである――日本人の多くにとっての「常識」であろう。ところが、実はそうではない。子供のころ、祖父の摩訶不思議な「教え」から『論語』に接した著者は、のちに儒教の持つ残酷な側面を知り、強い葛藤を抱く。実際の孔子は「聖人」であったのか? なぜ『論語』は絶対に読むべきなのか? 御用教学・儒教の成立と悪用される孔子、朱子学の誕生と儒教原理主義の悲劇など、中国思想史の分析を重ねた果てに著者がたどり着いた答えは、なんと「論語は儒教ではない」というものだった。曇りのない目で孔子の言葉に触れ、『論語』を人生に生かすための画期的な書。 【目次】●序章 私の『論語』体験と、私が見た「儒教の残酷さ」 ●第1章 定説や通念を覆す──孔子とは何者か、『論語』とは何か ●第2章 御用教学・儒教の成立と悪用される孔子 ●第3章 朱子学の誕生と儒教原理主義の悲劇 ●第4章 朱子学を捨て、『論語』に「愛」を求めた日
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
論語と儒学の違いについて、日本への影響についても、歴史的な流れを見ながら理解することができた。
また歴史の中において思想、哲学、宗教、人間のよりどころにもなるこういったものが、いかに政治に利用されてきたのかを知ることができる。これは中国に限らない話ではないだろうか。こういった実情をしることで、今自分がよりどころとしようとしているものが本当に正しい物なのか?信じるべきに値する物なのか?疑問を投げかけることができそうだ。
孔子の教えがあり、そこから多くの教えが派生している。果たして何を学ぶべきなのか、限られた時間の中で大変難しい問題ではある。
例えばオリジナルの論語を学ぼうと考えた時、2500年以上前の、ただの常識人のおじさんの孔子(しかも特に大きな実績はなし)の、体系だったものでもない、弟子との問答や、出来事の中の言葉を学ぶだけで本当に実社会に生かせるのか。正しい生き方に近づけるのか?だとか思ってしまう。
だったら後世に、なんらかの意図でまとめなおされた思想や哲学、宗教など、例えば多くのより正しそうな生き方をした人たちを生み出している陽明学などを学んだ方が良いのではないかなど、、、