あらすじ
鋭く周密な観察で幼年期をつづる「千年」、漠然として白く燃え上り、落着の悪い記憶の断片にまとわる不安・恐怖・なつかしさを語る「桃」、心弱い父が美しく描かれ、父と子の屈折した心情あふれる「父と子の夜」など、仄暗く深い記憶の彼方の幼年時代を、瑞々しく精緻に描出する、阿部昭の秀作群。毎日出版文化賞受賞短篇集『千年』に「あの夏」「贈り物」を併録。
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Posted by ブクログ
結末よりも過程に読み応えがあるのではないかと、二作品目にしておもうようになった。どの短編・中編も最後の場面はふっと途切れるようにして終わる。たしか「未成年」で芥川賞候補作に入ったとき、選評で最後が良くないというふうにも言われていた。阿部昭の作品にはひとつの確かな流れはあるのだけれど、はじまりと終わりがないような印象を受ける。自分のうちの歴史のある一点にふと作家の眼差しがはいり(これが作品の一行目が書かれた瞬間とみる)、やがてはなれていくような。眼差しという、まるで落とし蓋のような透けたフィルターが作品の蓋をしているため、どの作品も背景に作家の歩んできた人生がありありと浮かんでみえる。
小説の完成度というものはその蓋が堅固なほど高いとみなされると思う。一読目でばっちりと心を射抜いてくる。一方で落とし蓋でとじた作品は読み終わったあと、一旦自分の心の拠り所がわからなくなる。宛てもわからぬ妙なひっかかりをどう受け止めればいいかとしばし考えることになる。
僕が「千年」を好きだなとおもったのはこの作品集の五作品目を読んでいるときだった(「千年」はニ作品目)。「千年」は前半が読み難くて、ずいぶんと時間を要した。後半、いとこの姉と妹の話を興味深く読みはじめたところで話が終わりを迎えた。
五作品目の「父と子の夜」のなかで軽くいとこの姉妹について触れた一文をみたときに「千年」を思い出し、そういえば好きだったと心のうちで頷いた。----こうして今書きながら、とても好きだったことを改めて感じている!
子供の一郎、二郎、三郎が出てくる話も好きだ。四作品目の「子供の墓」、「父と子の夜」によく出てくる。ステレオタイプのきょうだいではなく、彼らがきょうだいとしてどう関係を育んでいるかがとてもわかった。私小説のもっともいいところ。