あらすじ
二十数年間いつくしみ育ててきた娘の結婚を前にして、寂しさにたえ、限りなき親の愛を寄せて、未来の伴侶に理解ある忠告を贈る父親の姿――。「焼野の雉子夜の鶴」にも比すべき父性愛あふるる書。
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Posted by ブクログ
鶴は霜などが降る寒い夜、我が子を羽で温める、と言われているらしい。そこから、親の子を思う心が夜の鶴に喩えられるようになったと。
そんな『夜の鶴』だが、これは娘の結婚を前に、その伴侶に向けて父が送った書簡、という形式になっている。そこからは父の娘に対する限りない愛情が伺える。
読んでいると、これはいわゆる私小説の類ではないかと思った。実際、巻末の解説(浜野健三郎)によれば、実際の著者と対応する点がいくつかみられ、したがってそう言っても差し支えはないらしい。だが、また解説によれば、どうやら当時著者は私小説というものに否定的だったらしい。そして、鑑賞において著者の実際と比較しながら読み解くことにも。
ただ、この小説をそのまま読むと、一種の理想小説や教養小説として受け取られることになろう、というのも解説からのパラフレーズだが、私自身、読んでいるとなんだか説教臭く感じられるところもあり、また、こんな出来すぎた親がいるものか、とも思わなくもなかったので、そうなのだろう、と私も思う。
だが、解説の浜野は、(著者の考えには叛くことにはなるけれども、)「『夜の鶴』を本当に理解し、正しく評価するためには、石川達三という作家の生い立ち、人となり、考え方を知っておいた方がよいのではなかろうか」という。というのも、いかにして、この作品に描かれた、あまりにも理想的で合理的な親としての教育を「私」がなしえたのか、というのが『夜の鶴』には一切書かれておらず、そのことが、これを一種の理想小説、教養小説じみたものに見せかけているからだ、というのである。云々。
とまあ、巻末の解説も込みで読むことを勧めたい。私は解説を読んで、解説者の思惑通り(?)この小説への印象をかなり改めることになったので。まあ、それがなくとも、父の娘を思う愛情の普遍的な面が描かれているように見えたし(とか言っているが、私は今のところ人の親ではないので、あくまで観念的なものとしての「娘に対する父の愛情」に留まるのだが……)、その点でも良いものだったと思う。