【感想・ネタバレ】宣教師ニコライとその時代のレビュー

あらすじ

幕末の文久元年(1861)七月、25歳の若きロシア人司祭が箱館に到着した。その名はニコライ。それから約50年にわたって、彼は日本人にロシアのキリスト教を伝えるべく奮闘。 ロシアに帰ったのは二回だけ。それも布教の資金を集めるための一時帰国だった。「(駿河台にある)ニコライ堂のニコライ」として知られ、多くの人びとの尊敬を集めた彼が遺した膨大な日記から読み解く「もう一つの明治」。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

幕末1861年、24歳のエリート神学者のニコライは函館に到着した。以後明治最後の年45年に死去するまで50年間、大変な情熱と義務感で日本全国にロシア正教を広める。当時はロシア正教は現在よりずっと身近な宗教だったようである。駿河台のニコライ堂の創設者。
昨年の大河ドラマ「龍馬伝」で龍馬の甥が酒に酔って町人から金時計を奪ったことが武市半平太に知られ、切腹を命じられるが、龍馬の情けで逃がされる場面があった。この人沢辺(山本)琢馬こそがニコライの日本の弟子第1号。以後共に布教活動にいそしむ。他にも密航前の新島襄、土方歳三ら明治の偉人たち多数と深い交流がある。
ニコライは大変な知識人だが、日本語読み書きも完璧。日本文化や歴史にも造詣が深く、激しいが清潔な人柄で誰にも尊敬された。日露戦争の間も帰国せず、日露両国の相互理解に努める。当時の日本政府も迫害などせず、ニコライ堂に近衛兵を配置し、ニコライらを保護した。
ニコライの偉大さももちろんだが、異国の宗教を素直に受け入れる明治日本人の度量にも感服。
筆者の誠意とニコライへの愛情にあふれる記述も実に好ましい。

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2011年07月29日

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