幕末の文久元年(1861)七月、25歳の若きロシア人司祭が箱館に到着した。その名はニコライ。それから約50年にわたって、彼は日本人にロシアのキリスト教を伝えるべく奮闘。 ロシアに帰ったのは二回だけ。それも布教の資金を集めるための一時帰国だった。「(駿河台にある)ニコライ堂のニコライ」として知られ、多くの人びとの尊敬を集めた彼が遺した膨大な日記から読み解く「もう一つの明治」。
Posted by ブクログ 2021年08月15日
東京・お茶の水のニコライ堂の創設者として知られる、ロシアからやって来た宣教師ニコライ。幕末から明治にかけての歴史上の人物の多くが彼に直接会ったことがあるとこの本を読んで知り、自分が今まで勉強したことと繋がっていくのがとてもうれしかった。戊辰戦争の頃の記録でも、箱館(函館)でニコライのすぐ近くに桑名...続きを読む
Posted by ブクログ 2017年08月17日
東京復活大聖堂と言ってもピンと来ないかもしれない。
東京・駿河台のランドマーク・ニコライ堂の正式名称だ。
聖堂にその名前は残っているものの、この聖堂を建立した
ニコライとはどういう人物だったのか。名前だけが残されて
少々忘れ去られたような存在だった宣教師ニコライと、彼が
日本に正教の伝道に訪れた時...続きを読む
Posted by ブクログ 2011年07月29日
幕末1861年、24歳のエリート神学者のニコライは函館に到着した。以後明治最後の年45年に死去するまで50年間、大変な情熱と義務感で日本全国にロシア正教を広める。当時はロシア正教は現在よりずっと身近な宗教だったようである。駿河台のニコライ堂の創設者。
昨年の大河ドラマ「龍馬伝」で龍馬の甥が酒に酔って...続きを読む