あらすじ
一切の甘えを切り捨て、ひたすら剣の道に生きた絶対不敗の武芸者宮本武蔵。彼は「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」る何10年にも亙る烈しい朝鍛夕錬の稽古と自らの命懸けの体験を通して「万理一空」の兵法の極意を究め、その真髄を『五輪書』に遺した。本書は、二天一流の達人宮本武蔵の兵法の奥儀や人生観を知りたいと思う人々のために、『五輪書』の原文に現代語訳と解説、さらに「兵法35箇条」「独行道」を付した。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
宮本武蔵の勝負に対するひたむきな姿が伝わってきた。別れや恋慕にも心を動かされてはならないというまさに勝負のために生きている。勝負は美学ではなく勝つことが目的であり、そのために剣術だけでなく、考えられるあらゆる方向から検討を加えるようにしている。他の書物を読まずともこの書物だけで理解できるよう、後継への心遣いもしているところが素晴らしい。
以下メモ
・心を一か所にとめず自由にすることで柔軟性や力量が発揮できる。
・物事には拍子があり、流れに乗るためには良い拍子を心がけ、相手に勝つためには相手の拍子を外すことが肝心
・広く多芸に触れ、実直を見分ける力をつけ、わずかにも気を配り、無駄なことはしない。
・無心でなければならない。無心とは平常心を保つこと。鏡のようにどんな姿を映そうとも鏡自体は変化しないように。
・見の目、観の目で見ることが必要。目や耳は自分のとらえたいようにしか感じない。心の目で相手の気配を捉えることが大事。
・身を太刀よりも先に行くつもりでないと斬れない
⇒リスクをとらねば勝てない。
・先手を取ること。相手が攻めてくるとき、自分から攻める時、両者が攻める時、いずれも先手で勝負が左右される。
・小手先だけで踏み込まない。太刀、足、身、心全てで踏み込む
⇒中途半端な対応をしない
・敵の身になって考える。敵の立場から自分は今どのように感じられるか
・鼠の頭、午の首。細かいところから大局まで考える、視点を変えてみる。
・不動の心とは動かない事でなく、前後左右に自在に動きながら対象にとらわれず、少しもとどまらない心をいう。相手の動作に心をとめてはいけない。
Posted by ブクログ
目の付けやうは、
大きに広く付くる眼也。
観見(かんけん)二つの事、観の眼つよく、見の眼よはく、
遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。
敵の太刀をしり、聊かも敵の太刀を見ずといふ事、兵法の大事也。
心眼という言葉があるように、
視ることとは、その対峙するもの、対象に対して、
眼をとおして身体全体で、<心-身>を総動員してあることが前提とされていよう。
いわば、<身―構え>と云うべきものが。
通常、視るとは、自分の居場所、その固定点からのパースペクティブ―遠近法
的な座標なのだが、
大きく広く、<観>と<見>、強く・弱く働かせよ、遠き所を近く、近き所を遠く
ひとつの舞台を創っていく作業でも、或は作品を鑑賞する場合でも、
同じようなことが言える。
能では、<離見の見>と云う言葉があるが、
この語もまた、<観―見>と相似た地平にあるだろう。
俯瞰あるいは鳥瞰することにも通じるものを感じさせる。
Posted by ブクログ
宮本武蔵の生き様が窺える。きっと合理主義者で勝利に飢え、一切の甘えを捨てて剣に生きるような人物だったはずだ。そして合理主義者・武蔵が最も雄弁に語っているのは勝つためには「心の充実」が必要不可欠であるということ。これは興味深いなあ。
Posted by ブクログ
宮本武蔵著の五輪の書の原文と、著者が現代語訳したもの、補足事項などが記載された作品。武の道を極めるのみでなく、様々なことに取り組むことの必要性、戦いにおける心構え(これについてはどの分野でも応用可能)、剣の使い方など、武の道を極めた武蔵だからこそ至った境地について書かれている。
特に敵の心を乱し、その隙を逃さず徹底的に攻撃するという考えについて多く述べられていた。