あらすじ
倭も百済、新羅、加耶などの朝鮮半島の国々の歴史も従来は、すでに国が存在することを前提として語られてきました。しかし近年の日韓両国の考古学の進展により、事実はそれよりも複雑だったことが明らかになってきました。交易の主役は「中央」ではなく様々な地方の勢力だったのです。倭一国だけを見ていては見えないことが、朝鮮半島という外部の目から見えてくる。歴史研究の醍醐味を味わうことのできる1冊です。
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Posted by ブクログ
本書は、日本列島と朝鮮半島を海で結ばれた一つの「環海地域」と捉え、双方の遺跡や古墳から多方向的な交渉の実態を解明する。本書の特色は、古墳を「履歴書」として読み、被葬者の行動範囲や職業(海民、技術者、外交官)をプロファイリングする手法で、キャラクターのバックボーン作成に非常に役立つ点にある。
「任那支配」論の克服が主要論点の一つ。四世紀後半からの「朝鮮出兵」や「支配」は、記録者の政治的思惑による誇張や創作であり、実態は双方向的で友好的な「交渉」の積み重ねであったとする。
環海地域のネットワークも重要な論点。日朝の沿岸・島々に住む海民(海村)が航海技術を武器にネットワークを形成し、王権間の外交もこの日常的なルートに依存していたと論じる。
地域社会の主体的な交渉については、倭王権が外交を独占していたわけではなく、北部九州や吉備といった地域社会も、独自に半島の諸勢力と直接交渉を行っていたとする。
前方後円墳の多義性については、栄山江流域の前方後円墳は、倭への服属ではなく、百済の圧力に抗して「倭との繋がり」を誇示し、自律性を維持しようとした地域集団の戦略的モニュメントであるとする。
天智期関連では、白村江について、四世紀後半に始まる百済―倭の軍事同盟の破綻と最終局面であり、これによる「国際的孤立の危機」が天智朝の構造変革を促したとする。白村江に至る百済との同盟の歴史的背景と、なぜ倭国がそこまで百済に肩入れしたのかの「動機」が理解できる。
講談社現代新書で、専門用語も丁寧な解説があり、非常に読みやすい。朝鮮半島から倭国を「逆さに」見ることで、支配・被支配の関係ではない、したたかな交渉者たちの姿を描く。甲冑を威信財(見せびらかす品)として扱う感覚や、海を道路のように使う海民の視点など、古代の空気感を生々しくキャッチできる一冊。
Posted by ブクログ
弥生時代後半から六世紀前半にかけての日本と朝鮮半島の遺跡を丹念に解説した本だが,耳慣れない固有名詞が続出で,読むのに苦労した.新しく発掘された遺跡のデータから,これまで定説が覆される事例が出てきて面白かった.それぞれの国の研究者たちが地道に成果を上げているようで,頼もしく感じた.斜め読みだったので,機会があれば熟読したい.
Posted by ブクログ
この本の序章ですが、あらたな日朝関係史をめざしてということで、瀬戸内海に浮かぶ小島、女木島丸山古墳に埋葬されている古代人が如何に朝鮮半島との関係が深かったかという「とっかかり」からこの本は始まります。
ただ単に日本からみた「任那支配」という過去の歴史的見解の限界性を打破し、朝鮮半島からの視点で「倭」を考えてみるという重要性を一貫して述べている本です。
第1章 韓と倭のつながり――弥生時代後半の四世紀
第2章 多様化する関係――五世紀前半
第3章 王権の興亡と関係の再編――五世紀後半〜六世紀
前半
第4章 朝鮮半島の前方後円墳が語ること――栄山江流域
と倭
終章 日朝関係史と現在、そして未来
となっています。
古代の高句麗、新羅、百済、大加耶、そして倭王権との連携、交流の歴史。
日韓の古墳の埋蔵物を従来の発想とは異なる観点で分析することにより、当時の半島と北九州、中国、近畿との深い関係が見えてくる。
今後も日韓が連携して発掘調査することにより、半島、倭王権、中国との栄枯盛衰、興亡が見えてくることだろう。
今後の著者の活躍を期待するものです。
Posted by ブクログ
3世紀から6世紀の倭と朝鮮半島の関係を朝鮮の視点から、日韓の考古学上の成果をふんだんに活用して分析している。特に、朝鮮半島側の古墳の状況や研究者の視点を紹介してくれているのが新鮮。
これによると、「倭という一つの強大国があって中央集権的に朝鮮半島と対峙していた」というステレオタイプの世界観では全く不十分であることがわかる。特に、時代が遡れば遡るほど、朝鮮半島(新羅、伽耶地域、百済、栄山江地域)と倭(九州北部、吉備、大和)が輻輳的に関係を築いていた。
時代が5世紀に下ると、朝鮮半島側は高句麗の南下に対して百済や新羅が周辺を統合しつつ、倭と友好関係を結ぶことを思考し、倭も先進技術の取り込みのため、関係を構築していく中で、吉備や九州を統合した形で倭王権が交易を独占する形になってきたというもの。また、今と比べて国の概念も曖昧だったのだろうが、筆者は後書きにおいて以下のとおり指摘する。
・古墳時代(3世紀後半〜6世紀前半)の倭では、倭王権を核としながらそれぞれの地域社会も拠点となる、錯綜した可変的なネットワークが広がっていた。それは、朝鮮半島(少なくとも中南部)にまでのびていて、そこでも同じようなネットワークが広がっていた。その環海地域を取り巻くネットワークを活用しながら、倭王権と地域社会は時には協調して時には競合して、朝鮮半島のさまざまな社会と政治経済的な交渉を重ねた。
↑の好例が6世紀前半の磐井の乱であろう。筆者は、倭王権が北部九州の港を直轄化するとともに、新羅の圧迫を受ける伽耶を助けようとしたことに対し、新羅は磐井に賂を送って倭を牽制させ、磐井も港の直轄化に反応して倭を見限ったと見ている。まさにこのような『錯綜して可変的な』ネットワークが、(今のような厳密な国境意識なしに)日本でも朝鮮でも広がっていたということであろう。
古墳の考古学的な解説の部分を読むのがやや苦痛だったが、全体として極めて説得的な本だった。
Posted by ブクログ
3世紀から6世紀にかけて、朝鮮半島と倭との間でどのような交渉があったのかについての研究をまとめた本。
高句麗、新羅、加耶、百済、栄山江流域といった社会が割拠する中で、それぞれの対外戦略として倭との通行があった。
倭は倭で様々な地域集団が存在し、吉備の反乱や磐井の乱といった、倭王権が外交権を接収するにあたって生起した戦いもあった。
古代の歴史はよくわかっていない分ロマンもあるし興味をそそる。新羅が倭の出兵を抑えるために…という件とか。
Posted by ブクログ
三世紀後半から六世紀前半の期間、朝鮮半島の国々、百済、加耶、新羅、金官などと倭の国々との交流を見る。倭も大和政権だけでなく、吉備、磐井、九州などの地方勢力との交流もあり、朝鮮半島の国々は北からの高句麗の攻勢に対抗する意味もあって、倭との交流を求めたようだ。
Posted by ブクログ
朝鮮側から見た弥生時代から古墳時代の日朝関係。
視点が面白い。
古墳がめっちゃ出てくる
新羅、百済、金環伽耶などと互いに貿易や贈り物など結構やりとりしてた
威信財という概念。
技術者が移住したりして副葬品や古墳形式が混ざったというのは面白い
この時代はまだ統一政府的なものが完成しておらず、地方部族が大事な役割を持つこともあったというのは意外。
発掘物など根拠を丁寧に示してくれるのは良いことだと思うのだが、正直読んでいて飽きる