あらすじ
「始末に困る」至誠の人の思想形成と生涯。 荘内中学から五高時代、社会主義による変革を目指した青年はやがて日本精神に目覚めアジア主義の理論家となる。指導的宣伝家として戦犯となった大川周明の評伝。
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Posted by ブクログ
戦前右翼を代表し、唯一民間人からA級戦犯の容疑者として逮捕された人物。彼の生涯を振り返ると、幼少期から西郷隆盛『南洲翁遺訓』に親しんだり、岡倉天心の影響を受けたりと、一貫して西洋に対抗しようと邁進したアジア主義者だった。しかし、学生時代に信仰はしなかったもののキリスト教に深入りする、社会主義者の思想に共感するなど、さまざまな哲学や宗教の知識を習得した。また北一輝とは一時協力して結局絶縁したものの、軍の力を利用して変革するという考えは北の影響であったこと、同じく戦前右翼を代表する蓑田胸喜と天皇をめぐって論争するというように、当時の右翼のなかでも一線を画す存在であった。ちなみに、東京裁判に関して、彼は日本の弱体化政策だとみなした。
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大川周明といえば、「右翼のファシストで、国粋主義者の大思想家で、5.15事件のテロに深く関係した人物。」これが戦後構築され一般に少なからず認識されているイメージ(ラベル)ではないでしょうか?
少なくとも個人的経験に即して想起すると、青少年向け(一般教材、戦後史観に染まった一般書籍)歴史本としてはこのようなイメージで固定されていると認識しています。また、近来一般メディアから流布される昭和初期の歴史像としても、その方面のイメージに合致した歴史物語(今となっては、過去に報道宣伝された歴史物を嘘と事実を区分けして思い起こすことは困難)に即して都合のいい断片だけが紹介されているといっても過言ではありません。
事実関係はどうだったのでしょうか?この点に関しては突き詰めるところ答えはでません。しかし、本書を読んだ感想として少なくとも指摘できる点としては、大川周明は伝統文化を大切に(保守的思想。人間の人格を高め(精神性重視)ることで真の自由と平等・幸福の希求。この方策として日本精神・日本文明を重視)し、財閥と政界の結びつきによる悪しき資本主義と政治を改め(クーデターを起こし実現しようと画策)、政治改革と統制経済の断行(社会主義的志向。ただし、物質文明に依拠した、人間の幸福は物質の所有の多寡であるという部分は否定。しいて表現すれば東洋的社会主義とでも言うべき思想か?ちなみに唯物主義を前提とする社会主義はソビエトに代表される。)をすべきと志向したということが言えます。
また、物質文明至上主義の西洋に対して、インドやシナに源を発する東洋的思想、それを受け継いで両者融合して独自の文明に進化した日本精神でもって、アジアを復興(白人支配からの解放)し、アジア諸民族連帯して(東亜新秩序建設の思想)人間の幸福・自由を実現せんとする思想を、戦後連合国側に、「侵略を正当化するための思想」として決め付けられてしまったことは特筆しておくべきであろう。まさに勝てば官軍とは言いえて妙である。
大川周明は大正十四年刊行の「亜細亜・欧羅巴・日本」という書物の中で次のように述べている。
「東洋と西洋、「人類の魂の道場」たるアジアと、「人類の知識を鍛える学堂」たるヨーロッパは、世界史における最大至高の対抗個体として今日に至り、相離れて存続し難き処にまで進み尽くした。この東西の結合は平和裡に行われることはなく、必ずや東洋と西洋を代表する強国間の戦争によって実現されるだろう。」と。
現代に至るもこの観点の衝突(20世紀末にはかの有名な「文明の衝突」という書物で類似の視点が披露されています)はイスラム世界で継続されているのではないでしょうか。
また、2006年に発行された「日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」を一読すれば大川周明が偏狭な思想家やテロリストの類ではなく、少なくとも当時の最高の知性・学者であったことはうかがい知ることが出来ます。
本書は大川周明の生涯にわたっての伝記といっても過言ではありませんが、思想等を伺い知る為の要所要所は外さずに押さえてあると思います。「大川周明」を知る上での入門とするにはお勧めします。