【感想・ネタバレ】興亡の世界史 イスラーム帝国のジハードのレビュー

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ 2023年07月09日

イスラム教もジハードという言葉も武力や戦いという側面だけが強調されていて自分もなんとなくそういうイメージを持ってしまっていたが、内面のジハード、社会的ジハード、そひて剣のジハードという区分を理解することによって、そして過去の歴史を理解することによってスンナ派シーア派という違いや、現代の過激派や武装勢...続きを読む力が伸長してきた背景についてもよく理解することができた。

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Posted by ブクログ 2024年01月11日

 デジタル本で購入したまま読みかけのまま放置していた本でしたが、一週間程で読み終わりました。私たち日本人はたいへんな宗教音痴なのですが、その中でもイスラム教のことは少しもわかっていないのです。だからジハードなんて聞くとかつて日本にあった学生運動の過激派のような印象しか受けません。
 しかし、イスラム...続きを読む教こそが歴史的に最も他の宗教に対して穏和に接してきた宗教です。そしてキリスト教のように職業的な宣教者はいないため、信者は全て神のもとに平等です。だから職業的な宣教師がいなくてもジワジワと信者が増えています。
 そしてソ連が崩壊して、世界中の国々が強欲資本主義の元でお金儲けを追求しているので貧富の差は益々拡大しています。また、トランプ大統領のような極端な民族主義も自国優先、自分優先、の雰囲気を高めています。そんな中でイスラム教を信じて、神のもとで神の言いつけを守って生活する宗教がその信者を増やしているのだと思います。
 イスラム教とイスラム諸国を理解するためにはとても良い本だと思います。

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購入済み

イスラムを知りたくて読んでみた

2022年11月08日

現代世界における各宗教の勢力を (信仰心の強さ)X(信者の人数)で計算すると、きっとイスラム教が第一位になると思う。そのイスラム教の歴史的背景を知りたくて本書を読んでみた。
イスラム教の始まりから発展期辺りの様子は大変によく分かった。
教祖が世捨て人だった仏教や、ローマ帝国への犯罪者だったキリス...続きを読むト教と違い、ムハンマドは小なりといえども一族の族長であった。
仏教やキリスト教と違ってイスラム教が政治.経済.風俗.日常生活に細かい規定を設けている理由が分かった気がした。
本書の後半はやや散漫なのが残念。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2021年06月10日

ポイント①ムハンマドは、宗教と社会の統合をめざした。あるいは、すべての面において宗教に立脚する社会をめざした、と言いかえてもよい。しかし、そのことは同時に、社会のすべての領域にムハンマドの指導を及ぼすため、「宗教」の内実が他の多くの地域で言う「宗教」とは非常に異なるものとなる結果をもたらした。
ポイ...続きを読むント②ジハードとはもともと、自己の心の悪と戦い、また社会的公正を樹立するために奮闘努力することを意味し、その原理は戦争の論理ではない。ジハードを分類すれば、心の悪と戦う「内面のジハード」、社会的な善行を行い、公正の樹立のために努力する「社会的ジハード」、そして「剣のジハード」に区分することができる。
ポイント③イスラーム帝国は、アラビア半島を統一後は安全保障のためにビザンツ帝国やササン朝ペルシアとの戦争を行い、打ち勝つことで結果的に広大な領土を支配した。イスラーム世界はその後分裂したが、イスラーム的価値観は普遍的に維持され、旅の安全は保障されていた。「パクス・イスラミカ」である。

アラビア半島は乾燥地帯であり古来遊牧民が暮らしていた。人口の集中、剰余生産物の蓄積、都市の建設ができないため、国家も育たなかった。
イスラーム成立前後のアラビア半島において、人々の自己アイデンティティの第一義的な基準が系譜や部族意識であったことは、疑いを入れない。強烈な部族意識というものが存在した。中央集権的な権威がなく、それぞれの部族が自分の構成員に攻撃がかけられたら部族全体で反撃することが、安全保障の原理となっていた。構成員が傷つけられたのに復讐をしなければ、部族の名誉は地に墜ち、また構成員の忠誠心も確保できなくなる。そして、イスラームはそれを乗り越える新しい原理を提出した。それによって、イスラーム国家はそれまで内を向いていた対立心を外に向けることに成功するのである。イスラーム以前のアラブ人は、現世的で、刹那的で、享楽的であったかもしれない。部族主義的で、寄せ集めの偶像を信じ、容易に激高し、また富と力にうぬぼれて、弱者をないがしろにしたかもしれない。性的に放縦で、男尊女卑も強かったかもしれない。しかし、その一方で、勇気を持ち、客をもてなす気持ちが厚く、弱きを助ける美徳も知り、不義を嫌う側面も強く持っていた。ムハンマドは、そのような人々の心を鍛え、新しい理念によって方向付けをし、人生の意味と意義を自覚させ、イスラームという、それまでに存在したことのない人間精神へと変換していった、と考えることができるように思う。
遊牧民の場合、産品の蓄積や建築によって財産を形成できない。家畜や天幕、身につける装飾品など、移動可能なものが主要な財産となる。そのような暮らしにあって、美しい詩や言葉は持ち運び可能な貴重な財産である。クルアーンは基本的に押韻散文から成っている。章句の語尾は、韻が美しく踏まれ、時に荘厳に、時に軽快に、聞く者の脳裏に鮮明なイメージを生み出す力を持っている。
ムハンマドがマッカで自らの氏族であるクライシュ族全体相手に布教を開始した時には迫害を受けた。クライシュ族がイスラームを拒絶した理由は、宗教的に言えば、まず、彼らは啓典と預言者というものが理解できなかった。二番目の理由は、これが父祖伝来の多神教を否定するからであった。三番目の、より重要な理由は、ムハンマドのもたらす教えが、商業都市マッカの社会体制を覆す革命性を持っていたからであった。第四番目の理由として、クライシュ族内部での指導権争いがあった。五番目の理由は、イスラームが「命令の体系」である(マッカは自由な都市だった)という点にあると思われる。
マッカ期の最後にはイスラームの基本原則である(一)イスラームの基礎としての唯一神の信仰、(二)啓典および預言者の指示の権威、(三)財産権の保全・その侵害(盗み)の禁止、(四)婚姻と社会の基本単位としての家族の保全・その違反行為(姦通)の禁止、(五)生命の尊重と殺人の禁止、(六)公正の確立と不正・偽証などの禁止、が確立され信徒に受け入れられている。
ところ、ムハンマドが世を去ったためにすぐに生じたのは、イスラームのさらなる発展ではなく、新生マディーナ国家の危機であった。危機は、三つの次元で生じた。第一は、マディーナ国家そのものの解体の危機である。第二は、アラビア半島の諸部族の離反であった。さらに第三の危機として、北方からはビザンツ帝国およびササン朝ペルシアの脅威が迫っていた。アラビア半島は乾燥地帯で、ここだけを版図とする王国が成立する余地はほとんどなかった。あまりにも農業生産力が低く、長期的な自立性はない。言いかえると、イスラームの小王国が半島内に成立して、ビザンツ帝国と共存する余地はなかったのである。新興のイスラーム国家が生き延びようとするならば、北方の諸部族を制圧せざるをえず、そうすることによってビザンツ帝国と衝突せざるをえなかった。国際的な力学から言えば、力の均衡で平和共存が成立する状況にはなっていなかった。
正統カリフ時代後のウマイヤ朝は、拡大し共同体のコンセンサスに基づく都市国家から帝国への支配を確立した。その特徴として、四つの重要ポイントをあげることができる。それは、宗教の共存の実現、アラブ的支配、征服事業の継続、国家機構の整備である。これら四つは互いに深く結びあっている。ウマイヤ朝の特徴を、それ以前と比較してまとめるならば、国家の優越が重要であるように思われる。それは、宗教・社会・政治の三つの領域を考えたときに、政治に重きがあるという意味である。ウマイヤ朝はシーア派分派の伸張と、アラブ人優位政策といった不満による革命で倒れ、アッバース朝が成立する。アッバース朝の時代には、宗教だけが法に関する識別指標となり、イスラーム共同体には一体のイスラーム法が適用されるようになった。ムスリムは、古参であろうと新参であろうと、民族的な出自がアラブであろうと非アラブであろうと、同等の扱いを受けることになったのである。イスラーム法も、そのような前提で体系化が進められた。
現代のウンマは下層部でイスラームが生き残っている一方、上層部で脱イスラーム化が進んでいる。草の根のイスラーム復興は、下から徐々にイスラーム復興を進め、個人から家庭へ、家庭から地域コミュニティーへ、そして社会全体へ、さらに国家や政治へ、と構想する。急進派は、それでは待ちきれない、国家こそが解決の鍵である、と生き急ぐ。

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Posted by ブクログ 2020年08月13日

ジハードをテロと結びつきやすいが、それはイスラームの理解の不足であり、誤解を解くように書かれた解説書。

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