あらすじ
14世紀の初頭、アナトリアの辺境に生まれた小国は、バルカン、アナトリア、アラブ世界、北アフリカを覆う大帝国に発展した。強力なスルタンによる広大な地域の征服から、「民族の時代」の到来により「多民族の帝国」が分裂するまでを描き、柔軟に変化した帝国の仕組みと、イスタンブルに花開いたオスマン文化に光をあてる。 イラク、シリア、そしてパレスチナと、現在も紛争のさなかにあるこの地域を理解するためにも必読の書。
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Posted by ブクログ
最初は何人(なにじん)の国でもなかったオスマン帝国。トルコ人支配の国ではなかったし、最初の領土確立地域はアナトリアではなく、バルカンだった。
アナトリアの遊牧民の国という誤解と「オスマン=トルコ」という見方がこのー冊で大きくひっくり返された。(その誤ったイメージの出所は現在のヨーロッパ界隈の政治によるらしい。)
本書は主に、14世紀から18世紀を対象に書かれている。多くの民族が入り乱れて暮らしていた帝国が変容していき、ー九世紀初頭、民族主義の到来によって解体するまでの過程が鮮明になった。
読ませてもらってありがとうと言いたい本でした。
Posted by ブクログ
最初に大事なことを。「表題にあるような500年の平和なんて無かった」<代替わり毎に兄弟皆殺し、反乱、外征の繰り返し(代替わり毎の兄弟皆殺しは初期だけとはいえ)
そして、オスマン帝国のコンセプトである『イスラム法を用いて、イスラム教徒と非イスラム教徒を平等に支配する』結局これが完成する前に国が滅んだ。ビジネスモデルに問題があったと思われる。ただし、形を変えながらも五百年継続した事は評価されるべきか。
とはいえ、中央集権を指向していたにもかかわらず、徴税権を売却する、戦争には地方領主の軍勢を頼るなど、帝国維持の為の手法が中央集権を弱める方向というのは、緩やかに崩壊したとは言え、やはり崩壊する宿命だったのかも知れない。
そして、オスマン帝国の領土が、そのまま現在の紛争地帯であると言うことも哀しい現実である。これは、オスマン帝国の責任のみならず、オスマン帝国末期に民族主義を煽る手法で切り刻んだ列強(英仏露)の責任が大きいのだろう。
だが、未だにその始末はついていない。オスマン帝国の数百年という共通の経験は、その解決策の一助にならないのだろうか?