あらすじ
辞書編集37年の立場から、言葉が生きていることを実証的に解説。意外だが、江戸時代にも使われた「まじ」。「お父さん・お母さん」は、江戸後期に関西で使われていたが、明治の国定読本で一気に全国に。「がっつり」「ざっくり」「真逆」は最近使われ出した新しい言葉……。思いがけない形で時代と共に変化する言葉を、どの時点で切り取り記述するかが腕の見せ所。編集者を悩ませる日本語の不思議に迫る、蘊蓄満載のエッセイ。
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Posted by ブクログ
・神永曉「悩ましい国語辞典」(角川文庫)に 「しく【敷く】」とあり、そこに「布団は『しく』もの? 『ひく』もの?」」とあるのを見て、私は直ちに布団は「ひく」のだと思つた。理由は簡単である。 こちらでは「し」と発音できない語があるのである。その結果「し」となる。例へば「ひちや」は質屋のこと、これは「しちや」が正しい。しかし、ここらでは 「ひちや」と大書した看板があつたりするから、だれも「しちや」と言はない。「ひちや」といふことに疑問を持たない。だから布団は「ひく」ものなのである。これは方言である。私の中学校の国語の先生は、若い頃にこの「ひちや」で笑はれたと言つてゐた。それほど「ひ」と「し」は、私達には発音しにくいので あるらしい。本書では少しばかりの考察、本書は辞書を気取つた軽いエッセイである、の後にかう書き始める。「考えられることは『浪花聞書』にもあるよう に、『ひ』と『し』の発音が交代するという現象である。」(160頁)ここに「ひちや」も出てくる。更に、「物を平らに延べ広げる動作が云々」(同前)は 私にはむしろ不要の文章である。それほど私達に「ひ」と「し」は身近な問題である。その一方で、かういふ語も辞書編集者には問題になるのだと思つた次第。
・本書にはもちろんこんな語はほとんどない。多いのは揺れてゐる語であらう。意味や読み方が揺れてゐるのである。例へば「さんずん【三寸】」、この見出し は「『舌先』か『口先』か?」である。当然、舌先三寸さと思ふ。ところがである。2011年度の文化庁の「国語に関する世論調査」では、「『舌先三寸』を 使う人が23.3%、『口先三寸』を使う人が56.7%という逆転した結果が出てしまっている。」(148頁)のださうである。「しかもこの調査では、 『口先三寸』を使う人の率は年齢が上がるほど高くなるという傾向が見られる。」(同前)といふ。その理由は分からないらしい。ただ、心がこもらないのは口先だけだといふので口先三寸となるのではないかといふ。同じく揺れる語「しおどき【潮時】」、これには「ちょうど良い時期か、終わりのときか?」といふ見出しがつく。ちやうどよい時期だと皆が思ふかといふとさにあらず、文化庁の調査によると、「本来の意味である『ちょうどいい時期』で使う人が60.0%、 従来なかった『ものごとの終わり』で使う人が36.1%」(155頁)であるといふ。逆転はしてゐないが、3分の1強は本来の意味以外で使つてゐるらしい。問題はその3分の1強の中身である。「20歳代から50歳代までは(中略)『ものごとの終わり』という従来なかった意味で使う人が4割以上と、増加し ているのである。」(同前)「潮時」に関して、他の世代と比べてこの世代は何か違ふことがあつたのであらうか。さう思ふと同時に、10代が救世主となつて「潮時」を守つてくれないかと思ふ。これは筆者も同じで、「10代の若者たちが、『潮時』を本来の意味のままで使い続けてくれるように仕向けていくことの方が大切だと思う」(156頁)と、いささか上から目線で言つてゐる。かういふ「仕向けていく」といふ語は辞書を作つてゐる人の言であらうか。言葉といふもの、仕向ければいくらでも仕向けていけさうではあるのだが、かう正面きつて言はれるのもなと思つてしまふ。とまれ、言葉は揺れてをり、しかも全世代に関はる。そんなことがよく分かる。愛嬌、合いの手、青田買い、飽かす、あくどい、これらは最初から順にあげただけである。しかし皆揺れてゐるのである。いかに揺れる語の多いことか。辞書編集者の気は休まるところがない、本書はそんな一冊であつた。