あらすじ
ハーバード大学の超人気教授にして《Newsweek》中国版が選ぶ「最も影響力のある外国人」、マイケル・サンデル。彼の共同体主義は、儒教を始めとする伝統的な中国哲学とどのように共鳴するのか? 気鋭の研究者9名の論考にサンデルが応答する、正義論の新展開。東洋の「正義」の話をしよう。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
書籍の内容としては、儒教を西洋哲学、特にリベラルコミュニタリアン論争からどのように描くかというテーマで面白いが、タイトルの付け方がものすごい悪い。
というのも、サンデル先生の登場は最初のみ。
あとは別の著者の論文集なので。
シンポジウムを元にしているので内容構成はしょうがないにせよ、題名がこれではミスリードすぎる。
サンデル先生の部分は面白い。「負荷なき自我」よりもアジアの儒教的価値観は、さらに前提となる部分が"厚い"ため、この概念の一般性を高めるために引き出された問いが面白かった。
農作物が少ないより多い方が良いということに価値中立的な観念をリベラリズム的伝統にはあるが、儒教的には足るを知るという概念があり、それすらも価値中立的ではない点。この議論がデザイナーベイビーなどにも繋がる点など。
サンデル先生の部分は面白いんだが、他が難解なものもあったり、タイトルの付け方が残念なものもあり、こんな点数といったところ。
Posted by ブクログ
マイケル・サンデルそのものではなく、オマージュというか、マイケル教授の思想、論文を学者が講評しているような内容だ。詩的、いやまさに哲学という事だが、中国の故事に触れ、アジア的な価値観の源泉も辿るような感覚もある。
例えば、「礼」の具体的事象。通勤の途中で通り掛かる人におはようと言って微笑み、その人が同じように挨拶を返してくれれば、二人はお互いに前向きな姿勢を徐々に高め、相手を気遣うようになる。相互に親切であろうとする心構えができるであろう。儒教の理想はこのような「礼」の実践を通じて同胞への気遣いや情を養うこと。
孔子は我々が刑法を頼りに社会を管理すればトラブルを避けられるかもしれないが「恥」という道徳感覚が涵養される事は無い。「礼」の実践を通じてのみトラブルを避けられる。従い、法や刑への重度の依存は社会機構の劣化を示している。孟子も人間と動物を分つのは適切な人間関係を結ぶ点を指摘する。この辺は、人間社会の関係性の基礎にあるべきは、制度か礼かという論点を明確にしている。
議論は深まり、制度ではなく人間の美徳と悪徳へ。アリストテレスも、内面の健康は外面より大切であるとする点で儒者と同一。王陽明は、コントロール不能な悪徳を抱えたり、美徳に欠ける原因を二つ。第一に人はいわゆる気や気質と言う身体的・精神的な素質を持って生まれてくると言う事。第二に環境の影響受けると言う事を挙げる。
礼から徳へ。そしてこの話は、トロッコ問題の応用編に発展。世の中、どちらの損失、被害を選択するか、そこに個人の得失が結びつく判断が必要な事など日常茶飯事。個人の得失に肉体的損傷、命のトリアージ的テーマが混入すれば、トロッコ問題だ。
ここでは、親の悪徳を訴えるべきか。親を守りたいという孝と社会正義は矛盾しないという立場が孔子。親を訴えるのではなく、親を諫めるべき。国ならば、諫言する大臣になれと。分からない。社会正義などクソ偽善という気もするが、その共通概念を持たねば成立しない関係性もある。しかし、その関係性におけるロールプレイを思えば、自分は警察の役割まではいかないから、親を通報などしない。自らの心の法律、価値基準で諌めるに留める程度。孔子が言っているのも、公私価値観が重なるか否かの程度問題に過ぎないが、同意見。面白い本だ。