あらすじ
2060年代、人類の一部は惑星パックスに植民を開始した。だが植物学者のオクタビオは、この星の植物が知性を持ち人類を敵対的だと判断すると排除されてしまうことを知った。人間が生き残るためには、植物との意思疎通と共生が不可欠なのだ──。7世代100年以上にわたる植民コロニーの盛衰と、植物との初めての接触(ファースト・コンタクト)の物語。解説収録/七瀬由惟
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Posted by ブクログ
「地球の長い午後」を彷彿させる物語。だか、この長い本編は色々な顔をみせる。
環境破壊、戦争などで地球を捨てて、この惑星にたどり着いた第一世代。着陸時の失敗で彼らは便利な物資を宇宙空間に取り残しており、ほぼ丸裸の状態から、この惑星で生活することになる。
ここから始まり物語は、ファーストコンタクトや捨ててきた争いなどを含みながら、何度も視点変えて、百年続く。
久しぶりに骨のあるSFを読んだとも思うが、流石に時間がかかってしまった。
続編が出るということなので、彼らが新しい日々をどう過ごすか、見守りたいとも思う。
「水と日光を」
Posted by ブクログ
読みはじめてすぐに、本書帯にある『21世紀の『地球の長い午後』』の文言に共感することになる。確かに雰囲気が似ていると感じた。本書は異星への植民に形を変えたポストアポカリプスものの物語だ。地球産の優れた装置も知識も徐々に失われていく。植民世代が去ると大きく失われるものがある。体験を共有できないので全てを次世代に残すことができない。知識も急激にすり減り地球人はパシフィスト人へと変化していく。
帯のもう一つの文言『新世代のル・グィン』は過剰な表現。本書著者にはル・グィンほどの切れ味鋭い観察眼は無い。例えば、本書は意図しているのか不明だがリーダーが女性ばかりである。その点についてル・グィンなら共感できる意図や良否をキャラクター達の心情や独白にサラリと、しかし多面的に混ぜてきそう。本書には感心するような問題意識や良識はないし、人間性にも偏りを感じる。「(西の)良き魔女」にはほど遠い。
内容は面白くない部分と面白い部分が交互に現れるような印象だった。
異種族の生態や少人数での冒険は面白いのだが、人々が”群れ”になると途端につまらなく、というのか非現実的で愚か者の集まりになり見ていられなくなる。
この物語は終盤でも200名程度の大きさの集団で、もっと少人数、数十人の時期も長い。そのくらいの人数ならばほぼすべての人が最低でも顔見知りという親密さで、また、完全に孤立している集団なのでそれぞれが専門性を持って集団に貢献するスペシャリスト集団(それでいてお互いの業務をある程度補えるジェネラリスト的側面も持つ)だ。専政でも無いので意思疎通もスムーズなはずで、その集団の集合知が作中で全く生かされていないのは惜しい。
序盤の第二世代の部分ではこの面白くない部分が強く出ていて、途中で読むのを止めようか迷った。
この第二世代の物語の多くの部分は、苦労も知り有能だったはずの老いた第一世代への違和感が強く、ネガティブな感想ばかりが並んだ。
目的地をより良い惑星に変更できるレベルのコンピュータがあるのなら冷凍睡眠中に惑星の気候データを十分に取ることができただろうに30年以上も経ってまだハリケーンで家が何度も壊され、被害も出ているのにそれに対する根本的な対策を軽視しているというのはどういう頭なのだろうか?着陸当初はともかく、余裕のある時に施設をすこしずつ改良、強化していくのは人間のサガだと思っていた。
また、30年も経っているのに、人口も倍増しているのに、周辺の探索をしていないのはどういうことだろうか?未開の土地であれば集落付近は緊密に、より縁辺部は粗く調査をするはずだ。優れた知性を持って未開の惑星に行く気概もあるのに集落運営のアンバランスはどうにもいただけない。地球を知っているからこそ、より安全に、楽に暮らせるように考えるのが普通だろう。
人口が少なく高齢化率が高いのに簡単に人的資源を浪費するような思考も考えられない。特に貴重な地球由来の高等教育を受けた人材や若者をつまらない理由で殺す??? 争う地球が嫌で出てきた人間が地球と同じことをやるのか?知能が高い少数精鋭の集団で???
と、いう具合に不満が列記できる。
『解説』では本書の物語の書き方を『薄っぺらなプロットを分厚い三部作に仕立て上げる最近流行のSFを皮肉り・・・』と肯定的に見ているが、私は「書く力が無かっただけではないか」と疑っている。
前述の第一世代についても30年での変節の理由にフォローが無い。指導者がベラに変わったが、それだけが理由ではあり得ない。それだけでは「ポーラは長い間何をしていたんだ」となる。途中、『竹』の描写から、共生する植物が食物に含める化学物質を組み替えることで人間が無能となるようコントロールしていたのかと疑ったが、スノーヴァインはそれほど賢くないらしいので伏線ではなかった。
惑星パックスの大きな重力や、時間感覚の違い(; 1日は20時間、1年は490日。パックス歴の1年は地球の約1.12年に当たる)は、物理過程(矢の飛び方)や生理的な部分にも影響がありそうだが、そこも上手く機能することはなかった。
竹 = スティーブランドについても途中のやりとりが省略されていて、次世代に入るとかなりスムーズに話すことができるようになっているのでなんとなくモヤモヤする。意味ありげに現れた竹の数字もなぜ三進法なのか(茎と双葉か?3つの性を持っているから?)は特に説明されることも、人間との差異を示す小道具にもならなかった。知性ある植物とのファーストコンタクトならその部分も深掘りすれば良いのにと思う。
また、無理に年代を飛ばした一本道の世代ごとの話ではなく、年代を無視したオムニバス形式で一つの事件を別の目線から見られるようにしたり、時間をさかのぼって裏話的に物語を厚くしたりしても良かったのではないかと思った。
植物に意識があり、地下で化学物質を媒介にコミュニケーションをとっている設定は面白い。実際、植物は異種間であっても菌類や共生細菌を介して物質のやり取りをしているようなのでそこから発想を膨らませたのだろうか。植物と動物の主従関係が地球とパックスで逆転しているのも面白い。中盤で竹が地球の植物がやって来ていないのを訝しんでいるのも良い。
『ガラスメーカー』の匂いによるコミュニケーションも面白い。これも化学物質を媒介とする方法だが、嗅覚という意味では人間の感覚に近い。とはいえ、視覚でも聴覚でもない情報のやり取り(双方向だ)は意外で盲点だったので驚き、面白かった。
中盤、第四世代の部分では『竹』に対する不信感を上手く描けている。
ミステリーで「ずっと仲間だったキャラクターが黒幕だった」展開を想起させられ、人間の物語とは別のところで気になってしまう。この描写で第一世代の愚かさも植物が低栄養状態(= 奴隷化)となるように実をコントロールしていたからかもしれないと思わせられた。
終盤では竹は勤勉で賢く、素直な性質(ただ、どうも『2001年宇宙の旅』のHAL9000と重なるように思えてしまうので常に味方かどうか・・)だと理解できるが、これはスティーブランドの考えを“神の視点”で読むことができるからで、物語の中の人物だとしたら信頼することができるかどうかわからない。タチアナは最後まで警戒し、注意深く監視することを後任者に引き継いでいる。せっかく世代を引き継ぐ物語なのだから、このタチアナのドクトリン(?)を継承した”有能”な懐疑的人物あるいは懐疑派を上手く機能させて、それを乗り越えての植物と人類が手を携えるパックス憲法ならば犠牲の中にも救いのある、厚みのある物語になったのになと、やっぱり著者の力量を残念に思ってしまう。