あらすじ
第14回小学館ノンフィクション大賞受賞作。
戦後、沖縄の自立のために多くの事業を起こし、大宅壮一に「沖縄に男あり」と言わしめた“海の女王”初の本格的評伝。照屋敏子(1915~84)は沖縄・糸満生まれ。幼い頃に両親を亡くし、16歳にしてセレベス島へ駆け落ち。19歳で結婚し沖縄に戻るも、空襲を受けて福岡に疎開、終戦を迎える。戦後の混乱の中、沖縄出身者を集めて漁業団を結成。女頭領として頭角を現わし、舞台を南太平洋にまで広げていく。その後、米軍占領下の沖縄に帰った敏子は、ワニ皮バッグなどを揃える「クロコデールストア」を開業、無謀とも思えるほど多くの新規事業を提唱・実践していった――。まさに「女傑」と呼ぶべき沖縄女性の波瀾の生涯を描く。第14回小学館ノンフィクション大賞受賞作。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
沖縄独立を夢見た伝説の女傑 照屋敏子。高木凛先生の著書。有能な実業家として大活躍された照屋敏子先生。女傑とされているけれど、男勝りの強靭な精神力や行動力に加えて、女性ならではの感性や人間力があったからこその大成功であったのだと思います。沖縄問題の現状、照屋敏子先生ならどう考えるのでしょう。
Posted by ブクログ
以前『ナツコ 沖縄密貿易の女王』(奥野修司著、文春文庫)という本を読んだときに、この本のことも知ったはず。ようやく読めた。
敏子もナツコも戦前・戦中もたくましく、さらに戦後の混乱期をたくましく生きた、まさに女傑というべき人たち。こういう女性を輩出するっていうところがいかにも沖縄っぽい感じがする。
もっと、言動の端々まで沖縄独立を訴えていたのかと思っていたけどそうではなく、いわば市民運動的な言動でそれを訴える人ではなく、自ら沖縄に自活できる産業を興そうと頑ななまでに頑張った人だったという印象。
著者はルポ作家とかいうわけでないせいか、文章にはちょっとこなれていない感じのところもあるけど、敏子の奔放な生き方が面白くてどんどこ読んでいける……のだが、やっぱり敏子の実像がいまいち伝わってこないなあ。本人に会ってない人が脚色なく書いた評伝ってこんなもんかな。
Posted by ブクログ
戦後沖縄のベンチャー事業カリスマ経営者、と言ったところ。
しかし、前読の金城夏子のほうが、クレバーな事業家だったように思う。
こちらは姉御肌度高め。
いずれにしても、英雄伝的な物語(ノンフィクションだけど)の場合、男だと力か頭脳がもっと際立ちそうだが、女だと情感度多めになるのが不思議。
Posted by ブクログ
1915年沖縄県糸満市生まれ。9歳で魚売りを始め、10代で南洋にわたっては黒檀のステッキなどを仕入れてくるようになる。19歳で結婚。やがて戦争がはじまり鹿児島に疎開するが、戦後まもなく福岡で漁業団を結成し、海の女王と呼ばれるようになる。しかし4年後、敏子の得意とする沖縄式漁法は禁止され失業。
その後、家を担保に入れてシンガポールの華僑と手を組み、水産会社を立ち上げるも、華僑の手口にやられ、再び失業。シンガポールで無一文になってしまう。
しかしここでくたばらないのが照屋敏子。シンガポールから持ち帰ったワニ皮バッグ3点をもとに商売をはじめ、「クロコデールストア」を設立。43歳。それが大当たりしてビルまで建てるほどの繁栄を極める。稼いだお金で土地を広大な土地を入手しては、マッシュルーム栽培、メロン栽培、車エビ養殖と次々手がけていく。失敗も多いので県民からの批判の声も大きいが、「沖縄に地場産業を。」と願う気持ちは誰にも負けない。 照屋敏子の、沖縄を発展させたいと意気込む前のめりな生き様に感服です。
そして、脚本家高木凛が、照屋敏子を題材にドキュメンタリーを書くことになったきっかけが、シャンソン歌手石井好子という共通の友達だったというのも興味深い。
敏子は評論家大宅壮一とも親交が深かった。
大宅との対談の内容と、大宅の沖縄の見方の記述が印象的だったのでここに書き写しておきます。
《大宅壮一さんと対談しましたときに、「沖縄が日本に復帰しても(略)産業のない民族というものほど哀れなものはない。いまにパインも砂糖も売れない時代がくる。いま、日本が甘やかして沖縄のものだからと言って買ってくださることは有難いけれども長続きはしない。日本もそんな甘やかし方をすれば後で困るのではないか」と言ったことがあるんです。》(敏子談)
《ひめゆりの塔に示された異常な忠節をたてることが、これを二度と繰り返さぬ保証にはならぬことである……主体性と批判力を欠いた忠誠心それ自体というのは、ムチとエサで動くサーカスの動物に似たもので、善用される場合もあるが、悪用されるほうが多いから、すこぶる危険である。こういった忠誠心の特産地と見られている日本は世界の沖縄であり、沖縄は日本のなかの日本である。》大宅壮一著@文芸春秋