あらすじ
追いつめられているのは、あなただけじゃない。疲労困憊しながら長男の嫁として義理の父を支える日々。文藝賞受賞の実力派作家が、実体験を交えて、理屈と本音に揺らぎながら、介護と看取りを描く新たな「世間体」小説の誕生。
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Posted by ブクログ
谷川直子さんの軽妙な文体がその軽妙さとは裏腹に薄っすらと寒気を感じるような怖さが時折迫ってくる、そんな小説でした。地方の村落共同体、義父の介護、長男の嫁という強烈なワードでこの物語は語られる。いまだ機能し続ける地方における『世間』。ここでは個人は個人として振舞うことを決して許されず、共同体の構成員は主に役割に相応しい振る舞いが半ば強制されている。そこに介護が絡むともはや無間地獄かと思われるが、地獄は地獄でも時折ボケ老人のチャーミングな言動や、そこに生きるたくましい女たちのバイタリティと処世術に、ふと学ぶことの多さを感じる。歳をとって失うものはたしかに増え続けるが、そこで削ぎ落とされて露わになっていくかつての体裁の下に眠っていたものの力強さに目を見張る。老いるとは、死への旅路とは決して失われていくだけのものではないということが。あるいは長きに渡って埋没していた個、役割から解き放たれた本来の自己を再発見するために老いというものはあるのかもしれず、そう思うと介護という過酷にすぎる現実にも何かしらの意味というものがあっていいのかもしれない。死にゆく者へ費やされる時間が無駄なわけがない。そして介護される者だけではなく介護する者にとっても、それは自己を再認識する機会ともなり得るのかもしれない。他者に尽くすということが自己再生なり自己救済になるとも読めるこの物語の根底にキリスト教的な下地があるとする読みは流石に深読みだろうけれど、この作品を読み終わったときに訪れる魂の浄化の感覚はたしかな実感の伴うものだった。『私が誰かわかりますか』という言葉が、叫び声だったとしても、あるいは祈りだったとしても、たぶん本当にはその答えは必要ではない。言葉にした時点でもうそこには意味があるのだろうから。
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認知症になった夫の父親を、長男の嫁として看取った桃子の話。
姉妹の長女で、一人息子の長男の嫁である私は、70代後半の両方の両親が幸いとても元気でいてくれているので、この先の4人の介護には、ある意味心づもりはしています。でも、もしかしたらまだ覚悟は出来ていないのかもしれません。
この手の本を読む度に、他人事でない、切実、とあれこれ思いを巡らせますが、いつか来るその時には、人としての尊厳を大切に、尊敬の念を持って接する介護が出来たらと思っています。
最後の5ページ、死と老いと世間への考察が深い。
世間に縛られていた桃子でしたが、介護には世間の目が必要と気づき、義務感が義父への愛情へと変わっていったのは、義務を果たした故なのだと思わされます。
「私が誰かわかりますか」の質問への答えが、最後まで「桃子じゃろ」だったのは、桃子への最高のご褒美だったと思います。
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田舎の長男の嫁の置かれた過酷な現実。人間の内面の酷さ、世間の冷たさ、現実を誇張せず隠しもせずありのままに描いていた。重たい問題なんだけどさらりと書かれているのでさわやか。介護の病院で働く桃子が主人公。理不尽なことの多い介護だが義務を果たした者だけが見れる風景があることに慰められる。看護、介護は避けて通ることができない。だからする側される側も幸せでなければならない。お互いにありがとうの感謝の気持ちを忘れずに。
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地方の長男の嫁、私は2ヶ月で義両親との同居を解消したので、この本の中の長男の嫁のように我慢をするとか無理だなと…読んでいるだけでも苦しくなる。他に世話をしてやるものがなければ、受けて立たないとと奮い立つ女の人たち。私たちの両親の世代くらいまでは、何の疑問も持たなかったのだろうか。介護、老いていく親、夫との関係、苦しい読書時間でした。
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リアルです。本当に。
読んでて辛くなるほど。
外から見ると異常な村の中の“常識”と、長男の嫁と言う立場。
時代遅れな男尊女卑。
でも、田舎の親戚付き合いって本当にこんなもんです。
都会の人から見れば頭おかしいけど、これが当たり前で日常なんですよね。
色んなパターンの介護の話。
読んでいて思ったのは、もっと協力的な旦那さんが居たなら…
話を聞かない、手を出さない…そんな長男ばかりでは無いはずだと思いたい。
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テーマは介護と看取り
キーワードとなるのは「長男の嫁」
再婚を機に東京から地方都市に移住した桃子を待っていたのは義理の父の介護
「長男の嫁」と言うだけで当然のごとく介護を押し付けられてしまいます。
義父を在宅介護する友人の恭子、育児と仕事と介護の三つ巴につぶされそうになる瞳、死んだ夫の両親に家政婦のように扱われている静子
この3人も「長男の嫁」
昔に比べれば少しは変化したのかも知れないけれど、本作に登場する村社会では介護=長男の嫁の義務と言う思想が根強く残っています。
私の周りには自分の親の介護でさえ一杯一杯になり苦しんでいる人もいるのに痴ほう症を患う義理の親の介護を嫁がするのが当然の事だと思われたら救いがありません。
そして感謝されるどころか、「当然」だと思う家族達。
義理の父の下の世話をする妻、心も身体もボロボロになるまで頑張っているのに、全く手助けしない夫やその兄弟姉妹達。
呆れて物も言えません。
世間の目を気にし、奮闘する桃子に感情移入しながら読み進めました。
良心や情をいくら持ってしても、介護は綺麗事だけでは済まされない。
日本が高齢化社会になっている今だからこそ、家族全員の協力、病院、介護施設、ヘルパー等、様々な面での丁寧で細やかな充実を1日も早く実現出来る様になって欲しいと切に願いました。
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読んでいて苦しくなってきた。
けれど予想に反して、着地の仕方が穏やかだった。
桃子は優しいなあ。
地方の長男の嫁の大変さを一身に背負って、あれだけ大変な思いをしながら、最後にあのような感想を持てるなんて。
全国に桃子と同じような「長男の嫁」がたくさんいて、同じように自分を犠牲にしているはずだけれど、桃子ほどやさしくなれるだろうか。
家族の形が変わっていく中で、「貧乏くじ」を引いてしまう女性はたくさんいると思うが、女性の敵は女性、とか考える前に、「ずるいんじゃない?男!」、と言いたい。
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九州の田舎町で義父の介護をする嫁の桃子。
義母、親戚、友人、介護や、田舎のしがらみにまつわるいろいろがかなりリアル。
介護しているうちにわく嫌な感情も、愛おしい感情も、すべて実際にあると思う。
いつかは自分にも訪れる老い。
健康に老いることを目標にしても、病は突然になったりするもので、迷惑をかけない保証はない。
いろいろ考える本だった。
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ボケ−とにかく、油断しちゃダメだよ。期待を裏切ってくるからね
子育てなら苦労してもいつか終わって報われるけどさ、介護って報われないもん。時間の浪費以外の何物でもない
ティッシュを貯め込む 仮性作業/収集癖という
会えいない間に妻を理想化する
夫が妻に対して気遣いを怠るのは、家に換えると同時に(気遣いの)脳のスイッチがオフになっているからだ
高齢出産を選んだから介護と育児がダブルに追い込まれちゃったんです
ふつうボケてくると、男は妻を、女は金を取られるという妄想に取りつかれる
死後離婚 夫が死んだ後に死後離婚すれば、義理の親の面倒を見なくて住む
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長男の嫁なので義理親の介護をしなければならない立場になった女性たちのストーリーがリアルに語られています♪ 福岡近郊の田舎町を舞台に方言を駆使して彼女達の踏ん張る姿が面白おかしく進みながら認知症の親とのやりとりが展開して、読者も深刻にならずに介護に関わる知識や情報が解る仕掛けになっていました。実体験のある作者ならではの内容なので経験ある人も未知の人も読む価値のある好適な作品です!地味ながらもオススメ です。
Posted by ブクログ
老いと、介護される者と介護する者の話。
内容は重いものでしたが、字体は読みやすくて、読後感も悪くない本でした。
衰えていく義父、義母が絡められている「世間」、自分を縛る良心、表題になっている質問に最後に返された「桃子じゃろ」と答えた義父の声。
誰しも最後は死んでいく、必ず終わりがくる。それまで懸命に生きていくしかない。義父の死が桃子に知らしめた事実。
超高齢社会、どこでもありうる問題で、物語として読むことと現実は違うと思いますが、想像することはできるので読んでよかったです。
Posted by ブクログ
2018/11/02Mリクエスト
身につまされる。
誰が読んでも、一つくらい思い当たるエピソードがあると思う。小説だから最後はうまく収まってるけど、現実には、これがまだまだ続く…という人も多いだろうな、と。
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昨年亡くなった父の事を重ね合わせて読ませてもらった。
昼夜逆転、頻繁なトイレ、家に居ても「ウチに帰る」等は認知症アルアルでした。
厳格でしっかりした父であったが、少しずつ壊れていって認知症で皆を困らせたのは、本作品の通りである。
認知症の父を介護している際は、腹立たしい気持ち、寂しい気持ちや父への今迄の感謝の念が交錯していた。
本作品はこれらを上手く表していたし、村社会への反発と底流には深い愛情が描かれていた。
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長男の嫁で介護に直面していると、共感しすぎて読み進めないかもしれません。
特にここに描かれている「村社会」がまだある所だとこの本のように、介護以外に疲れる要素満載なのでしょう。
まだ介護に直面していない人にこそ読んでほしい本ですね。
などと言っていられるのも、まだ直面していないからなのかもしれません。でもこの本でヒントはいっぱいもらえました。
Posted by ブクログ
認知症になった高齢者と家族、特に長男の嫁、という立場の女性を描いた物語。田舎に特有の世間という名前の縛りに翻弄されて疲弊していく姿や、それを求めるかつての長男の嫁であった姑。そして介護を通じての気づき、など、共感のできる物語でした。
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“でも、もしかして、ほんとは我慢強いことなんて、ぜんぜんいいことじゃないんじゃないだろうか。我慢できないと言えないことこそ問題なのではないか”(p.140)
“息子たちにも言ってある。お父さんは私か看取る、私は一人で死ねる、と。”(p.154)
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田舎に住んだことのある人には「そうそう!」と頷けることばかり。田舎の「世間」はめちゃめちゃ狭い。(物理的な広さは、広い。「隣の家」が見えないこともある。)
読み始めは、守と涼世夫婦とその子供の隆行と桃子夫婦の、介護にまつわる物語かと思ったら、読み進むにつれ本家の嫁とか、桃子の美大時代の友達とか、隆行の部下とか、登場人物が増えていき(まあ、皆介護をしているという共通点はあるのだが)、語り手も変わるのでどうなることかと思った。
読み終わると、もう少し守一家に重心を置いても良かったのではないかと感じたが、元校長先生のボケっぷりが面白くて愛が感じられたので、まあいいか。
田舎の辛抱して生きてきた老人のケチエピソードなど、ホントにリアル。電池がもったいないから補聴器をずっとははめないとか、何かに使えるとガラクタを拾ってくるとか。
「何かを作るための材料はいつも山から取ってくるか、どこかから廃材を拾ってくるかしていて、金をかけることなど思いもつかないのが守流だった。なのに、その何かを作るという部分がストンと抜け落ち、木切れだのブリキだのを拾ってくるという習慣だけが残っているのは不気味で貧乏くさいだけだった。」(P21)
桃子さんは「嫁」となって5年しかたってないし、地元の人間でもないのによくやったな、と思う。物語自体が老いを肯定的にとらえていることには好感を持ったが、小さな世間が社会の良心を支えている、というのはどうかな、と思った。もちろんそういう側面もあるだろうが、長男だから、長男の嫁だからと介護を押し付けられたり、しなきゃしないで長男のくせに嫁のくせにと言われるような、それがストレスで老親を殺してしまうなんてこともあるわけで、いいことばかりじゃない。もちろん、桃子さんも疲弊して「付添いさん」を頼み、それによって救われたことも書いてあるのだが、付添いさんの時給は安いし、あくまで個人的な依頼の形なので全額家族持ち。(だから、時給も安くなるわけだが。)しかし、これに税金を充てれば、国はますます財政難。少子化で、どうすればいいのか、と読んでいる方が頭を抱える。
この本の中の老人のように家族が看取ってくれる人ばかりじゃないが、老いや死は人を選ばない。
本自体は面白く読んだし、介護をする家族のリアルな姿が描かれていたとは思うが、桃子さんのように「辛かったが、良かった。舅は愛しかった」で終われない人もいっぱいいるからなあ。
Posted by ブクログ
再婚を機に地方都市に移住した桃子。
「長男の嫁」として、認知症の義父を介護する。
ほかに桃子と同様、介護に明け暮れる3人の女性の姿が描かれている。
生き切るというのは大変なこと。
終盤、説教臭くなりがちなテーマを
サラッとまとめ、誰にでも起こり得る
介護について、読者に優しく寄り添ってくれる一冊。
Posted by ブクログ
親の介護は僕ら以上の年齢になってくると、大々的に関わりで出てくる事柄です。しかも僕らもあと20~30年経つと介護される側になる可能性大です。
本来喜ぶべき長寿ですが、自分としては痴呆になってまで生きたくないというのが正直な所だし、ほとんどの人が尊厳を失ってまで生きていたくないと思っているでしょう。
それなのに痴呆になってしまった時、意思表示できないが為に、延命までされてひたすら生かされるなんて本当に悲惨だし誰が望むんだろうか・・・。
読んでいるうちに鬱々とした気分になってくるのは、家庭での介護の出口の無いトンネル感良く書けているからですうしようも無い状況の人ではなくて、自分の家族内であり得る内容だから余計に刺さるんでしょうね。
色々な家族が出てくるので一瞬誰の事か分からなくなる部分はありますが、これくらい頭使った方が将来ぼけにくいかな・・・。
Posted by ブクログ
両親に「私が誰かわかりますか」と聞く日がくるのだろうか?
それは誰にもわからない。そんなことになっても否定せず受け入れることができるのだろうかね?
ましてや義理の両親となると……。自分の親をみるということで取り決めておかないと、とっても負担が大きくなりそう。
Posted by ブクログ
「私が誰かわかりますか」というタイトルは、高橋源一郎氏の元奥様で、PINKHOUSEの服が大好きで、競馬場で芦毛の馬を応援していた高橋直子さんって今何してるんだろうね、と思ってた私のような昔の読者に向けてのものでもあるのかな、と。
人生は各段階を経て変わっていくものなのですねぇ。