あらすじ
「魂の退社」「寂しい生活」に続く書き下ろし。
今回の内容は、あえてなんの準備もせずに、もちろんフランス語なんてできない状態で、フランスのリヨンに行って14日間滞在したという旅行記。
旅の目的は、「現地でしっかりした、日本と変わらぬ生活をすること」。それはすなわち「周りの人としっかりコミュニケーションをとってつながること」。
日本語が通じない異国の地だと、その人の「在り方」というのがむき出しになり、より本質的な人との関わり方の姿勢が問われることになる。稲垣氏は、その試行錯誤の中で「人とつながることの幸せの形」を見出している。
その様子が、稲垣氏独自の軽快な文章で表現されていて、笑わせてくれたり、ホロっとさせてくれたり……と、とどんどん引き込まれていくうちに、最後は感動させてくれるものとなっている。
また、エアビー(民泊サイト)の利用法を始め、ホストとのつきあい方や、フランスのネット事情、マルシェ(市場)の様子、買い物の仕方、カフェの様子など、海外の民泊を利用しようとする人や、フランス旅行をする人に参考になる情報も満載となっている。
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Posted by ブクログ
アフロの稲垣えみこさんがリヨンで生活した2週間を書いたエッセイ。面白くてあっという間に読んだ。
どこでもドアでよその国に飛び出し、いつもの自分通り生活して、そこに前から住んでいる人に薦められたものを食べたり見たり、自然体で過ごせたら楽しいだろうな(女一人がエアビーで民泊に泊まるのは心配ないのだろうかと、小心者の私は不安に思うのだが)。気負わずちょっと出かける感じで旅できたら・・・と旅心を刺激された。
稲垣さんの素晴らしいところは、旅を通じて自分が何を求めて毎日生きてきたかに気づくところ。旅は決して変身の場ではなくて、むしろ本当の自分が現れる場なのだ。
Posted by ブクログ
他人とコミュニケーションを取ろうと思ったら、まず、自分が何者かってことが前提なんだよね。自分が心から知りたいこと、心から興味の持てることがなければ、言葉が多少できようが、コミュニケーションなんて取れない。っていうかそもそも取る必要もない。
なので懸命に考えました。どこに行っても通用する、今私が心から興味があるもの、普段から真剣にやってるものって何だろうと。で、そうだ「生活」だ!って思ったんです。
父の近所にもこんな場所(近所のカフェ@フランスリヨン)があったらどんなにいいだろう。何の目的もなくても、毎朝200円のコーヒーを飲みに行くだけで大歓迎される場所があったなら、人生の孤独は全く違った様相を帯びてくるに違いない。
いくらお金持ちだろうが地位があろうが特技があろうが、態度が悪ければ誰にも受け入れてもらえません。つまりは私はこんな人間なんだといくら言葉で主張してもダメ。そんなこと誰も聞いちゃいない。相手に敬意を表して行動すること。つまりは周囲をよく観察し、場のルールを守り、控えめに徹し、しかし笑顔できちんと挨拶。それを辛抱強く繰り返す。
若い時は「選択」したいと思っていた。でも今は「ご縁」で動くのがウレシイ。
毎日マルシェに行って、新鮮なものを必要なだけ買い、その日のうちに食べる。以上、実に単純。保存のための添加物も、余分なパック包装も必要ない。ついでにフードロスもない。
毎日マルシェに行けば、店の人と顔を合わせて話をすることになる。マルシェではおじいさんやおばあさんが買い物を楽しんでいるのがやたら目につく。年をとると社会のお荷物になったかのような気持ちになる。そんな時、日々の買い物で、馴染の店主がいつもの笑顔で「あらマダムこんにちは!ご機嫌いかがですか。で、今日は何にします?」と言ってくれることが確実に人を救うのだ。
「お世話になった人に感謝を伝えよう」という作業は、思いの他楽しい作業であった。
もはや私の世界は無限であった。私は私であればいいのである。そのことだけで、世界とつながっていけるのだ。
Posted by ブクログ
元朝日新聞記者で、今ではモノを持たない生活でおなじみの稲垣えみ子さんが、思い立ってフランス・リヨンに14日間滞在し、「日本でしていたような生活を海外でする」ことにチャレンジした滞在記である。
……読んでいて、しみじみと、稲垣さんは「人間」というものを愛しているんだなー!と思った。
リヨンで「誰からも必要とされていない」という事実に落ち込み、どうしたら言葉が通じないフランス人たちと心を通わせられるかを試行錯誤し、周囲の人たちを熱心に観察し、最後に発つエアビーアンドビーの部屋を「本当にお世話になるばかりで何もお返しできないから」とピカピカに掃除し、宿主と上階の住人に手縫いの刺し子とお花をプレゼントしたりする。しかもそれら全てが、「私の生き方はこれだから!」というような美意識からではなくて、「そうしたいからそうしよう!」という自然な気持ちから出てくる。
稲垣さんの心を通すと、エアビーアンドビーの宿主からの対宿泊者レビューさえも、評価システムの一部ではなく、「私がこれから世界のどこに行っても通用する『居場所』を作ってくれたのだ」という美しいものに変わる。私は、こんなに美しい「レビュー」というものの捉え方を見たことがない。このくだりには本当に感動した。
一方で、私自身には、ここまで人間、他者に対する愛……というものは、ないな……という事実も実感してしまった。
稲垣さんが笑顔をやりとりした市井の善良な人々を文章に追いながらも、私の脳裏には「こんないい人なのに、もしかしたら裏ではひどいヘイト発言をしてたりするのかもなぁ」「女と見ればすぐにセックスしようとする男も、最初はこういう好ましい言動をするから、気が抜けないんだよなぁ」みたいな哀しい疑いがちらちらと浮かんできたりしてしまった。
稲垣さんは、モノがなくても幸せに生きていけるよ!と高らかに謳うのだけれど、そのためにはもしかしたら、人間や他者への愛が必要で、それがない私には、果たして「小さく生きていく」ということは不可能なのではなかろうか……という恐ろしい思考が、ずっと沈殿している。
Posted by ブクログ
何か行動をとる時に自分の中に生まれる雑念の数々、事細かに綴られていて、著者の板状況を具体的に想像しながら楽しく読めました。
そしてこうやって、やってみた経験を文章にして物語ることを仕事にできるのは強いと思った。本にする、世に出す、ことだけではなくても、つらい経験をしている中でもそれをネタにできる、と思って人は物事を乗り越えたりする、その時にたぶん必要なのは読み手、聞き手、乗り越えた先に待っている人、戻る場所、とかなんじゃないかなーとよく思う。
そうやっていろんな経験を経てそれを伝えることで、他者を勇気づけられる人にもなれる、と考えたりしながら、何とかやっていっているのかな。
Posted by ブクログ
元朝日新聞の記者で原発の事故後退社して、電気をあまりつかわない生活をしていることで知られる稲垣えみ子さんのフランスリヨンでの民泊体験記。
フランス語や英語もそれほどできるわけではないと本人は書いているが少しはできるようである。
いわゆるパック旅行とは真逆の観光地をめぐらず、地元の人たちと同じようにリヨンという街で生活してみようとし、どのように現地人と交流できるかと四苦八苦する本である。
もう少しフランス語を勉強すればもっと面白い旅になりそうだと思ったが、本人はできるだけ自然体で(ありのままの自分で)フランスの人と人間的なつきあいができるか挑戦したような旅である。
稲垣さんは滞在先のフランスでもパソコンを開いて、日本からの仕事をこなす(文章をかいている)。
日本のスーパーでは誰とも話をせずに買い物ができてしまうが、フランスのマルシェでカタコトのフランス語でコミュニケーションをとろうとする稲垣さんの姿勢は反原発の彼女なりの運動(社会的な運動ではなく、彼女の私的な)なんどと思う。
それは笑顔と気遣い、思いやりに実満ちた社会の古構築をめざす運動と言えるだろう。