あらすじ
ある日突然見えるようになった、不思議な数字。それから母親の料理を食べるごとにカウントは減っていく。もしかして……数字が0になった時、母は死ぬ? それ以来僕は、母の手料理を一切食べなくなった。避けるように一人暮らしもはじめた。これで母は健康でいられる、長生きできる。たとえどれだけ悲しい顔をされたとしても。しかし、ラストに彼は思いもよらない真実を知らされる――。表題作ほか全7篇。限定回数をもとに描かれるオムニバスストーリー。
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Posted by ブクログ
今までに出会った物の中で、最も感情が揺さぶられた本。
同じ感想を抱いている人もいたが、
最後の最後ゾワッとした。
1話目は、一番生き方を考えさせられる。
6話目、平和で面白くて読んでるうちに笑ってしまう。
全体を通して笑ったり泣いたり考えさせられたり、
心が豊かになる
オススメの本は?
と聞かれたときは、とりあえずこれを勧める。
Posted by ブクログ
表題作ほか全7つのカウントダウンオムニバスストーリー。
涙するものから面白いものまで、考えさせられる作品だった。
いろんな話を楽しめた。
それぞれ良さがある。
最後の話の最後に鳥肌がたった。
当たり前のことを当たり前と思わないこと。いつまであるか、続くかわからない。
もし自分の視界に残り○回と数字が見えたなら、何を思い、どう行動するだろう?
Posted by ブクログ
「何か」の残りの数字がいきなり表示されるようになった人たちのオムニバスストーリー
雰囲気としては世にも奇妙な物語
母親の手料理を食べるごとに減っていくカウンターの数字
「数字が0になったら母親は死んでしまうということでは?」という発想から母親の手料理を頑なに食べまいとするが
はたして、その数字の意味とは?
実家に帰った時に読んだので、こういった感覚を意識してしまった
母親が85歳まで料理するとして、僕が実家に帰るのが1年で計7日間くらいとすると、1日3食で315回
この数字を大きいと見るか小さいと見るかだけど、意外と少ないなぁ
話の回数と大体近似してるあたりに、なおさらの焦燥感
毎日3食食べた場合は3ヶ月半と考えるとものすごく少ないよね
いやぁ、いいタイミングで読んでしまったなぁ……
他の話では
「自分に電話をかけられる回数」
「授業に出られる回数」
「不幸が訪れる回数」
「嘘をつかれる回数」
「遊べる回数」
「生きられる日数」
展開の予想を一番覆されたのは「授業」の話かな
大学行ってもまだ多いし、大学院も?もしくは社会人になってもセミナーとかそんな回数もカウントするのか?とか思ったけど
言われてみればそれもそうだなと、思い込みにやられてしまった
ってか、そんな計算は数学どころか算数だろ!と序盤に突っ込みを入れながら読んでたので間違えてしまったのかね
他の話でも両親や生涯のパートナーに関するエピソードが色々とあって、今の僕には結構響いた
Posted by ブクログ
もうタイトル見た瞬間から涙腺が緩んでいたほど、ズンと来る本でした。
短編集。表題作はとても短いけれど、なんとも…なんとも…。想えば想うほど、その対象を傷つけることになるジレンマに視界が歪む歪む。
しかし、そっちか!!となりましたよね。うまい。でも実のところ、「そっち」でもないと。もっとちがう次元の話なんですよね。
いつか死ぬ生き物には、見えないだけであらゆることにリミッターが存在している。呼吸の回数、瞬きの回数、ありがとうっていう回数、人を傷つける回数、流す涙の回数、声を上げて笑う回数…。あらゆる限定的なファクターの中で生かされている虚しさ、哀しさ、尊さ。うーん。この人生を大事に生きよう。
表題作と電話の話とおじいちゃんの話が好きです。逆に言え他の話は少し物足りない感が。
Posted by ブクログ
「わたしのげぼく」を読み ものすごく興味を持った作家さん。
よくできているオムニバスストーリー。
突然見えるようになった不思議な数字。その少なくなっていく数を見ながらの生活は 想像を超える心の葛藤があるだろう。
「授業」と「嘘」か良かったな。
Posted by ブクログ
意識して数えることはないような残り回数が可視化されたら、というテーマで書かれた短編集。どの回数の話も何となく切ない。
ちょっとだけ他の話と繋がっていたりもして、ほろっとする感じでした。良かった。
Posted by ブクログ
視界の隅に出て、カウントされていく数字達。
色々な数字がカウントしていかれるわけですが
初っ端から、これはきつい、なカウントが。
けれど、これは確かに逆もありうる、という事で…。
彼だけ、最後の話にも出てきます。
もしかしたら他の人達も、他で出てきているかも?
気が付いてないだけで…w
幸せなカウント、怖いカウント。
そして最後の話の、主人公のおじいさん。
分かっているのは、それはそれで
幸せなのかも知れません。