あらすじ
明治維新の混乱のなか起きた日本美術の海外への大量流出。そのとき海を渡った作品の中には国内に留まっていたら国宝間違いなしと言われるものも多数含まれていた。フェノロサやビゲローといった著名コレクター、エドワード・モース、フランク・ロイド・ライトのような意外な人物、そして林忠正や松方幸次郎ら日本人まで、当時の記録を丹念に読み解くことで外国人による日本美術買い付けの実態を明らかにするとともに、いまも続く美術品流出の是非を問う。
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Posted by ブクログ
日本の歴史や美術史を読んでいると、しばしば海外の美術館の名を目にする。絵画をはじめとする美術品が海外に渡ったいきさつが書かれている。美術品の海外流出をとおして、文化財と社会の関係について考えさせられた。
古美術品の最大の流出時期は明治維新の混乱で、大名家や仏寺から絵画や美術工芸品が溢れ出た時だ。つぎは大戦後の混乱時の鈍翁のような蒐集家や旧家が極上の美術品を手放したときだ。
一方それらを蒐集したのは、明治維新後にお雇い外国人としてやってきたモース、フェノロサ、キヨッソーネや蒐集家のピゲロー、フリーア、フィッシャー夫妻、戦後のドラッカーやプライスのような愛好家達だった。彼らは自分の眼力を頼りに価値を見いだし、蒐集した。そして蒐集品は美術館に収まった。キュレーターとしての天心や画商の山中定次郎、林忠正なども流出に関わっている。浮世絵のブローカーの顔をもつライトのような人物もいた。
逆のケースもある。川崎造船社長の松本幸次郎は、ヨーロッパに流出した浮世絵や印象派を中心とする作品を集めた。それらは紆余曲折のあと、帝室博物館(浮世絵)や戦後になるが国立西洋博物館(西洋画)に収まった。後者にかんしてフランス政府は、ゴッホの作品など西洋画こコレクションの一部には、日本への移動を認めなかった。海外流出に対する一つの応え方であろう。
この本に登場する蒐集家たちは、日本美術を理解し、愛した。フェノロサやピゲローの墓が琵琶湖を望む寺院にあるのは、その証だろう。ドラッカーやプライスらもそのような愛好家だった。今日の若冲人気は、プライスのおかげである。この本では触れられていないが、ドラッカーやプライスのコレクションのように里帰りするのも、日本を愛したコレクターゆえだろう。