【感想・ネタバレ】大人の道徳―西洋近代思想を問い直すのレビュー

あらすじ

2018年4月、小中学校で「道徳」が「特別の教科」化され、児童生徒の評価対象に加えられることになった。
しかし、そもそも日本人にとって「道徳」とは何だろうか? この問いに答えられる親や教師はいるのか。

なぜ「学校」に通わなければならないのか?
なぜ「合理的」でなければならないのか?
なぜ「やりたいことをやりたいように」やってはダメなのか?
なぜ「ならぬことはならぬ」のか?
なぜ「市民は国家のために死ななければならない」のか?
なぜ「誰もが市民でもあり、奴隷でもある」のか?
なぜ「学校は社会に対して閉じられるべき」なのか?
そもそも「人格」「自由」「民主主義」「国家」とは何だろうか?

こうした基本的な問いをマクラに、ポップなイラストを織り交ぜながら、まず道徳の前提となる「近代」とは何かというごく基本的な意味から説き起こしていく。

ベースとするのはデカルト、カントの人間観と道徳観、ホッブズ、ロック、ルソーの国家観と市民観。
さらに中江兆民やレジス・ドゥブレなど、共和主義やリベラリズムの伝統もふまえながら近代的人間としての「道徳」と「市民」および「国民」としての「道徳」の原理を解説していく。

大人たちが最低限知っておくべき前提から問い直す一冊。

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Posted by ブクログ

自由、民主主義、市民、学校のしっかりとした概念が分かる。

ルソーの社会契約論に始まり、古典を学ぶ事の大切さが分かる。

小中では難しいが、高校くらいでは授業でも取り上げて欲しい内容。

最近読んだ複数の本で見る自然を支配するではなくともに生きる「武士道」的な古き良き日本の価値観が分かる。

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2025年11月25日

Posted by ブクログ

世の中がどうあるべきか、どういう政体であるべきか、たまに考えることがある。

目の前の様々な問題を見ると、もうどうにもならないのではないかと考えるのをやめたくなることもある。



そんな時に、指針を示してくれるのは、先人たちの遺産だと私は常に思っている。

こういうことを、それこそ人生をかけて考え抜いてくれた偉人たちの考えを学ぶところに立ち返る。

それによって何か得られるのではないだろうか。

ということで、手に取ったのが「大人の道徳」だ。



ちょっとまだ自分のなかで咀嚼しているところだが、

要は、

・学校教育における道徳とは、いわゆる心の在り方ということではなく、

 民主主義や市民社会の前提となっている考え方・ルールであり、

 それを子どもに叩き込むことで市民に育成することが、道徳教育である。

・いまの民主主義には、主権者側からみた「共和主義的民主主義」と、市民側からみた「自由主義的民主主義」がある。

・現代日本にとっての主権者はアメリカであり、日本国民はホッブズ的市民に過ぎず、
 古代ギリシャの民主主義から見れば奴隷的である。

という内容だと理解した。



これらの内容は、むしろ今までの議論の歴史をわかりやすくまとめたものであり、著者の考え・理論は少ない。

そして、理想論とはいえ、あまりに現実的ではないだろう、と思わなくもないのも確かである。

だから、まずは本書で考えを整理して、そのうえで思考を積み上げていけばよい。

そう思わせる一冊であった。

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2018年12月31日

Posted by ブクログ

市民社会というものがどのように成り立ち、なぜ道徳教育が必要なのかを平易な言葉で教えてくれます。一般教養として知っておいたほうがいいっすね。一言で言うと「ならぬことはならぬ」なのです。

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2024年07月16日

Posted by ブクログ

難しいことをこんなに分かりやすく文章にできる手腕に感動する。ルソー、ロック、ホッブスの違いの章の気持ちよさったらない。頭が解きほぐされて行く快感。

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2021年12月12日

Posted by ブクログ

大人になることはどういうことか分かった。

大人になるとは、自然の傾向性に逆らえるようになること、そして、理性的判断から導かれる普遍的道徳命令に従うこと。
自他の命や財産の保護のために戦う側になること。
近代国家成立の前提からして、大人になることは有無を言わさぬ義務であること。

大人になるにはどうすればいいかは書いていない。そういう本ではない。

"近代の学校という教育制度は、すべての人間に合理的な思考の訓練を施し、民主主義の国家の政治を担う市民と、産業主義の社会の経済を担う労働者であるために、必要な知識や道徳を教える制度として、存在しています。けれども、それらはすべて、たんに手段であるにすぎません。それじたいが目的ではないのです。国家が独立することじたいが、近代の目的なのではありません。民主主義じたいが目的であるのでもなく、ましてや、経済の成長や発展が目的であるのでもありません。ほんとうの目的は、これらによって維持される、人間の「栄誉」なのです。人間が「栄誉」を獲得し、それを守り抜くということこそ、近代と、近代の学校教育の、ほんとうの目的なのです。…
では、「栄誉」とは何でしょうか。それは、服従を恥じること、そして独立であろうとすることにほかなりません。すなわち、カントが人間の「尊厳」と呼び、ルソーが市民の「自由」と呼んだもの。それが、福沢が「栄誉」と呼んだものに、ほかならないのです。"p279〜280

大人にならなければならないという意識からこの本を読んだはずなのに、栄誉や尊厳を最上とすることに何の意味があるかと考え始めてしまう。それこそが自然の傾向性を最上とする私的自由主義に自分が取り込まれていることの証左ではある。おそらく根本的価値観の問題である。自然の傾向性に逆らいたければ、どうにかして根本的に価値観を転倒するしかないということ。

道徳には正当な根拠がいると思っていた。しかし、カントですら要約すると「ダメなものはダメ」としか言ってないというのは、ある意味励みになる。

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2022年05月08日

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