あらすじ
「諸行無常(=すべての“実存”は無常である)」。そうブッダが説き始まった仏教は、インドから中国、そして日本へと伝わる過程で、「仏性」「唯識」「浄土」などの「超越的理念」と結びつき、大きく変化していった。「恐山の禅僧」が、ブッダから道元までの思想的変遷を「超越と実存の関係」から読み解く、かつてない仏教史の哲学。
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Posted by ブクログ
面白かったー!安定の小林秀雄賞です笑
最近まさに実存に悩むこともあって、それに対してこのような本があって、それにこのタイミングに出会うことに、やはり不思議な縁を感じてしまう。この本も「世界は関係でできている」という見方を提示しているわけですが。
現代が、鎌倉時代以来の変動期にあるのではないか、というのはそこまで確信を持って合点しているわけではないのだけど、そうなのだとすると自分の不安やよるべなさは、いつの時代にもあったものだろうし、今だからあるものでもあるだろうし、持ってもしょうがないよねと言える気がする。
…言語や言語で批判する結果、言語の埒外の領域を括り出し、これを「言葉を超えた心理」と言い切ってしまえば、それはまさに形而上学的実体を呼び込むことである。この危険を回避するには、言語化が必然的に引き起こす実体視に対して、禅定で確保された実存の視座から、言語による批判を不断に続ける以外にない。その徒労の切なさに耐えるしかない(p.120)
というところ、すごく同意、、徒労の切なさ、そうなんです。。
自身の浅学により難しい箇所もあったけれど、全体的に読みやすく、良かった。
「無明」とは、「非我」「無我」を「我」に錯覚する、言語の根本機能のことだと考えれば、これは直ちに、現にここにいる「自己」の構造分析になる。(p.51)
では、言葉の意味とはなにか。…対象ではなく対象との関係の仕方である。「机」は、我々が机として使う、そういう関係の仕方を意味している。であるにもかかわらず、それを「机」と名付け、その関係の仕方(=意味)が他人と共有され、そう教育されると、あるものが最初から「机」に見える。結果、「机がある」ことになる。これが「妄想」のメカニズムである。(p.69)