あらすじ
短歌が入口で、宇宙が出口。
俵万智、穂村弘、東直子と続く革新短歌の宇宙を、
哲学的な輝きで新たに飲み込む。
〈体積がこの世と等しいものが神〉夢の中の本のあとがき (哲学)
徹子の部屋の窓から見えてたえいえんみたいな二個目の太陽 (黒柳徹子)
何度寝て何を入れてもわたしとはたわしにならない固有のわたし (質量保存の法則)
たましい、無限、黒柳徹子、味の素、なぞなぞ――
84の多彩なテーマごとに、「短歌」→「自己解説(風文章)」→「短歌」の三段階で構成。
短歌と散文、感情と理性が響き合って、世界の新しい風景があふれだす。
歌集でもなく、エッセイ集でもない。
言葉がきらめく超新星、鮮やかすぎるデビュー作!
84の収録テーマ
体と心/さびしいから/魔法/アナグラム/絵画/ゲシュタルト崩壊/黒柳徹子/レシピ/地図/哲学/なぞなぞ/ クラゲ/前略/レーズンバター/
濁点/両生類/因果関係/エロス/味の素/部首/たましい/物理/ふえるワカメ/無限/枕/基準/神様/対/重複/生まれ変わり/境界/シベリア/
鬼籍/アレの名は/住所/いつか/オノマトペ /夢/額縁/トマトと的/漢字/端/絵のような文字/オブラート/絵日記/質量保存の法則/デジャヴ/今/
同音異義・異音同義/数な言葉/箱または穴/まちがい探し/種/音楽としての短歌/水/匂い/ストロー/地名/丸い三角/分かる/言葉にならない/
ものごころ/〇〇用/記憶/似て非なるもの/不思議四文字/省略/丘の上/ゼリーフライ/動物/菌類/アイムカミング/比喩/脚本/同心円/
G線上のマリア/さんたんたる鮟鱇/生け贄/岡本太郎とムンク/ベン図/公園/中身/聖書/幸福
感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
世界の可笑しさ、面白さ、不思議さ、怖さ、の果てに宇宙の真実が見つかりそうで見つからない作品だった。短歌+散文でそんな不思議体験ができちゃう、この作品を読んで頭がおかしくなっちゃった…いい意味で。
お題に対する短歌と、その短歌に関するエッセイ、それともう一つ短歌。という構成。
短歌はもちろんだけど、その短歌の意味を深く理解するための、著者の脳内を覗けるエッセイがとにかく面白い。
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「ふと思う」の「ふと」は両生類であるこの世とあの世を「ふと」は行き来す
三面鏡の中の無限のわたしたちごめんわたしが抜け駆けをして
夢の中に影がなかった発見を夢の外でしか会えぬ人に言う
マフラーを編んでいる人は黙黙とこの世の端を編みつづけてる
この世とは神様が見てる夢だからところどころに同じ鳥がいる
この5つが特にお気に入りの短歌。読んだ時はそう思ったけど、気分によって、時によって、たぶん変動する。これ以外の短歌もエッセイも全部好き、面白かった、不思議だった。
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著者は、世界をどうやって見てる?
どの角度、どの高さ、どこから見てる?
何色に見えてる?形は?流動的に見えてる?
視野も視点も、何パターンもあってまるで世界が一通りに形を留めてないように思える。自然の風景だけでなく、生命の活動から無機物、言葉、感情、思想、森羅万象に語りかけては向こうからも語りかけてきたり。
まさに宇宙との対話。
その先にいる神様を見つけたら、みんなもそこに辿り着けるように住所をメモしなくては。神様の住所の郵便番号は何番だろうか。そうやって神様の目の前で、読者のために手紙を書いている光景が見えた。
キューブリックの「2001年宇宙の旅」を観た時のような、サイケデリックな発光で頭が掻き回される体験。短歌で「2001年宇宙の旅」をした気分。
読んでいると不思議な感覚に陥る。
10階建ての建物のエレベーターに乗っていたら、10階を通り過ぎてあるはずのない11階で扉が開いて、あっ、これ、降りたらダメなやつだ、ってなるような感覚。
現実と重なる別の世界に足を踏み入れてしまって、これ以上は進んだら帰ってこれなくなるな、と肌で感じる違和感や危機感がなぜかこの本の世界には広がっていた気がした。
著者は人間なんだろうか、妖なんじゃないか。そんな風に思えてしまうくらいに、世界を不思議そうに見つめている著者の姿が浮かんだ。
子供の頃に観た海外の不思議なアニメ。それらの記憶が走馬灯のように、ごちゃ混ぜになって流れ込んでくる。そうやって仕舞い込んだ記憶の中のおもちゃ箱をこじ開けられて、子供の感覚が蘇ることで、短歌の世界が見えてきたし、短歌の意味が想像できた。
著者が頭の中に入り込んできて、子供の頃の自分の手を取って、著者の短歌の世界へ連れて行ってくれた。不思議な体験だった。
この本を読むと自分が揺らぐ、世界の輪郭が揺らめく、宇宙と時間と空間が迫ってくる。有が押し潰されて無になり、無が押し広げられて有になる。神様の夢の中。宇宙の中身。心という空間。思考という物体。人間という図形。命という物質。僕らの生きる地球1丁目では通用しない感覚や常識や法則でできた地球2丁目の裏通り。あれ、別の宇宙に迷い込んでいたのかな?
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特にお気に入りの短歌と、それに対する自分の感想。
「ふと思う」の「ふと」は両生類であるこの世とあの世を「ふと」は行き来す
→概念って次元を超えるんだ、っていう発見、のような感覚。「ふと思う」ってのは思ってない状態から、思っている状態へ変化した瞬間。なんか、それっぽく言うと、重ね合わせの状態で、瞬間的に両生類なのかな。
「まだ思ってなかったこと、を思った」ということを「ふと思う」って言うのかな。無かった状態から有る状態への移り変わり。「ふと」はその両方を表現する言葉なんだろう。「ふと」は思考のあの世とこの世の接着剤なんだろうと、ふと思った。
あと、あの世とこの世を行き来するものを両生類って表現も面白い。じゃあ、生きてるし死んでいるゾンビも両生類かな、なんてことを、ふと思ったり。
三面鏡の中の無限のわたしたちごめんわたしが抜け駆けをして
→この短歌は、映像を思い浮かべやすいし、鏡に対して抱く想像のひとつであり、恐怖のひとつでもあるなと思う。鏡に映る無限の自分がいて、その中で裏切るのが自分ならいいけど、鏡の中の別の自分が裏切ったらどうしようという恐怖。
鏡を見るっていうのは、いつだって鏡の中の自分に裏切られる可能性を孕んでいるのかもしれない。なぜなら鏡のこちら側が現実1とは限らない。鏡の中の方が現実で、こちら側の方が虚像である現実2かもしれない、なんてことを思ったり。
鏡の中の自分もきっと自分を鏡のこちら側と思っていて、こっちのことをあちら側と思っているんだろうな。鏡っていうのは、そこに映る無限の自分の中で一番早く動いた自分が勝ち、でも一番早く動いた自分が負けっていうゲームをいつもしているものなんだろう。
夢の中に影がなかった発見を夢の外でしか会えぬ人に言う
→夢の中、その世界の住人にとっては普通のことで夢の中ではその発見を共有できない。夢の外、現実の住人にとっても普通の事だろうけど、その事実を理解して面白がってくれる。でも、だからどうした、って話。
世界のルールをその世界の住人では理解できないのは、もどかしい。でもその世界の外では、そのルールは何の価値もない、これもまた、もどかしい。物凄く重要な事が、重要でない場所でしか意味を成さないって、なんか複雑。
ただ、夢の創造主は自分でそういうルールを設けているのに、それを大発見のように面白がれるっていう、夢と現実の関係性をいつまでも楽しめる人でありたいなと思う。そういえば、夢にスマホが出てこないけど、これも発見になる?
マフラーを編んでいる人は黙黙とこの世の端を編みつづけてる
→マフラーを誰かのために編む人は、その誰かが属するこの世界をも編んでいるのかな。自分のために編む人は、自分の世界を広げるために編んでいるのかな。
毛糸の玉が惑星で、惑星の端をほどいて行ってマフラーへと世界の形を変えていっている神様なのかな。毛糸の玉が宇宙で、球状の宇宙を広げて伸ばしているのかな。地球平面仮説ならぬ、惑星マフラー仮説、宇宙マフラー仮説。
毛糸という宇宙の住人にとっての神様が、宇宙をマフラーにして身につけようとしているんだろうな。宇宙を首に巻いてどこかにお出掛けするんだろう。
この世とは神様が見てる夢だからところどころに同じ鳥がいる
→世界の中にある小さなバグ、っていうようなものが面白いなと思う。世界にバグがあったら駄目だろって思うけど、きっと神様も忙しくてアプデが間に合ってないんだろう。
にしても、人間にこの世界が神様の夢かもしれないなんて気付かせるような事は、してはいけないだろう。この世界が誰の何であれ、人間がその真実に気付いたら、きっと耐えられないだろうから。
初めは面白おかしく読めるんだけど、でも怖さもある内容だと感じた。人間って、神様の夢の登場人物に過ぎないのか、じゃあ、なんのために、生きてるの?なんて考え出したら嫌な気持ちにしかならない…。