あらすじ
インド帝国の警察官としてビルマに勤務したあとオーウェル(1903―50)は1927年から3年にわたって自らに窮乏生活を課す。その体験をもとにパリ貧民街のさまざまな人間模様やロンドンの浮浪者の世界を描いたのがこのデビュー作である。人間らしさとは何かと生涯問いつづけた作家の出発にふさわしいルポルタージュ文学の傑作。
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Posted by ブクログ
大した家柄の筆者が身をやつして、戦間期のパリとロンドンで最下層の生活をレポートする。戦勝国にもロクでもない生活があったという当たり前の事実に気付かされるとともに、ロクでもない生活を最大限に楽しむ心意気を感じられる。
この筆者はなぜここまでやるのだろうという興味がムクムクと湧く。筆者がこの後にスペイン内戦に身を投じるのは当然の流れなのか。なんにしても密かにあこがれのルポライターである。
Posted by ブクログ
混沌の中に秩序を見出す、良質なエスノグラフィーとも呼べる文章。研究と異なり何か明確な調査課題が設定されている訳ではないが、それ故に(といって差し支えないと思うのだが)、著者が貧困にあえぐ層の暮らしに身を投じる中で何に直面し何を感じたのかが、多面的に綴られている。読み始めた当初は、何か教訓めいたものをどこかで求めていたのだが、パリのホテルに於ける皿洗い、個性的すぎるロシア人(ボリス)、イギリスでのスパイク内での生活(紅茶一杯で数時間は凌げる)等の生き生きとした描写に引き込まれる内に読み終わっていた。とは言え、著者はいくつか普遍性を持ちそうな学びを提供してくれている。以下に引用している箇所と関連しているのだが、先ず、貧困や過労は人々から未来を想像する力を奪うということ。勿論、これは貧困の程度による。ボリスのように、幾つも金を儲けられそうなオプションを見つけ腐心するものもいれば、イギリスのスパイク内でその日暮らしをする人々やパリの厨房でひたすら皿洗いをする人々のように、今日明日の生活に必死であり、その先を考えられない者もいる。次に、だからといって彼らの全てが自由を失っているかと言えばそうではないということ。本を読み、頭を使い、自分は自分でこの生活をしていると「自分を説得することさえできれば」、お金を持っている人々よりも心は自由になれる可能性がある。別に何かの結論がある訳ではないのだが、このような多面的な描写は、特定グループの人間の生活というものは、要はその人々の心理によって構成されているという程単純なものではなく、それは社会的な制度/規範とも密接に連関しており、また時間軸上で変化していくものであるということを教えてくれる。
以下、特に印象に残った箇所
・百フランでも持っていれば、気が狂いそうなほど心配になるだろう。だがたった三フランしかないとなれば、話はまるで違う。三フランあれば翌日までは食える。そしてその先のことは考えられない。退屈ではあっても、怖いことはない(p.27)
・はじめてこの地下室へ来たら、誰だって、狂人の巣窟へ迷いこんだと思ったことだろう。こんな混乱の中にも秩序があることに気がついたのは、もっとあとで、わたしにもホテルの仕組みがわかるようになってからだった(p.88)
・皿洗いの生活以上に単純なものはありえないのだ。考える余裕もなく、外界のことなどろくに意識もせずに、ただ労働と睡眠のあいだを往復しているだけなのだ(p.122)
・怠け者では、皿洗いは務まらないのだ。彼らは単に、思考を不可能にしてしまう単純なくりかえしの生活に捕まっただけなのである。皿洗いにすこしでも思考能力があったとしたら、とうの昔に労働組合を結成して、待遇改善を要求するストライキを打っていただろう。だが暇がないから、彼らは考えることをしない。この生活が彼らを奴隷にしてしまったのだ(p.156)
・「そうかな、ぼくは反対のことを考えてましたがね。金をとりあげられたらさいご、その男はそれっきり何もできなくなっちゃんじゃないかと思って」「いや、そうとは限らない。その気になれば、金があろうがなかろうが、同じ生き方ができる。本を読んで頭を使っていさえすれば、同じことさ。ただ、『こういう生活をしてるおれは自由なんだ』と自分に言い聞かせる必要はあるがね」ー彼はここで額を叩いたー「それでもう大丈夫だよ」(p.220)
・来ているものはボロで寒かったとしても、いや餓死しかけてさえいても、本を読み、考え、流星を観察することができるのなら、彼自身が言ったとおり、その心は自由だったのである(p.224)
・罵倒の目的は相手にショックをあたえ傷つけることで、そのためにわれわれは隠しておくべきことを口にする(中略)だが妙なのは、いったん罵倒の言葉として公認されてしまうと、その言葉は元の意味を失うらしいのだ。つまり、それを罵倒の言葉たらしめたものを失ってしまうのである。ある言葉は、あることを意味しているからこそ罵詈雑言になるのに、罵詈雑言になることによって、その意味を失ってしまうのである(p.236〜237)
・浮浪者が放浪生活をしているのはそれが好きだからではなく、車が左側通行をするのと同じ理由によるのだ。つまり、それを強制する法律があるからにすぎない(p.270)