あらすじ
今、日本の「リベラル」は世界基準のリベラリズムから脱落しつつある。
再び希望を取り戻すには、どうしたらいいのか?
若者が自民党を支持するワケからネトウヨの実態、リベラルの未来像まで、
世界の大潮流から読み解く、再生のための愛の劇薬処方箋!
目次
●PART1 「リベラル」と「保守」が逆転する不思議の国
1 安倍政権はリベラル
若者の「右傾化」は教育が悪いのか
不思議の国のアリス
変わらなければ生き残れない
3人の「ポピュリスト」
右傾化する「リベラル」政党
安倍政権は旧民主党のコピー
「一億総活躍」以外にどうしようもない社会
「リベラル」の欺瞞
2 リベラル化する世界
三位一体の巨大な潮流
「右傾化」というバックラッシュ
アメリカでは「人種差別」は減っている
今の男性は1970年代の女性よりフェミニスト
リベラルは勝利したことで敗北する
日本でも「リベラル化」は進んでいる
●PART2 アイデンティティという病
3 「ネトウヨ」とは誰のことか
非マイノリティポリティクス
「白人至上主義者」はネトウヨ
「人種差別」をしないレイシスト
「絶望死」する白人たち
日本人アイデンティティ主義
「在日認定」とはなにか
離島は「乗っ取れる」か
誇るものの価値
4 正義依存症と愛国原理主義
「俺たち」と「奴ら」
「正義依存症」のひとびと
「愛と絆」による差別
思想的リーダーの誕生
右派論壇のポストモダンとエンタメ化
右派論壇の「愛国原理主義」
愛国の哲学者
右翼と「愛国リベラル」
「加害」と「被害」の非対称性
“右傾化”の正体
●PART3 リバタニアとドメスティックス
5 グローバルスタンダードの「リベラル」
「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」
ダブルスタンダードの罠
リベラルの「理想社会」
リベラルを懐疑する「保守」
無知のヴェールと「格差原理」
チンパンジーにも「正義」はある
4つの政治思想
サイバーリバタリアン
知性主義と反知性主義
6 「保守」はなぜ「リベラル」に勝つのか
チキンで性行為をすることは許されるか
6つの道徳基盤
「保守派部族」と「リベラル部族」
アイデンティティとしての政治
ビヨンセはなぜアメリカ国歌を歌ったのか
グローバル空間の「リベラル共和国」
「安倍一強」の秘密
●PART4 「リベラル」と「保守」の進化論
7 きれいごとはなぜうさん臭いのか
ニューリッチはリベラルの牙城
道徳の貯金箱
「きれいごと」はなんにでも使える
潜在的な偏見を可視化する
8 リベラルはなぜ金持ちなのか
政治的態度の遺伝率
知能と政治的態度の相関
ネオフィリアとネオフォビア
雑食動物のジレンマ
3歳児の「リベラル」と「保守」
「リベラル」と「保守」の遺伝子を探す
イデオロギーは匂うか
「リベラル」が嫌われるほんとうの理由
エピローグ サイバー空間のイデオロギー戦争
感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
朝日嫌い 2018
2022/01/03(月)記述
朝日嫌い よりよい世界のためのリベラル進化論
橘玲氏による著作。
2018年6月30日第1刷発行
題名に朝日と出している。
これは日本のリベラルの象徴として朝日としているだけだ。
リベラル嫌いという題名でもある。
その理由を考察した本だ。
今(2022/01/03)レビューを書いているけれども、
もしもっとこの本の指摘する所を立憲民主党が意識していれば
2021年10月の衆議院選挙でももう少しマシな結果になったのではないか。
今更ではあるが・・・
それだけに本書の指摘をもう少し正面から受け止め改善しないと
日本のリベラルに未来は無いと思う。
懸念するとすれば、れいわ新選組のような一見リベラル主義の政党が国債は借金にあらずとするMMT理論(無限に国債発行は出来ないので勿論誤りの思想だ)に傾注し、無限にバラマキ政策ができると盲信していることだ。無限に国債が発行できるのなら、税金や社会保険料は無料でも問題ないはずだ。だから既存のリベラル以上に悪質だれいわ新選組は。
野党共闘路線を取り続ける限り、立憲民主党に未来は無いだろうから根本的に足元から変えていくことを期待したい。
印象に残った点
重層的な差別である日本型雇用を容認しながら、口先だけで「リベラル」を唱えても
誰も信用しなくなるのは当たり前だ。
リベラリズムを蝕むのは「右(ネトウヨ)」からの攻撃ではなく、自らのダブルスタンダードだ。
日本のリベラルにいま必要なのは、保守化した「リベラル高齢者」の既得権を破壊する勇気だ。年金も健康保険も終身雇用も年功序列も何一つ変えないまま、若者に夢を与える未来を描くことなどできるはずはない。
「リベラル」を名乗る組織は、リベラルがどのようなものかを身をもって示す責任を負っている。多くの人がそれを見て、「自分もあんな風になりたい」と思うことで社会は前に進んでいくのだ。
リベラルとは、本来は「Better World(よりよい世界)」「Better Future(よりよい未来)」を語る思想のはずだ。だがいつの間にか日本の「リベラル」は、憲法にせよ、日本的雇用にせよ(あるいは築地市場の場所まで!)現状を変えることに頑強に反対するようになった。「改革」を否定するのは保守・伝統主義であり、守旧派であろう。
これは「戦後リベラル」を担う層が高齢化して、「何一つ変えない」ことが彼らの利益になったということでもある。
リベラルの失敗は、「自衛隊は憲法違反だ」と叫んでいるうちに憲法改正を右翼・保守派に先取りされたことだ。その結果、北朝鮮のミサイルが上空を通過するようになって「9条に陸海空軍その他の戦力は、これを保持しないとあっても個別的自衛権は自然権なので自衛隊は合憲だ(ただし集団的自衛権は認められない)」という苦しい理屈を繰り返さざるを得なくなった。しかしこれでは、「だったらなんでそう書いちゃいけないの」という子供の疑問に答えられないだろう。
憲法改正を拒絶するリベラルな憲法学者は、複雑怪奇な理論によって自らの主張を正当化しようとするが、これは「無知な大衆は黙って従え」というエリート主義そのものだ。
憲法はすべての国民のものなのだから、アカデミズムの密教の中に囲い込むのではなく、中学生や高校生でもわかるように書き直していくべきだ。
日本は未だに、イエを単位とした前近代的社会から個人を単位とした近代的社会に移行できていない。憲法24条の「両性の合意」を「双方の合意」に改正するとともに戸籍制度を廃止し、資産や親権を共同でもてるシンプルな家族制度にするべきだ。
年金や健康保険などの社会保障もイエ単位になっているが、家族の多様化で矛盾が拡大している。北欧などと同じく、これも個人単位に変えていくべきだろう。
日本統治時代の名残で韓国には戸籍制度があったが2008年に廃止された
仲間たちがどこまでなら許し、どこから許さないかを正確に知るには、高度な「道徳センター」を持っていなければならない。これは一般に「良心」といわれる。
すなわち道徳的社会では、繊細な良心(高機能の道徳センサー)と高い知能を持つ者がもっとも効果的に抜け駆けできる。良心はひとびとを社会のルールに従わせるために内面化されたが、それを仲間を出し抜くために使うこともできるのだ。
きれいごとを言う人は、道徳の貯金箱がプラスになったように(無意識に)思っているので、現実には差別的になるのだ。
安倍一強の秘密を読み解くこともできる。
それは以下の4つの戦略の組み合わせだ。
1国際社会では「リベラル」
2若者に対しては「ネオリベ」
3既存の支持者に対しては「保守」
4日本人アイデンティティ主義者に対しては「ネトウヨ」
「モリカケ問題」で権力基盤が揺らいでいるとはいえ、これが現代日本においてもっとも広範な支持者を確保する最強の戦略であることは間違いない。とりわけ有利なのは、中国や韓国・北朝鮮に強硬なポーズを取り「朝日」「民主党」を批判することで、最も面倒なネトウヨを「私設応援団」にできることだろう。
現代社会が抱える問題とは、先進国でも新興国でも、知識社会から脱落し、仕事や恋愛での自己実現に失敗し、「たったひとつのアイデンティティしかもてなくなったひと」がますます増えていることだ。彼らのアイデンティティはきわめて脆弱なので、それを侵す(と感じられる)他者に激烈な反応を示す。
原理主義的なイスラームを説くウラマー(イスラーム知識人)に共通するのは、栄光あるイスラームを蹂躙した西欧の植民地主義への怒りと、自分たちがイスラーム世界の周辺に追いやられ、差別されていることへのルサンチマンだ。この憎悪が、ISのプロパガンダと強く共振することはいうまでもない。
同様に、「愛国原理主義」を説く右派論壇にもリベラルへの強いルサンチマンが感じられる。それはおそらく、自分たちが「知」の主流派(エスタブリッシュメント)から排除されてきたという屈折から来るものなのだろう。
同様のルサンチマンは、金融緩和政策を強硬に主張し、エスタブリッシュメントである日銀を執拗に批判したリフレ派と呼ばれる一郡の経済学者やエコノミストにも見ることができる。しかしこれも日本に特有の現象ではなく、アメリカの一流大学は「リベラルの牙城」でそこに加わることができない右派の「思想的リーダー」から激しい憎悪を向けられている。
(*おそらく藤井聡や三橋貴明のことであろう)
同様に道徳に反した者を罰すると、それを見ただけで脳からドーパミンが放出される。こうした傾向は男性に特に顕著で、ネトウヨがアルコール依存症やギャンブル依存症、ドラッグ中毒と同じ、インターネット社会が生み出した病理現象=正義依存症であることを示している。
正義依存症はもちろんネトウヨだけではない。「反安倍」や「反原発」でえんえんと呪詛の言葉を書き連ねるのも同じだし、女性タレントの不倫から男性ミュージシャンの不倫を暴いた週刊誌まで、匿名の「正義」を振りかざす機会をさがしてネットを徘徊するのも同類だ。
ネットメディアの世界では、もっともアクセスを稼ぐ記事が有名人のゴシップ(噂話)と正義の話だというのはよく知られている。「こんな不正は許せない」という話にひとはものすごく敏感だ。
ふつうのひとたちが不道徳な政治家や芸能人、犯罪容疑者を夢中になってバッシングするのは、それが共同体を維持するのにもっともコストの安い方法だからだ。
「正義は快楽である」これだけだ。
復讐はもっとも純粋な正義の行使で、仇討ちの物語はあらゆる社会で古来語り伝えられてきた。脳の画像を撮影すると、復讐や報復を考えるときに活性化する部位は、快楽を感じる部位と極めて近い。道徳的な不正を働いた者をバッシングすることは、セックスと同じような快楽をもたらすのだ。
日本の右傾化とは嫌韓・反中を利用した日本人の「アイデンティティ回復運動」のことなのだ。
1970年から1995年までのアメリカの大学生男女の意識について調べると、「女性は自分の権利を心配するよりも良妻賢母になることを考えるべきだ」などの質問項目に対し、1990年前半の男性は1970年代の女性よりも高いフェミニスト意識を持っている。
先進国では、今や誰もがフェミニストなのだ。
この歴史的変化に伴って、妻に対するDV(ドメスティックバイオレンス)も急速に減っている。
アメリカでは(日本でも)つい最近まで夫が妻を殴ることは犯罪とは見なされなかったし、不倫をした妻を殺すことには叙情酌量の余地があると考えられてきた。
1987年には「男性が妻をベルトやステッキで殴るのは一様に悪いこと」と考えているアメリカ人は全体の半分しかいなかったが、それが10年後の1997年には86%まで大きく増えた。同様に、今では80%以上のアメリカ人がDVを「社会的にも法的にも非常に重要な問題」と考え、99%が「男性が妻を負傷させた場合は法的介入が必要」と回答している。
レイプと同様にこの20年で、夫婦であっても女性への暴力は強く忌避されるようになったのだ。
「反知性主義・グローバリズム批判・保守化」というのは、愛煙家による「嫌煙ファシズム」批判と同じで、行き過ぎた「知識社会化・グローバル化・リベラル化」に対するバックラッシュ(反動)なのだ。
知識社会というのはその定義上、知能の高い人が大きなアドバンテージを持つ社会だ。知識社会化が進むということは、仕事に必要とされる知能のハードルが上がるということでもある。そう考えれば、「知識社会化=グローバル化=リベラル化」が三位一体で進むにつれてそこから脱落する人が増えるのは避けられない。これが「中流の崩壊」と呼ばれる現象で、欧米では彼らの怒りが社会の保守化=右傾化を招いている。
シリコンバレー型の「リベラル」とは、普遍的な人権を前提として、グローバル市場から能力=知能のみで労働者を平等に選抜・採用し、そこから生み出されたイノベイティブな商品やサービスをグローバル市場に平等に提供するビジネスモデルのことなのだ。
ここに日本の「リベラル」の欺瞞がある。彼らは差別に反対しながら、自らが「差別」する側にいるのだ。
これを手短に要約すると、「日本のサラリーマンは過労死するほど長時間働いているが、生産性がものすごく低く、世界でいちばん会社を憎んでいる」ということになる。
日本社会は「既得権にしがみつかないと生きていけない世代」と「既得権を破壊しなければ希望のない世代」によって分断されている。「リベラル」を自称するひとたちは世代間対立論を毛嫌いするが、これ以外に高齢者と若者で右と左が逆転する理由は説明できない。
Posted by ブクログ
現状認識は全く同感。
リベラル化していること、その結果が能力のみによる選抜となること、それに対して従来のマジョリティ、既得権益層の反発が各国で起きていること、彼らの主張が非論理的であること、リベラル派のダブルスタンダードが弱点であること、いちいちごもっとも。
しかし、著者の結論であるさらにリベラル化、グローバル化をすすめるべきというのには疑問。これまでの歴史の失敗例である理性万能主義を感じる。
本の中にもあるが、人間はそれほど理性的か?現在のリベラルの考えは19世紀にはあったが、遅々として進まなかった。
国家や地域の中間団体、家族が残る限り、すべてが個人として平等に扱われることはないだろう。
しかし、リベラル化と反対派の摩擦はますます大きくなっていく。
なお、著者のリベラルと保守の遺伝子とか匂いで同種の異性がわかるとかトンデモくさいし、人種による知能指数と同じ傾向を感じる。両極端は一致するか。