あらすじ
アウシュヴィッツ収容所で殺されたユダヤ人同胞たちをガス室から搬出し、焼却棟でその遺体を焼く仕事を強制された特殊任務部隊があった。生き残った著者がその惨劇を克明に語る衝撃の書。
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Posted by ブクログ
どうしても強制収容所跡地が見たくなって、学生時代にドイツを訪れたことがある。何故かアウシュビッツにこだわって結果諦めざるを得なかったのだが、旅程の関係でダッハウへ行った。アウシュビッツにこだわったのは、そこが有名でアイコン的だったからだと今になって思う。両収容所におけるガスによる大量虐殺の違いや収容者の違いを当時は知らなかったから。世間知らずで、希望が叶わず残念に感じながらもダッハウも強烈な悲劇を残していて、それで胸がいっぱいになった。その夜、現地で知り合った友とドイツの酒場に入り、ドイツ人と日本人が生まれながらに抱える宿痾のような定めを考えた。
本書は、アウシュビッツで生き残った著者による実体験を語った回顧録。内容について多くを語る必要もないと思う。どうして悲劇が起こったのか。勧善懲悪の二元論で語って良いのか、あるいは、同調圧力、時代の空気、服従の心理の連鎖のような末路なのか。
日本でも起こる猟奇的な殺人事件に対し、これは特異な人間が起こした事件だと考えられているが、これをホロコーストに当てはめるなら、人間誰しも猟奇的な殺人を犯す生き物だという事を認めざるを得ない。もしかすると、猟奇的な殺人は、その瞬間、そこだけホロコーストと同じような原理が働いたとも言えるのではないか。
強盗が増えている。殺人事件も含まれている。人間を過信しない。原理が解明されぬ限り、我々は常に加害者にも被害者にもなり得る存在であり、あるいは崩壊に向かって日々を蓄積しながら向かう「その瞬間」が来やしないかと恐怖しなければならない生き物なのかも知れない。
Posted by ブクログ
ユダヤ人をガス室に送り、処刑された後ガス室から折り重なり皮膚がドロドロに溶けた遺体を外に運び出し、その遺体の髪を切り、銀歯金歯を引き抜き、焼却場で焼き、遺灰を川に捨て、ガス室を綺麗に清掃する、そんな任務を負っていたのが「特殊任務部隊」で同じ強制収容されたユダヤ人で構成されていた。そしてその任務内容が外に漏れないように部隊の者も定期的に処刑されていた。しかしながら奇跡的に生き逃れたシュロモ・ヴェネツィアがその壮絶な内容を赤裸々に語っているのが本書だ。彼が重い口を開いたのは解放から47年後で69歳だった。
Posted by ブクログ
『夜と霧』が意識して客観的に書かれていたのに対し、本書はインタビュー形式ということもありかなり主観的な話を聞くことができます。
アウシュビッツの中でも、ガス室や焼却炉という特殊任務に当たっていたゾンダーコマンドの経験です。基本的にこの作業に当たった収容者は秘密保持のために処分されたため、かなり貴重です。
印象的なのは、解放後に人に話をすると頭がおかしいと思われて信じて貰えなかったという点です。
この経験を語ろうとするまでに40年以上かかったそうです。
あんまりにも酷い出来事は、信じないことでなかったことにしたいのかもしれません。
勇気をもって告白してくれて有り難いです。
大切に読むべき本です。
Posted by ブクログ
十二時間労働の二交代制で強制的にやらされた「汚い仕事」の流れ作業は、脱衣室で犠牲者につきそって、待ち受ける悲惨な運命を感づかれないようにできるだけ早く服を脱ぐ助けをし、SSが犠牲者をガスで殺しているあいだに彼らの衣類を集め、ガス室から遺体を出し、義歯と金歯を抜き、女性の髪を切り、これらの遺体を焼却炉または野外の共同墓穴で焼き、遺骨を砕いて遺灰をヴィスワ川に捨て、ガス室を掃除して壁を石灰で白くし、次の「処理」に備えることだった。
歴史のノート より
『サウルの息子』でゾンダーコマンドの存在を知ったのは数年前。それ以外にはBBCの数時間くらいのドキュメンタリーシリーズを視聴していましたが、書籍でナチス収容所、ホロコースト関連のものをちゃんと読んだのは『夜と霧』くらいだったので拝読。
今まではユダヤ人が大量に虐殺された、という事実だけを捉えて理解していたつもりでしたが、本作はインタビュー形式で淡々と語られる体験記でもあります。ユダヤ人のひとりひとりに、出自が、国籍が、慣れ親しんだ言語があり、そしてまるで排斥されるために象られたような人種があります。日本国内だけで暮らしていて、触れるメディアも国内産のものが多いと意識しにくい部分かもしれません。
アフリカ系アメリカ人の多くは奴隷として連れてこられたが、ヨーロッパのブラックの多くは移民であるように、当然ユダヤ人にも様々な背景があることに今さら気付かされました。
シュロモ・ヴェネツィア氏はギリシャ出身のイタリア系ユダヤ人。インタビューは収容前のギリシャでの生活や家族の話を中心に進み、捕まり、アウシュヴィッツでの一ヶ月、ゾンダーコマンドとしての仕事など、丁寧に語られていきます。
『サウルの息子』でも遺体を杖の柄に首根っこを引っかけて運ぶ描写があったのをぼんやり思い出しました。収容所によって内情や仕事内容に差はあったかと思いますが、アウシュヴィッツは特に主要な鉄道が交差する重要な分岐点にあったらしく、集まる囚人の数も多かったはずです。その残虐かつ過酷な環境が言葉によって伝えることの意味を考えさせられます。
この極度の経験で奪われたものは何ですか?
「人生です。普通の人生が奪われました。うまくいくとは思ったことがなかったし、他の人のように、ダンスに行ったり、無心に楽しむこともなかった……。
すべてが収容所に結びつきます。何をしても、何を見ても、心が必ず同じ場所に戻るのです。あそこで強いられた《仕事》が頭から出て行くことが決してない……。
焼却棟からは永遠に出られないのです」
第6章 強制収容所 マウトハウゼン、メルク、エーベンゼー より
自分だけは大丈夫。関係がない、とは思えません。ナチスのホロコーストに目が行きがちですが、『カティンの森事件』ではソ連によるポーランド人の虐殺、略奪行為はありました。現在でもウイグル人の迫害やBLMなど遠い国の話ではないはずです。『異端の鳥』にあったような、色を塗られた鳥を弾くような行為はそれこそ身近に感じます(作中内ではユダヤ人かジプシーかを尋ねる描写もありました)。
人はこれほどまでに残酷になれることを教えてくれる。背負う業、あるいは間接的に背負うかもしれない業でもあるのかもしれません。
最後に一点だけ、気に入らない点というかいちゃもんをつけるのなら、タイトルが悪いように感じました。原書が手元にないので何とも言えませんが、ゾンダーコマンドを直訳すると特殊任務部隊になります。ナチスの軍所属やSS内部の特殊部隊はだいたいこの名称だったらしいです。ゾンダーコマンド・ヒドラとかゾンダーコマンド・ノルトとか。
編集や訳す際の伝わりやすさ、あるいは大人の事情があったのかもしれませんが、ゾンダーコマンドという単語が触れられるのは訳者のあとがきとカバーの英語表記くらいでした。
本来、書籍の持つ役割のひとつとして、言葉や知識が受け継がれ、伝えられることにあると考えています。50年経って、100年経って、この歴史を語る際に残る言葉が「特殊任務」なのか「ゾンダーコマンド」なのか。自分は後者であるべきなのでは、と思うのです。というか風化せずに残っていてほしい、という一種のわがままみたいな感じ。その言葉の裏にある意味や背景、悲劇的な出来事、おぞましさ、傷ましさのようなものが想起されてこそ、本というメディアの意味が最大限に発揮されたと言っても良いかもしれません。だから「ゾンダーコマンド」という単語は前面に出したほうが良かったのでは、と。
蛇足かもしれませんが、それを差し引いても本書の資料的な価値は他に類を見ないもののように思えました。