【感想・ネタバレ】伝説の名参謀 秋山真之のレビュー

あらすじ

無敵と謳われたバルチック艦隊がやって来る。東郷平八郎を司令長官とする、日本海軍の連合艦隊は、これをうち破ることができるのか。これが、苦戦この上なかった日露戦争の、勝敗を決する、最も大きな分水嶺であった。国家存亡の危機に立った明治日本が、まさに背水の陣で戦った、「日本海海戦」。未だ伝説の如く語り継がれるその勝利に、日本を導いたのが、参謀・秋山真之である。彼は、ロシアを仮想敵国とした軍事情勢のもと、海外留学で見聞を広め、万巻の古書から、外国の書物までを読破し、壮烈な姿勢で、対露の海軍戦略を考案して行った。「日露戦争における海上作戦を通じて、さまざまに錯綜する状況を、その都度総合して行く才能にいたっては、実に驚くべきものがあった。彼はその頭に湧いて尽きざる天才の泉を持っていた」と、名参謀であった島村速雄も舌を巻いた。この一戦を戦うためにあったような、勇壮な生涯を描く長編歴史小説。

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秋山真之
著:神川 武利
PHP文庫 か 30 1

日露戦争、日本海海戦を勝利に導いた、名参謀、秋山真之の解説です

「天気晴朗なれども波高し」
江田島の海軍兵学校の出身、米アナポリス校、英ダートマス校とともに世界三大兵学校の一つであった

 五省
  至誠に悖るなかりしか
  言行に恥ずるなかりしか
  気力に缺くるなかりしか
  努力に憾みなかりしか
  不精に亘るなかりしか

江田島の教育の原点は、人間教育であった

気になったのは、以下です

■日本海軍の誕生

・幕末、薩英戦争と、馬関戦争を経験した我が国は、近代海軍の必要性を痛感し、戊辰の海戦を経た後、明治元年日本海軍を発足した

・東郷は、薩英戦争に17歳で参加した。
 「東郷は常に努力する人だった。コツコツと積み重ね、ひとつのことをマスターするのに時間をかける。そのかわり一度学んだことはすべて自分のものにしてしまう。平素は静かで性格も温和であるが、心底には獅子の如き決断力を秘めていた」

・戦いには戦術が要る。戦術は道徳から解放されたものであり、卑怯もなにもない

・要点をつかむには、過去のあらゆる型を調べる
 多くの事例をひとわたり調べ、そしてその重要度の度合いを考え、あまり重要でないか、または、不必要と思われることは大胆に切り捨てる

・厳島参詣を機に真之は、戦の研究にいよいよ、熱中していくようになった
 戦国時代をはじめ、合戦物語を手当たりしだい読み漁った
 
・遊んだり、飲んでいても、随時随所にポケットから、メモや本を取り出して猛烈に勉強するというやり方であった

■日清戦争

・軍艦は兵器であり、乗務員にとっては生命である。神聖であるべき大砲に、汚れた洗濯物をぶら下げ、甲板にゴミを散乱させている清国海軍の士気軍紀のゆるみを、東郷は見逃さなかった

・危ければ圏外に離脱し、集中によって利を得れば肉薄していく戦法をとるために、機動力の優った軍艦をもつのが賢明という結論になる。これは日露戦争時の六隻の大巡洋艦政策に引き継がれていく

・日本は朝鮮が大国の属領になってしまうことをおそれた
 朝鮮が他の強国にとられた場合、日本の防衛は成立しない
 明治27年(1894)朝鮮に内乱がおこり、清国が朝鮮に出兵して、朝鮮が清国の属国になるおそれが生じてきた

・統帥権には、帷幄上奏、という、特権が参謀本部、軍令部にあたえられていた
 統帥に関する作戦上の秘密は、陸軍の場合、参謀本部いが、首相などを経ず、じかに、天皇に上奏するというのである
 満州事変、日華事変、ノモンハン事件など、すべて統帥権の発動であり、首相以下はあとで知っておどろくだけのばかげたことになった

■秋山兵学

・海を制すものは世界を制す、いかなる国も大海軍国と、大陸軍国を同時に兼ねることはできない

・孫子の基本は4つ
  勝ち易きに勝つ
  彼を知り、己を知らば、百戦危からず
  実をもって虚を突く
  敗戦の主因は、無精にあり

・クラウゼヴィッツをはじめとする西洋兵学は、敵の全滅をもくろむ、殺敵主義である
 必要以上に憎悪にかられて殺戮することをとらない、秋山軍学は、屈敵主義である

・アメリカ海軍は、開放主義のようだが、ただの表面だけである。秘密保持の規定などは、日本よりずっと厳格だった

・海軍兵術は、戦略、戦術、戦務の3種目
  戦略 戦闘の時、戦略の地、戦闘の兵力を定めるもの
  戦術 局部的、敵軍との交戦にあたり、いかなる計画によって、いかなる隊形でたたかうか
  戦務 戦略、戦術を実施するための事務の総称

・あらゆる雑多なものをならべて、そこからある原理を見つけ出す
・自分で考えに考え抜いて、これだと思う答えをしぼり出せ
・ロシア艦隊を仮想敵とする図上演習や、兵棋演習に力をいれた

・戦略、戦術の要訣は、天の時、地の場所、人の和、を得るにある
・戦闘における攻撃方法は、正法、奇法、がある

・日進月歩の海軍は、戦術の有効期限はおそらく2年と予想した
 しかし昭和の海軍は大艦巨砲主義を捨てることができず、航空機と潜水艦に敗れ、レーダーと暗号に敗れた

■日露戦争

・ロシアは約束を守る国ではない。朝鮮をロシアが植民地とすることは日本にとってまさしく、「悪夢」である

・名参謀には、名将が必要なのである。名参謀の献策を受け容れる能力のない将では、参謀も名参謀たりえない
 名将は、名参謀を使いこなせる力を持つ者でなければならない
 連合艦隊という大軍を統率し、これを統御する将は、よほど、徳望のある人でなければならない

・人に習性があるよう、艦隊行動にもそれがあるはずだ

・もうだめだ、という危機のとき、乗員は必ず、みな艦長の顔を見るという
 艦長が落ち着いていれば、乗員も安心して冷静になる。艦長はたとえ恐ろしくても平然にしていかければならない

・秋山は作戦の天才と言われたが、作戦以外のこととなると、奇人か、変人にしかみえない
 天才とは、1%のひらめきと、99%の努力の人であるという、また、天才とは、常人と異なる努力を集中して、継続する人、であるという

・運の戦いだ、秋山は、結局、運の強い方が勝つ戦いだと思った。あとは、死力を尽くして戦うのみ

・猛訓練が行われた 訓練で泣いて、実戦で笑え

・秋山が練り上げたバルチック艦隊の迎撃戦法は、7段構えの全滅作戦だった

・秋山にとって、敵が対馬海峡にくることが勝利の鍵であった。
 かたや、バルチック艦隊の方では、日本の全艦隊が対馬海峡に待ちかまえているとは、全く思っていなかった

・戦闘準備、砲側には砂がまかれた。自分の臓腑がずたずたになって、血のりが噴き出たとき、同僚の足をすべらせないためである。水兵は、もくもくと、このおそるべき作業を終えた

・最初の30分で大局はきまった。敵の戦列全く乱れたり
 「百年、兵を養うは、一日のためにあり」と古来言われている

・ロシアの圧迫に苦しんできた、トルコ、ポーランド、フィンランドなどの国々は、自国の勝利のごとく狂喜した。日本に来る外交官で、東郷神社に参って、敬意を表す者は、なお後を絶たない
 38隻のロシア艦隊で生き残ったのは、巡洋艦1隻と、駆逐艦2隻のみ、大艦隊は消滅した。連合艦隊の圧勝であった

・東郷は、連合艦隊の解散の辞で、全艦隊の将兵に訓示した。

  神明はただ平素の鍛錬につとめ、戦わずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授けると同時に
  一勝に満足して治平に安んずる者より、ただちにこれをうばう
  古人曰く、勝って、兜の緒を締めよと

目次
第1章 五月晴 
第2章 波濤 
第3章 日清戦争 
第4章 留学 
第5章 水軍の戦法 
第6章 秋山軍学 
第7章 窮鼠 
第8章 旅順口の海戦 
第9章 広瀬武夫とマカロフ 
第10章 危機と名将 
第11章 黄海海戦運命の怪弾 
第12章 無言の握手 
第13章 手弁当の督励 
第14章 波高し 
第15章 沖津宮沖の島 
第16章 皇国の興廃この一戦に在り 
第17章 祖霊の海 
第18章 泡沫 
第19章 般若心経と教育勅語

ISBN:9784569573434
出版社:PHP研究所
判型:文庫
ページ数:480ページ
定価:857円(本体)
2000年02月15日第1版第1刷

0
2024年08月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

戦略、戦術、戦務の三位一体になってこそ、戦は成立するということを実践した人。戦略と戦術ばかりが注目され、戦務を抜かした経営が増えてきた。戦略、戦術が注目されたのはかつて日本にそれが弱く、逆に戦務は長けていたから。

以下、メモ
後年のバルチック艦隊が東洋に回航された時、ロシアの艦隊幹部の中には風帆船の操作しかしらない老朽士官が多かったといわれるが、日本海軍はすでに日清戦争の直前にそれらを一掃した。そして新進の若い士官達が、日清戦争で要職を経験し、日露戦争にむかうことができたのである。

『孫子』の"善く戦うものの勝つや、地名もなく勇功もなし"
ハナシとして面白いことの起きるのは、みな戦術上の失態で、完全無欠に実施される戦術は、
無味無臭で戦談の種子もなく、戦況に光彩もなく、また誰に功績があるのかわからず、
しかも全軍一様に最大の戦闘力を発揮するチームワークである。
そして大言壮語する豪傑よりも、まじめに義務を果たすものが信頼できる。

真之は海軍兵術を戦略、戦術、戦務の三大種目に分かち、それをさらに基本と応用に区別した。(中略)
戦務は、「戦略、戦術を実施するための事務の総称」であり、
情報通信、弾薬、兵器、炭水、兵糧などの補給を包含する。
真之は戦務を独立させ、これを重要視した。

「多くの戦史や各種の兵書をよく読んで、考えに考えた上で、これだ、と思うものが諸君の兵理で、
それがたとえ間違っていたとしても、百回の講義で聞いたものを暗記しただけのものに比べれば、
はるかにいいものなのだ。…自分の研究で会得したものでなければ、実戦で役に立たない。」
教官が、自分の考えの通りでなければ高い点数を与えないという採点法をすると、
学生たちは自分で考えようとしなくなる。

次の四つの場合以外には、戦闘はないということだった。
1 対抗両軍の戦闘力が均勢のとき
2 双方もしくは一方が敵の戦闘力を誤算し、その敵に対し優勢又は均勢と誤信したとき
3 一方が優勢で、劣勢の敵を窮迫して、戦闘するのやむなきに追い込んだとき
4 一方が劣勢であっても、その巧妙な戦術により優勢な敵を屈し得ると自信したとき

日本の外交暗号が解読されていたという事実は、次から次へと明らかになっている

もうだめだという危機のとき、乗員は必ず、みな艦長の顔を見るという。
艦長が落ち着いていれば、乗員も安心して冷静になる。
艦長はたとえ恐ろしくても平然としていなかればならない。これはどんな組織でも家庭でもいえる。
長たる者は危機のときみんなから顔色を見られている。動揺すればそれは全員に伝わり、平静さを失ってしまう。

そもそも戦いというのは、敵に倍する戦力をそなえて、勝つべくして勝利すべきものである。これは孫子がいう。
"勝ちやすきに勝つ"である。

勝利は敗因を蔵す

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2019年05月04日

Posted by ブクログ

こちらの本で良かったのはあの「日本海海戦」以後の真之さんのことがわずかながら書かれているっていうことと、あとがきの中にあったこの(↓)言葉に感銘を受けたこと・・・・・ぐらいでしょうか?

史は詩であり志である

司馬さんの「坂の上の雲」を読んでいても感じる高揚感は、まさにこの言葉に凝縮されていると思うんですよね~。  「歴史に学べ」とは言い古された言葉だけど、私たちが偉大なる先人に学ぶべきことの1つはこの「志」じゃないかなぁ・・・・と。  志のあるところに事が成り、その事が歴史として後世に伝わり感動を生む・・・・そういうものじゃないかなと思うんですよね。

(全文はブログにて)

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2011年12月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

史料を調べて、自分なりに編集すれば、そのまま面白い本が一冊完成する。変に小説風に登場人物に語らせると、その部分だけ陳腐になってしまう。
それほどこの歴史的事件は物語として面白い出来事だったと改めて感じさせられた。
そう、小説風な描写のところだけ、邪魔。

秋山兄弟は我が郷土が誇る有名人。(愛媛県ね)
自分にも海賊(水軍ね)の血が流れていることは間違いない。

彼の人生の頂点はやはり「日本海海戦」。これが東海海戦じゃ困る。
この一戦を持って、命名権を堂々と主張できる。

読み進むうちに、頭の片隅で「軍艦マーチ」が鳴り響いていた。

色々な感想を抱くが、「運」とか、「運命」の存在を強く感じざるを得ない。

あの頃の戦争は、決断力とか、勇気とか、対応力とか、人間的要素が現代の戦争より大きな部分を占めていた。
いまは、兵器の優劣で勝敗が付いてしまう。
スイッチ一つで片が付く分、人間的要素が極端に減った戦争になってしまった。

だから、もう戦争からは物語が生まれなくなってしまった。

0
2012年07月20日

Posted by ブクログ

戦艦『三笠』の艦長・東郷平八郎が、「智謀如湧」と評した名参謀・秋山真之の生涯を綴った歴史小説。

司馬遼太郎の歴史小説『坂の上の雲』は、秋山兄弟(好古・真之)と正岡子規を主人公として据えた小説であるものの、日露戦争当時の各地の様々な動きや情勢、采配等から、彼ら三人(特に正岡子規は、日露戦争勃発前に死亡)が全く登場せず、彼らを取り巻く、または彼らと深く関係する歴史上の人物が長く登場する、という箇所が多くありました。当時の時代の流れを、敢えて主人公三人の視点・手段に固執することなく、包括的な描写をするためには必要なことだったと思います。
本作は、それとは異なり、題名の通り『秋山真之』の、特に参謀としての人格形成に至った経緯を中心とした生涯を描いた作品です。そのため、明治維新から日露戦争までの流れではなく、『秋山真之』本人に対し深く掘り下げた知識を得たい、または彼の人となり、生き様、歴史を知りたい、という方には、最適かもしれません。

私自身は、『坂の上の雲』を読んだことによって、同時の戦争にかかわった人たちの人となり、生き様を、より深く知りたいと思い、彼らに関する書籍を多く読もうと思うに至りました。本書もその一つ。ですので、どちらかというと、当初は、歴史小説というよりかは、論評に近い本ではないか、と最初は思いました。
読んでみたら、ほぼ純然たる秋山真之の生涯を綴った小説。しかも、(記録がほとんど無いからかもしれませんが)内容についても、『坂の上の雲』とそう大きな違いはないのです。それ故、他のレビューアーの方々もおっしゃっているように、『坂の上の雲』から、秋山真之の部分だけを抜粋した本、と評したことに、図らずとも頷いてしまいました。
もしくは、『坂の上の雲』を読んだ後でも、そういう小説なんだと割り切って読む分にはいいのかもしれません。

他にも、例えば、『坂の上の雲』における、日本陸軍が執った重要作戦である二〇三高地の攻撃・占領作戦も、当時は陸軍と海軍との軋轢や、陸軍内におけるプライドの高さから、遅々として進まなかったことが描かれています(個人的な感想としては、それはもうしつこいとばかりに)。それもあり、海軍からの不満も積もりに積もらせていたに違いありません。が、本書ではその項目はほんの数行程度。しかも、あたかも秋山真之はまるで関与していないかのような。あれだけ読む側からしても苛立たせるような内容だったのに、彼が大なり小なり関与していないとは考え難い。これも、当時の秋山真之に関する史料がなかったから、とも言えなくもないですが…


勿論、全てが全てではありません。歴史小説ながら、ところどころで、日露戦争後(特に大東亜戦争)の軍部との対比が綴られています。
日露戦争当時の軍人は、全員が全員そうではないものの、それぞれが西洋列強に脅かされる毎日を憂い、彼らに対抗できる力を持ち、その力を以って日本という独立した国家を形成・維持しようと、躍起でした。そして、ロシアを打ち破る。そこから、日本の歯車は狂い始めた。その後も、軍事技術は日を追うごとに進化・深化しているのに、驕り高ぶりから、軍事研究を怠った。さらにその態度が、日露戦争では味方(または味方寄り)だった国々の警戒心を煽った。自分たちの国際的立ち位置を改めて確立する、または対抗しようともしても、既にとき遅し。第二次世界大戦に入った時には、たとえ真珠湾攻撃に成功したとしても、その形勢は決まっていたのかもしれません。
「勝って兜の緒を締めよ」。これは、現代にも言える格言であることを、本書では教えてくれます。

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2011年06月20日

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