あらすじ
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オープンソースの広がりにより、多様な機能を実現することは以前と比較すると驚くばかりに容易になっている。しかし、このような開発法ではスケーラビリティと高信頼性を同時に保証することはできない。機能の実現や追加が比較的安易にできる時代になったからこそ、成長し続けるシステム全体の正常な動作を保証しうる開発検査手法の必要性が増している。 本書では、優れた開発者として最先端の理論やツールと使ってソフトウェア開発をするために必要な基礎知識である、論理学、並行システム、オートマトン、モデル検査のアルゴリズムや実装技術、モデル検証ツールをまとめて解説する。
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Posted by ブクログ
形式手法の教育を行う場合に、受講生は、本書を全部読んでいる必要はないという命題をたててみました。
トップエスイー実践講座3では、「高度な数学的知識を習得して、現実的なシステムの仕様記述に利用することは容易でははい。」「モデル検査は、検証に必要な証明の作業を完全に自動的に行うため、上述の形式検証技術一般の問題点を解決できる。」とあることにもとづいています。
講師になる人間は、全部読んでいる必要があると感じました。
本書を読んでいて、わからない記述があったので記録します。
P21
論理命題が真であれば、その対偶は真となる。
「叱らないと勉強しない」(命題)
「勉強すると叱る」(対偶)
解釈としては
「勉強しているということは叱られたから」
という記述がありました。
疑問に思った点は、勉強していはじめたときと、叱ったときが同時でればよいのではないでしょうか。
「勉強しはじめたときにちょうど叱った」
というのが真であれば、
叱る方は「叱らないと勉強しない」と思うし、
勉強している方は、「勉強しはじめたときにちょうど叱った」と思うという理解ではだめでしょうか。
そのため、対偶としては、
「勉強しはじめたときにちょうど叱った」
といのではだめでしょうか。
あるいは、
叱る側の立場
「叱らないと勉強しない」
「勉強しているということは叱られたから」
というのは、すでに順序関係を含んでいるので、その記載がないことが問題なのでしょうか。
ところで、勉強する側の立場
「勉強しはじめたときにちょうど叱った」
の対偶は
「叱らなかったときに、勉強を始めなかったことがある」
というのでよいでしょうか?
ps.
命題が複数の人間に関するものは、表現を注意する必要があるのではという理解でよいでしょうか。