【感想・ネタバレ】命のビザ、遥かなる旅路 杉原千畝を陰で支えた日本人たちのレビュー

あらすじ

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため、多くのユダヤ人がポーランドに隣接するリトアニアに逃げ込んだ。それは逃げ道を失った彼らが日本経由の脱出ルートに最後の望みを託し、日本の通過査証を求めてのことだった。このとき首都カウナスの日本領事館にはこの歴史ドラマの主人公杉原千畝がいた。本書では、このとき発給された「杉原ビザ」を手にした多くのユダヤ人に救いの手を差しのべた、福井県敦賀や神戸の人々、JTBや日本郵船の職員など、知られざる日本人たちの存在をクローズアップする。

北出 明(きたであきら)
1944年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。66年慶應義塾大学文学部仏文科卒、国際観光振興会(現・国際観光振興機構=JNTO)に就職。ジュネーブ、ダラス、ソウルの各在外事務所に勤務。98年国際観光振興機構コンベンション誘致部長。2004年JNTO退職。著書に『風雪の歌人』(講談社出版サービスセンター)、『争いのなき国と国なれ』(英治出版)、『韓国の観光カリスマ』(交通新聞社)、『釜山港物語』(社会評論社)がある。

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

「命のビザ」、その先の旅路と、旅路を支えた人々の存在に光を当てている一冊。

旅行会社や海運会社の働きについて、今までまったく知りませんでした。

写真に添えられた「私を思い出してください」という言葉が、読後、やわらかく、深く、しっかりと、心に残りました。

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2023年06月05日

Posted by ブクログ

1940年代、本国の意向に背いて多くのユダヤ人に対し、独断で「命のビザ」を発給した日本人外交官。この話しをもっと詳しく知りたいと思い書籍を探していた。

本当の事を言うと、この件に関する別の作品を探していたのだが、そのとき唯一書店に在庫があったのが本書だったのだ。本書には命のビザを受け取ったユダヤ人たちが、シベリア鉄道やフェリーで福井県の敦賀へ渡り、安住の地を求め世界中に散ってゆく様子が描かれている。

恥ずかしながら、杉原千畝氏の事もあまり詳しく存じ上げていなかったが、その救出活動にあの旅行代理店や海運会社が、大きく関わっていた事を始めて知った。たくさんのユダヤの人々を輸送した天草丸というフェリーが、ドイツで造船されていたというエピソードもなかなか興味深い。

多くのユダヤ人を受け入れた敦賀や神戸での取材、そして実際にアメリカへ渡ったユダヤの方々への訪問など、貴重な証言の数々に思わず引き込まれてしまった。アメリカへ渡った方の中には、米国先物取引界の超大物であるレオ・メラメド氏も含まれており、改めて杉原氏と関係機関の功績の大きさに驚いた。

杉原氏は約6000名のユダヤ難民にビザを発給したそうだが、その子孫と家族も含めると結果として相当な数の人々を救ったのだと思う。本書では杉原サバイバー(生存者)という表現をしているが、世界中に「杉原チルドレン」が大勢いるのだと思うと、日本人の一人として非常に誇らしい気持ちである。

先般の東日本大震災の際、多くの外国人が日本人の秩序立った行動に驚いたようだが、前出のメラメド氏が残した「私には驚きは微塵もない、世界で最も礼儀正しい人々だから」 というコメントが印象的だった。

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2013年10月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

命のビザについて杉浦千畝さんがやったことを1行文章程度では知っていますが、深く知らなかったので本書を手に取りました。
杉浦さんの功績について、ではなく、ナチスドイツの収容を逃れたユダヤ人の移動について書かれた本書と言った方がこの本ついては良いと思いました。
移動して助かりました、ではなく、移動ルート、日本を経由して諸外国に行きました、日本に来た時のみなりや所持品、移動を手伝った日本人や会社、移動後に彼らがどのような気持ちを持っているのかなどです。著者は自分の足で情報を得て本にしているため、主観が多く語られている面もありますが、内容は現実味があり素晴らしいと思いました。何より著者の会社の先輩がユダヤ人の移動を手伝った方ということで内容に現実味がありました。

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2025年09月01日

Posted by ブクログ

別の本で、「敦賀で書類が完全ではなかったけど、通してあげた」というような記述を読んだような気がしていて、それ以来、杉原さんのビザを持った人がどういった経路で無事にアメリカなどへ行けたのかが気になっていた。
たくさんの力によって難民の命が助けられたことが、難民を日本まで運んだ船、敦賀、神戸・横浜、アメリカまでの船を中心に、それぞれ尽力した方々の仕事内容、アメリカに行くことが出来た方の話や当時の新聞記事を通して知ることができた。「あと10年早かったら…」という言葉がとても重い。
やっぱり一度リトアニアに行ってみたいな。

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2015年07月26日

Posted by ブクログ

ユダヤ人救済と言えば日本では杉原千畝が有名です。
しかし、彼が行ったのはあくまでビザの発給までであり、彼から発給されたビザを持った人々がその後どうなったかはあまり知られたていません。この本では、そうしたユダヤ人たちがその後多くの日本人によって支援を受けていたことがわかります。

【こんな人におすすめ
命のビザの後日談が知りたい人

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2023年07月23日

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