【感想・ネタバレ】アリと猪木のものがたりのレビュー

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Posted by ブクログ 2022年01月15日

「プロレスとは他に比類のなきジャンルである」

「私、プロレスの味方です」で作家デビューした著者。
プロレスを語ることを大きな文化にしていった先駆者だった。

「そして、私は過激なプロレスの味方です」
その熱は、プロレス実況の古舘伊知郎に。
そして、週刊プロレスなどを通して大きなうねりとなった。

...続きを読むその著者がやり残したことがあるという。

2016年に逝去したボクシング世界ヘビー級チャンピオン モハメド・アリ。
アリは現役のチャンピオンだった1976年に、日本でプロレスラーのアントニオ猪木と対戦している。

その試合が、ゴールデンタイムで再放送された。

「その両者の奇跡的実現とも言える試合が“世紀の凡戦”と酷評されたことに対して、それを迎え撃つ“言葉の弾丸”の持ち合わせがないゆえに撫でるようにしか触れることができず泣き寝入りを決め込んだのは、アリとイノキの両者に対する不誠実でもあり、作家としての時を紡ぐ中での、痛恨の極みと言える忘れ物であったのである」(「まえがき」より)

世紀のスーパースターの二人に、自身の体験と情念を絡ませながら、その深さに肉薄していく。

「アリもそうだし私もそうですが、二人にしかわからない感じというのがあるんでしょうね。まあ、人間というか、アントニオ猪木というよりもモハメド・アリというより、そういうものを飛び越した超越したみたいなものの力の作用というものはね、まあ具体的に何だと言われてもちょっと答えようがないんですね。
 だから、アリにしかわからない、私にしかわからないものがある。言葉では表現できないんですよね」(アントニオ猪木)

アリと猪木の唯一無二の関係。
著者と猪木の友情。
アリにあこがれ続けた著者の熱き思い。

著者にしか綴れなかった、時間と空間を超えた壮大なロマンのものがたり。

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Posted by ブクログ 2018年11月18日

1980年に『私、プロレスの味方です』で作家デビューした著者は、その後の一連のプロレス関連作品を出す中、大きな忘れ物をしたという忸怩たる思いがあったと告白する。その忘れ物とは、『私…』を著した四年前に行われた猪木対アリ戦なのであった。著者は、当時この一戦について言葉を絞り出すことができず、作品の中で...続きを読む触れることができなかった。そして、この一戦から40年が経ち、アリが亡くなったことをきっかけに、ようやく触れることができたと言う。そして出来上がったのが本書だ。プロレス者としては、この前段だけでもう完全にやられてしまった。
過去のプロレス関連作品に再三触れるなど、前半は多少冗長気味なところもあるけれども、それは著者が作家としての立場を少しだけ横に置いて、プロレスファンの流儀にのっとって書いたと考えれば、スッと腹に落ちる。それでも、この一戦の再放送を見ながらラウンド毎に両者の表情や動きを記した第6章は、さすが文芸作家と言える筆致だ。ワタシももちろん、この試合のDVDを見返したのだが、著者の観察眼の鋭さと、それを表現する絶妙な言葉の使い方にはもう唸りっぱなし。中でも、第10ラウンド終了時の「アリとイノキの双方とも、その表情に一級品性をあらわしはじめた」という一節が印象的だ。
そして、最後の第7章もこの本の読みどころ。1995年に北朝鮮で「平和のための平壌国際スポーツ文化祭典」を開催した猪木。この章は、その猪木からの誘いを受けて同大会に参加した著者が、アメリカ政府の大反対を押し切って同大会に立会人として参加したアリとの遭遇について綴っているのだが、これが良質な私小説のような趣き。第6章同様、作家としての立場をしっかり元に戻して、本書をきれいに締めくくっている。

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Posted by ブクログ 2018年01月18日

村松友視は1982年に「ファイター 評伝アントニオ猪木」を刊行し、そのあとがきでこう記した。

「これを機に、プロレスに関するいっさいの文章をしばらく休止し、私好みの観客席へもどりたいと思う」

村松友視はその後、本当にプロレスに関する書籍を出版しなかった。一部のプロレスマスコミには対談などで顔を出...続きを読むしたりしていたが、デビュー時からのファン(=プロレスファン)は期待しつつも、もう諦めていたと思う。

今回突然この「アリと猪木のものがたり」刊行を知り喜んで発売を待ちつつ、なにがあったんだろう、そしてなぜ「猪木vsアリ」なのだろう、と思った。

この本読めぱその答えは明確に書かれていて、ふたつの疑問の前者については、えっ、そんなことなのかと(少なくとも私自身は)思い、後者については、長年の(中学生の時「私、プロレスの味方です」を読んだ時以来の)、ほんの少しのクエスチョンが氷解した。

当初この本の発売を知った時はただ単純に、猪木・アリ戦は40年の間に評価も変わり、これまで様々な書物で分析され尽くしていて、いまさら(と言っては失礼だが)村松さんがどんなふうに料理するのかな、それをやる価値はあるのかなとも思った。

しかしそれは僕の浅はかな考えだった。
この本のタイトルには「ものがたり」という言葉が入っている。
単純な試合の分析だけであるはずがなかった。

引用や内容に関する記載をするつもりはないけれど、ひとつだけ思うことは、アリも猪木もそれぞれが「世間」との戦いを続けていたこと、そして猪木だけでなくアリにとってもこの一戦がその「世間」との対立軸として機能したことがよく理解できた。

村松友視とアリは北朝鮮で接点を持つ。
アリと猪木のつながりは世間からは「所詮は金ヅルとしてだろう」と捉えられていて、それはおそらくほぼ真実であろう。
しかし、金だけで様々なリスクを背負ってあの北朝鮮まで行くだろうか、という我々の想像の余地(妄想という方が正しいか)をアリは残してくれたし、そもそもあの戦い自体がアリにとっては北朝鮮行きを超えるリスクであるはずで、とにかく最初から亡くなるまでアリは村松友視だけでなく、私達に終わることのないクエスチョンを与え続けてくれたという点でもやはり稀代のスーパースターであった。

アリが亡くなった直後、私はクアラルンプールに仕事で行った。
クアラルンプールといえば、猪木ファン側から言えば、アリがトランジットで立ち寄った羽田で猪木の関係者が応戦状(挑戦状にあらず)を渡した後に趣いた地である。ホテルのレストランの窓からはサッカースタジアムが見えて、もしかしてあそこで試合したのかな、などど思ったりして、勝手に運命を感じたりした。

妄想は生涯続く。

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