【感想・ネタバレ】流罪の日本史のレビュー

あらすじ

日本史上初の流罪は近親相姦の姫、恨みのあまり怨霊になった天皇、親鸞や日蓮の法難、真田昌幸・信繁親子や宇喜多秀家の苦しい流人生活……。流罪は死刑につぐ大罪で、罪状や時代によって、流される場所は細かく規定されていた。誰がどんな罪でどこに流されたか。地位も名誉も財産も剥奪されて遠隔地に追われた罪人と一族は、縁もゆかりもない土地で、どう生き延びたのか。そこには権力闘争や策謀の壮絶なドラマがあった――。古代から近代までの流刑の変遷を辿り、そこに見える刑罰観の変遷を読み解く!

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Posted by ブクログ

 流罪が刑罰としては死罪に次ぐものであるとすれば、改めてその重さが分かる。

 現代で言えば、無期懲役だろうか。

 どちらもそれまでの縁(地縁、血縁など)から切り離される事を考えると、一種の社会的抹殺と言える。

 現代よりも縁が濃かった過去の時代ならば、より一層刑罰としては重くなっただろう。

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2021年08月08日

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ネタバレ

#流罪の日本史 #北海道も流罪の土地
蠣崎波郷「酋夷列像」が光格天皇の天覧を果たすために必要な、朝廷への人脈はこの事件から築かれた・・・
本書P214にある猪熊事件。慶長14年(1609)天下無双の美男子左近衛少将猪熊教利ら青年公家達が、後陽成天皇の寵姫達との密通騒ぎを起こす=「公家衆乱行随一」
皇は激怒し全員極刑を幕府に命じました。
この事件をきっかけに「公家衆法度5ヶ条」が定められ、2年後の禁中並公家諸法度に至る。
(鎌倉~室町時代の決まり事を明文化しただけで、朝廷をしばりつける統制が目的とも言えず、乱れた風紀をただし、天皇の権威が凋落するのを防ぐ目的)
※個人的の意見(笑)

猪熊事件に連座して蝦夷に配流された従四位上左近衛少将花山院忠長(=廃嫡)が、松前藩と京都を結びます。
配流されたとはいえ貴種である忠長を藩主の慶廣は賓客として迎えた。この好意に京都公家との婚姻という形で応えたのが忠長で、。その後、松前藩歴代藩主に6人もの輿入れがされている。大名が朝廷と接近するのを嫌う幕府にとっても異例の出来事です。

十三世道廣の室敬姫入輿の際は、右大臣という格式の高い花山院家であるため、京都から五十人もの腰元を従え、江戸を経て行列を組んでの入輿であった。
これらの女中のなかには松前家々臣に嫁入し、京都の風俗、習慣、生活を松前地方に定着させる役割を果 した。

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2020年04月25日

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古代以来の流刑の歴史について。特に交通不便の時代の流刑は送られる側も受け入れる側もどんな心境だったのか、気になる。

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2020年10月08日

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江戸時代以降の流罪・流人に関する書物は多いがそれ以前についてはなかなか類書が少ないなか、網羅的に述べられている。

巻末にきちんと参考文献(手に入りやすいものに限る)リストがあるのは好印象。

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2020年10月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

<目次>
第1章  流罪とは何か
第2章  鎌倉時代~影響力のある者は流罪が最適
第3章  南北朝・室町時代~実質的な死刑あるいはパフォーマンス
第4章  戦国時代~権力誇示のための「見せしめ」
第5章  江戸時代~増える犯罪人を江戸から離島へ

<内容>
「流刑(流罪)」という視点から日本史を見ようというもの。著者が言うように、流刑になった人物にスポットを当てたものは見かけたことがあるが、「流刑(流罪)」そのものに注目した本はなかった気がする。本の中で著者も言っているように、流刑先での状況は、1次資料が希薄でわからない。よく言われる話は、多くが創作のようだ。

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2018年03月23日

Posted by ブクログ

流罪とは何か。古代からの流罪の実例を調べ上げ、それがどのような意味を持っていたのかを探った。最初は刑罰だったものが、やがて見せしめや政敵の排除など、多様な意味を持ってくる。近代となり、辺境がなくなっていくとともに流罪は消滅した。

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2018年03月08日

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