【感想・ネタバレ】ドナルド・キーン わたしの日本語修行のレビュー

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Posted by ブクログ 2022年08月28日

少しだけ日本語教育に取り組んだ事がある。その時、キーン氏を知った。日本語を日本人を日本文学を、日本人以上に愛した人格者。
戦争中の敵国語を、純粋に日本語として愛し、学んだキーン氏。ここまで日本を愛してくれ、素晴らしい文学を広めてくれてありがとうと言う気持ち。
また、彼の純粋な姿勢って[好きこそ物の上...続きを読む手なれ]なんだなぁ〜と思う。

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Posted by ブクログ 2020年10月07日

ドナルドキーンさんは、時々TVで見かける日本通の方というイメージだった。
その程度の認識だったので、東日本大震災後に日本国籍を取得する決心をしたという報道をニュースで見た時「なんでこんなことがニュースになるのだろう?」と思った。

今回生前にドラルドキーンさんとのインタビューを収めた本を読んで、キー...続きを読むンさんの半生。コロンビア時代に日本語に興味を持ち、機会を得て海軍の日本語学校で日本語を学び、太平洋戦争では日本兵の日記などを読み、日本軍の次の作戦を調べたり、日本兵の聞き取り調査を実施したりした。と言う話は全く知らない話だったので驚いた。(自分が子供の時に放送したNHK大河ドラマ「山河燃ゆ」の世界だと思った)

この本で学んだ事は
・当時の日本にも宣教師などで滞在した滞在した外国人もいたという事実(幼少期小樽にいた宣教師の息子が同窓だった)
・捕虜に尊厳を持って接していた(実際戦後も長く関係を持てた人もいたらしい)
・世界の大学で日本や中国などについて学ぶ人が存在していたと言う事実

ふと、現在の日本の大学にはこのような懐が深く、広く、多様性のある学問の自由はあるのだろうか?と考えながら読んでしまった。

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Posted by ブクログ 2014年10月07日

キーンさんがインタビューに答え、自分の日本語修行だけでなく、先生、テキスト、教え子だけでなく、日本文学をはじめとする学問とのかかわりを語ったもの。インタビュアーは,日本語教育学専攻の東京外大の河路さん。河路さんがインタビュアーを引き受けるきっかけになったのは、キーンさんが使っていた長沼直兄のテキスト...続きを読むが、長沼学校から東京外大に寄贈され、それを整理していたことからだそうだ。この長沼学校、ぼくは1980年頃日本語教育学会の研究例会で発表をしたあと、そこの浅野鶴子先生という方に案内され訪れ、紀要までもらったことがある。浅野先生にはとてもかわいがっていただいたが、その後ご無沙汰しているうちにお亡くなりになった。閑話休題。キーンさんという人は好悪をはっきり言う人だ。出会ったテキストでもよくないものはよくない、先生でもこの人は立派だ、この人はだめだ、ということをはっきり言う。テキストの中でとりわけキーンさんの日本語修得に大きな影響を与えたのが、上で述べた長沼直兄がつくったテキストだった。このテキストの特徴は、日本文とともに最初から漢字が出てくることだ。外国人の日本語教育ではまずローマ字で基礎を教えて、ある段階になってから漢字が導入される。こうすると、会話力は伸びるが、漢字を導入した段階で、スローダウンしてしまうと言う。これはおそらくキーンさんたち日本語が大好きで勉強熱心な学生を相手に使ったからこそ成功したのではないだろうか。中国語の世界でも倉石武四郎さんなどは、日本人が目に頼りすぎる、ことばは音であると言ってローマ字による中国語テキストを編み、日中学院などで使ったことがある。のちに、長谷川良一さんらが批判して、今の漢字にピンインというかたちになった。ぼくは日本人のように漢字を知っている人間には最初から漢字を導入するのが理にかなっていると思う。もっとも、キーンさんも最初会話はできなかった。いや、当時キーンさんが学んだアメリカの海軍日本語学校では、会話よりも(会話は日系アメリカ人や日本からの帰国子女たちにできるものがいた)戦死した日本兵の残していった日記、文書を読むことの方が大切だった。だから、だから、そこで教えられた漢字も行書なのである。今日楷書に慣れきった私たちには理解しがたいことだが、昔の日本人は(今の中国人のように)行書を書くのが基本だった。耳だけで日本語を覚えた日系アメリカ人はしゃべることは得意でも漢字が読めない。行書ならなおさらだ。(これは、アメリカからの帰国子女を見てみればわかる)キーンさんたちの出番である。キーンさんは語学が好きで、中国語、フランス語だけでなくいくつもの語学に挑戦している。朝鮮語などは、ケンブリッジ大の朝鮮語講座の設立の基礎をつくったほどだ。キーンさんたち海軍日本語学校で学んだ人たちは多くの立派な日本人の恩師に恵まれた。だから、捕虜を扱う際も決して虐待したりせず尊重して接した。したがって捕虜との友情も生まれた。これは、海軍日本語学校がかれらに軍事を教えず、ただただ日本語学習をやらせたことによる。陸軍だったら事情はもっと違っていただろう。日本と比べればその差はさらに大きい。だから、日本人を好きになり、日本を愛し、最後には日本人になったのである。キーンさんは中国語やフランス語を勉強し、どの道を行くか迷ったことがあった。そんなとき、かれの恩師たちは、日本語はアメリカでは少数だから、日本語をやるべしとかれを押したそうだ。中国語は最初『論語』からはいったが、ギリシア哲学等を学んだキーンさんには、これは親孝行すべしとかあまりに当たり前のことが書いてあって面白くなかった。のちに本当に中国語を専門にしようと思い『紅楼夢』を読むがこれも面白くない。ついていた先生にそれを言うとその先生も、君は日本文学をやるべきだと、またまた後押しをしてくれた。先生方も偉い。これはアメリカのプラグマティズムによるのかもしれないが、なにをやることがアメリカにとって、キーンさんにとって有益かをみんなわかっていたのである。もっともキーンさんは『荘子』や杜甫には興味を覚えたらしく、こうした書物がかれの日本文学の研究にも影響を与えた。キーンさんが日本文学の英訳に精力を注いだのも、日本文学者と同じことをしていてはかなわない。それより、それをより美しい英語に訳し、英語のわかる人々に日本文学のよさをわかってもらうことの方が大事だと考えた。英語圏での第一人者になれというわけである。これは外国文学、外国語学をやる者にとっても言えることだ。外国人と競い合っても仕方がないのである。本書にはキーンさんを恩師とする弟子たちの思い出話も収められ、キーンさんという人を多重に見ることができるようにもなっている。

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