あらすじ
63歳で女性初・日本人初の国連難民高等弁務官となり、冷戦後の10年間、世界の難民支援を指揮した緒方貞子氏。当時の貴重な日記を中心に、エッセイ、インタビューなどをまとめたもの。難局に直面したとき、彼女はどう判断し、どう対応したのか。
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Posted by ブクログ
思考も行動も、実践的な方だということをあらためて知る。
冷戦後の世界、自分がまだ世界について知らないとき、このような激動の国際社会で日々奮闘していた一人の日本人の女性がいたことを、これからも忘れずに生きたいと思った。
一人の人間にとってはあまりにも大きすぎる困難に直面したような場面で、彼女が下してきた決断と背負ってきた責任の偉大さに改めて圧倒されると同時に、明確な基本原則というぶれない軸があって、それらの選択や行動が積み重ねられてきていることを学んだ。
Posted by ブクログ
人から、読み終わったから、と、もらった本。
総論として、前半は微妙だったけど、後半は人となりが知れて面白かった。
彼女のUNHCRでの困難な決断三つ。本書の前半は、ひたすらこの三つが核になっている感じで、今はこの当時の「急増」と言っている規模よりも難民の増大は半端ないので、ややコンテクストが古い感じ。過去こうだったのね、トップはこういう生活なのね、という感覚で読む。
三つ。
イラク国内におけるクルド難民救済 国内避難民を保護することとなり大議論。 p.13
サラエボで、軍との協力による物資空輸を開始。停戦合意のない戦闘状態のなかで人道援助を行ったはじめての経験。従来のICRCの仕事。ユーゴ解体によって、今日の国内避難民が明日の難民になる可能性があったから。予防のため。また、直接的には、ICRC代表がサラエボで襲撃を受け亡くなり、彼らが撤退し空白が生まれていたため。 p.14
コンゴ民主共和国へのルワンダ難民大量流出の際、難民と、集団虐殺に関与した武装兵士や軍人、民兵が紛れ込み区別できなかった。そのためキャンプでどちらも支援することになったが、人道支援の原則から外れるということて非難轟々。
後半は、高等弁務官を辞めてから(終わり頃)のインタビュー等が収録されており、問題の扱い方がやや多角化する。軍隊の出動と人道援助部隊との関係の議論はいまだに絶えないし、難民キャンプ軍事化・治安不安定化の懸念も絶えない。そういう点でのコメントなど、今でも参考になるかも。国際警察としての軍隊の起用法を考えるとか。
また、日本人が今後世界でプレゼンスを示すにはどうしたらよいか、なんてコメントも載っていたりして面白かった。語学力は...重々認識しつつ...ぐぬぬ。
日本が均質すぎるがゆえに、世界の問題が身近じゃない、だからこそ積極的に意識しないと見えてこないというのは同意。
最後の解説で引用されていた緒方さんの言葉は、なんか端的に人となりを表しているのかなと思った。
島国日本が、「日本は素晴らしい」と自賛し、日本だけの繁栄や心地よさを求めればどうなるか。
「すばらしかったらそれを広めるということが一つの使命です。この国は物がなくなったりもしないし、犯罪もひどいわけじゃない。やや、心地よすぎるのです。だけど、ほかの国も心地よくならないと、いつかは、私たちも心地よくなくなる。それをもう少しはっきり認識することが必要ではないかと思います。」 p.399
緒方さんが、2000年金当時からsolidarityを提唱していたとは知らなかった!