【感想・ネタバレ】知的人生のための考え方 わたしの人生観・歴史観のレビュー

あらすじ

人生をどうやって生きるべきか。いかに自己信頼と誇りを取り戻すか。日本の歴史をどう見ればいいのか――。“知の巨人”が遺した多数の名著から、思索のエッセンスを抽出。「自分探しの旅」「不確定性原理の意味」「小恍惚のすすめ」「自分ライブラリーのすすめ」「知的執筆術」「リソースフルのすすめ」「レトリックのすすめ」「精神の源流としての記紀」「和歌の前の平等」「言霊思想と言挙げせぬ国」「東京裁判史観からの解放」など、著者一流の知的生活への具体的なノウハウから、透徹した独特の歴史への視座まで、渡部人生学・歴史学を集大成しています。『渡部昇一の人生観・歴史観を高める事典』『わたしの人生観・歴史観』を追悼復刊。 [人生観を高めるための15の視点]●「自分探しの旅」 ●近代科学思考からの自由 ●不確定性原理の意味 ●正しいオカルト ●本性としての「善」 ●内なる声 ●小恍惚のすすめ ●人間としての気概 ●自己探究としての知的生活 ●知的正直のすすめ ●自分ライブラリーのすすめ ●知的時間術 ●知的執筆術 ●リソースフルのすすめ ●レトリックのすすめ [歴史観を高めるための19の視点]●内なる伝統 ●精神の源流としての記紀 ●和歌の前の平等 ●言霊思想と言挙げせぬ国 ●聖徳太子イズム ●妙なる共存 ●男性的原理・女性的原理 ●大和言葉と漢語の語感 ●「七生」という精神 ●「まことの花」の教育論 ●徹底分解の精神 ●秀でた計数能力と経済感覚 ●独自国家・日本 ●国体は変化すれども断絶せず ●白人神話への大いなる嚆矢 ●統帥権干犯問題 ●東京裁判史観からの解放 ●日本人の誇るべき三つの「刷り込み」 ●文明を牽引する国・日本

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Posted by ブクログ

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しかし、聖トーマス・アクイナス(一二二五?~一二七四年)らが言うように、「最もよき認識は授けられる」という態度は大切なのです。実際、「よきものは獲得するのではなく、授かるのだ」という落ち着いた人生観で生活している人は、周囲にも幸せを与えているようです。  そして、そういった生き方をしている人は、 自ずと感謝する姿勢がごく自然に見受けられ



それは、戦後、間違った左翼思想に基づく教育が幅を利かせ、気概とか男らしさといった、人間として欠かせない精神的教育が置き去りにされたことや、間違った歴史教育で日本人の気概を失わせてしまったことに最大の理由があり



自分のアイデンティティーを模索したり、ライフスタイルを築くためには、自分の心の底でうずく欲求や内なる声に耳を傾け、それを育てていく勇気が必要です。それは普通の人の場合、かすかな声であるために、心の内側によほど注意して耳をそばだてないと聴こえてこないの



読書の効用  古今東西の思想家が、読書の効用をさまざまなところで述べているように、私たちが人生をより深遠にかつ有意義なものにしていくためには読書は欠かせませ



自国の歴史を否定的に見ることは、すなわち、自分に流れる血を否定することです。そういった軽侮や卑下のアプローチで、どうして自分のアイデンティティーを洞察できるでしょうか。やはり、謙虚な目を持ちながらも、自国に対して愛と誇りを持って内なる伝統を見つめることが大切だと思うのです。  もちろん、私はやみくもに、日本が完璧だという日本礼讚論者になれと言っているのではありません。  井の中の蛙ではないですが、超右翼思想家のように局所的な自我礼讚的な視点だけで短絡的に見たり、もの申したりするのは危険であり、不十分です。やはり別の視点、言い換えれば外国の視点で日本を見るということが必要です。  しかし、左翼系の思想家のように海外から借りたアンチ日本的な視点だけが正しくて、井の中にいる蛙を外からあれやこれや論じる方法も大いに問題があり


別に宗教に限らず、日本においては、本来反目すべきものや相容れないものが共存していても何の違和感もない「 妙 なる共存」があって、それが普通の状態であるというのが、どうやらこの国の精神なの



私たちはなぜあの国のことを「中国」と呼ぶのでしょうか。というのは、「中国」とシナの人が言う時は、そこには強烈な中華思想があり、 東夷 西戎 北狄 南蛮 といった、周辺の属国に対する蔑称の反対概念として用いられているのであって、それら他国に対して(彼らからすれば属国に対して)、「シナが“ 中心の 国”であることを忘れるな」と、言っているようなものです。  ですから、そうとは言えないイギリスやアメリカに対してはCHINAと呼んでくださいと言っている一方で、日本に対してシナでなく、中国(あえて直訳すればcentral country)と呼ばせるのは、日本に「母なる国」と呼べと言っていることと同じです。それを私たちが事実そう呼んでしまっていては、それを認めていることになるの

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2023年07月06日

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