あらすじ
中上健次の盟友が模索し続けた文学の可能性。
「それにしても、言い争いばかりしてきたような気もする。そして、私にとって、はじめて出会った時に思い決めた“中上健次”への徹底的大反論はまだ、これから先のことだったのだ。
(中略)いずれにせよ、私の“中上健次”という名の目標は、今更、なにが起ころうと変えようがない。中上さんも、それは承知のうえだ、と私は信じている」
<「“中上健次”という存在」より>
アイヌ、プルトン、マオリの言語と文学――急逝した中上健次を読み直し、新しい世紀に向けて文学の可能性を探ったエッセイ集であり、中上とデビュー以来盟友として深く関わった津島佑子の1990年代の文学的軌跡でもある。
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Posted by ブクログ
遺作「ジャッカ・ドフニ」を読み終えたところであったため、アイヌ世界を描いた遺作の執筆動機が垣間見られる「アイヌ叙事詩翻訳事情」は、理解を深める上で重要なエッセイだと思えた。
マオリ、アイヌ、ブルターニュなど、少数民族言語の現在地点をめぐるエッセイ集ともとれる。東京で生まれ育った津島佑子にとって、周縁から中央を見る視点というものが重要な意味を持ったことが、本書を読むと理解できる。
巻頭の一章は、盟友であった中上健次を追悼する内容。中上は周知のとおり、日本を熊野という周縁から見つめた作家であるが、その中上文学への、おもねらない率直な限界の指摘もあり、興味深い内容。