【感想・ネタバレ】地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み 関東(2)京王・西武・東武のレビュー

あらすじ

【電子書籍化にあたり、地図・図版をカラー化しました】
雑木林や畑が広がるいまからおよそ百年前の東京周辺。そこを走る一両編成の「チンチン電車」は、沿線の人口が飛躍的に増えることに伴い、郊外志向の人びとを都市へ運ぶ大路線へと変貌を遂げていきます。
山手線の外側で環状線を目指していた京王電鉄、急速なモータリゼーションで方針転換を迫られた西武鉄道、戦時輸送の観点も踏まえ新潟への延伸を想定していた、のちの東武鉄道。
本書では、鉄道や軌道の許認可に関する戦前の公文書である鉄道省(鉄道院)文書とさまざまな時代の地図をもとに、この私鉄三社の歩みと近現代の日本の足跡を眺めていきます。関東大震災後の郊外志向、帝都復興事業、農村から工業都市への急激な発展、戦時下のレールの供出、職住接近から電車による通勤といったライフスタイルの変化、国鉄や私鉄各社との熾烈な争い、東京への沿線各地の産物の輸送、沿線の観光地開発など。
鉄道省文書とは、いわば鉄道をめぐる人々の声や思い、野心もあれば生活者の悲鳴や憤りであり、地図はその人々の声や思いを形にしたもの、しようとしたもの、潰えたもの、廃れたものの集積であります。
私たちの歴史を沿線からいま一度見つめ直してみませんか。第1巻は東急電鉄、小田急電鉄、つづく第3巻は京成電鉄、京浜急行電鉄、相模鉄道を扱います。

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Posted by ブクログ

関東大震災後に、京王が横浜市電に旧型車を融通した時、自走で行けた話がすごい。新宿追分で東京市電に入り、京急を経て横浜市電へ。
戦中に変電所が爆撃されて甲州街道で省線を越えられなくなった話は有名だが、その勾配は 40 ‰ だったと言う。
現井の頭線と東京山手急行電鉄の話題が興味深い。
鉄道省文書という範囲から、多摩川以西の相模原線は言及されない。

西武は、国分寺から川越への川越鉄道を起源とするが、川越への競合路線として東上線と所沢から東京へ短絡する現池袋線が開業してしまう。対抗するために東村山から東京へ向う線を種々計画するが認可を得るのに苦労し、最終的にやっと実現したのが現新宿線という経緯が興味深い。
村山貯水池ができると観光需要を見込んで三社が支線を建設して競い、戦後も奥多摩湖への鉄道直通とケーブルカーが計画されたが、モータリゼーションが進んで頓挫したという。鉄道時代の観光需要が想像以上のものだったことに驚く。

東武は、利根川鉄橋が大きな課題だったことは想像できるが、開通時には荒川放水路がまだなく、開鑿時に線路変更と架橋が必要になったことを知らなかった。
東上鉄道の上州は渋川を目指していたことも、本書で知った。

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2015年11月15日

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