あらすじ
歴史の中の『万葉集』。歌の拡がりを示す、出土した考古資料。民俗学が教えてくれる歌の文化の本質。それらを総合することによって、『万葉集』の新しい読み方を提案する画期的な書。〈情感を伝える歌〉〈事実を伝える日記〉〈共同体が伝える物語〉。古代人は、どうやったら、これらをうまく書き表し、後世に残せると考えたのか。斬新な古代文化論、万葉文化論が、ここに出現。
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Posted by ブクログ
万葉集を基にした古代論。
①歌とは人の心を一つにする
②歌集の成立要件は、作りてと受けてと流通が整っている必要がある
③法会の時に使用した木簡に歌が書かれているのは、みんなと歌を共有するためである
④日記文学が成立した背景
Posted by ブクログ
元号が「令和」となって、書店に「万葉集」本の紹介コーナーのようなのが増えている。改元はちょっとした「万葉集」ブームを引き起こしているようだ。
しかし、本書はそのブームの前に出された本で、著者は「本書は、普通の『万葉集』の入門書ではない」と述べており、本書は「古代社会において歌とは何か、『万葉集』とは何であったか」を考えるヒント集、提案集としている。
まず最初に面白いなっと思ったのは、歌の流通チェーンの話。そもそも、今から1300年前の歌が現在もこうして読まれ、語られていること自体不思議な感じがするが、それが著者のいう、この流通チェーンによるものと考えられる。
古代の歌は、「歌を作る」人だけでなく、「歌唱する人」「歌を伝える人」「歌を記す人」「歌を理解し批評する人」たちに支えられているという。当時はそういう役割の人(職業的にその役割を担っている人)がおり、歌を後世に残していく努力をしていた。万葉集が現在も語られているということは、これまでの期間、連綿とそういう役割をしてきた人たちがいたということだ。
次に興味深かったのは、出土された木簡。木簡とは細長い板のようなもので、そこには歌が書かれている。その文字が漢字の羅列であったりするが、それが当時の日本独特の言葉の伝達方法だったということを知ることができた。日本の言語文化という視点でみても面白かった。
本書では、聖武天皇の奈良の大仏建立や、遣唐使壮行の場面なども登場する。本の扉をめくって1300年前にワープしたかのような感覚だ。
当時は、そういうイベントにおいて、必ず宴の場があったという。そして宴では歌が詠まれるというのが決められた様式のようでもあった。そこには、必ず「作る人」「歌う人」「記す人」「批評する人」たちがいたのだ。
本書には、著名な二人の歌人、山上憶良と大伴家持がと登場するが、これらの二人についての記述も非常に興味深かった。
山上憶良は、儒教、仏教、道教、老荘思想に精通した天平時代を代表する知識人だったと著者は述べていた。なぜだか野菜のオクラをイメージしていた私は非常に失礼なことをしてきた(笑)。
また大伴家持の歌日記についても、とても興味深かった。家持はビッグイベントで歌を披露するチャンスに最高のパフォーマンスが出せるよう、事前に歌日記を用意していたという。
出席するイベントがどういうものか、出席した天皇を喜ばせるには、他の参加者を唸らせるには、といったことを十全に事前検討し、いつ指名がかかっても大丈夫なように歌を事前準備していたという。非常にビジネスライクだと感じたし、家持は優秀なプレゼンテーターだったのだなと思った。
そういう家持もせっかくの準備が没ったこともあったり、それでもそれらの情報の蓄積を次回に生かすツールとしたりと、なかなか天平の時代も大変だったのだと胸の内で苦笑いをしてしまった。
著者の「万葉集は、七世紀、八世紀を生きた日本人の声の缶詰」、「万葉集は、言葉の文化財」という言葉が印象的だ。