【感想・ネタバレ】イノベーターたちの日本史―近代日本の創造的対応のレビュー

あらすじ

彼らはどのように未来を切り拓いていったのか?
従来の史実では描かれなかった躍動感あふれるストーリーがここにある

高島秋帆、大隈重信、笠井順八、三野村利左衛門、益田孝、岩崎弥太郎、高峰譲吉、大河内正敏――
アヘン戦争、開国、財政政策、秩禄処分、士族授産、三井と三菱財閥、理化学研究所――

本書は、明治から昭和初期にかけての日本のイノベーターたちが、津波のように押し寄せる大変化にきわめて創造的に対応し、思いもよらない独創性を発揮していった過程をたどる試みである。そこには、これまで歴史の片隅に追いやられていた重要な事実の再発見もある。たとえば、アヘン戦争で解任された中国の高級官僚が残した西洋に関する文献や著作が、さまざまな偶然を経て国境を越え、江戸幕府が開国決断へと至るストーリー、勤王の志士がわずか数年にして明治政府の経済政策を作り上げていくストーリー、研究所から新興財閥を作り上げた理研の創業者のストーリーなど、従来の日本史では注目されることの少なかった人物と、彼らが突破した難題と、それらが社会にもたらしたインパクトを紹介していくものである。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

幕末から明治時代の歴史は教科書に若干の記載があっても、社会科の教師は3学期に足踏みしてページを見る事も無かった学生時代でした。今はどうなんでしょうか? 

その語られなかった時代の教科書になれば良いなと読み始めました。大学の教授先生になった学友の推薦もあったし。多くの参考文献を参考して、まとめられた濃い内容でした。

しかしながら、、
第一章は、「うんうん、良い感じ」でしたが、第二章から、大学の講義「想像的対応」クリエーティブレスポンス!に繋げる書き方が、難しい言葉の列挙に、、、教師先生だから仕方ないのでしょうが、一般人の興味を終りまで引き付けるには、一般書として「語り手」のテクニックが不足かと感じます。学生向け教科書としてでも、学生は苦労して読みそう。

抜粋、、164ページ
『結論から言えば、三菱は紆余曲折を経て、最初に参入したコアビジネスである海運事業の補完事業を次々と内部化することで、多角化事業体として大きく成長した』
↑論文だね^ ^ 一般ピーポーの感想でした^ ^

猿谷要先生の歴史書は読み易いです。蛇足


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2025年07月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ここで記載されたイノベーター全てが知性と責任感の2つが飛び抜けていた。
いずれの偉人も高い視座を獲得し、日本という国をどのように発展させるのかという使命感に燃えていた点に非常に刺激を受けた。
高島や大隈のようなリーダーシップは現代の政治家にはない気迫なのではないか。
周りの状況も的確に捉えながら動き、時代の変化とともに権限委譲を進めていくなどの財閥や理研の持続的なビジネス形成が美しい。

高島は鎖国下の日本で、さまざまな文献や長崎で手に入れた外国の様子などを総合して、海外との貿易の重要性を踏まえてペリーらと交渉する胆力があった。
正面からの武力闘いを防ぎながら、開戦につなげる交渉術などは明治時代の典型的な血気盛んなリーダーシップでは対応できないものであった。

大隈重信は、イギリスのパークス外交官と対応に議論を交わし、外交を執り行った度胸のある人物でありながら、日本の貨幣経済などの吟味して外交を切り拓いた人物である。この外交によって、日本経済の根幹となる貨幣価値の担保を成し遂げた。

秩禄処分(士族を解体する政策)の時代の中で、日本の産業を旧士族とともにセメント業にて切り拓いた人物。彼は、士族に対して、明治政府が買い取った士族身分の代金を殖産興業資金に転換するという革新的な偉業を成し遂げる。また、公債出資という形をとって工場建設費などを賄い、出資者に転換するなどしていた点も突出している。彼はドイツ人技師を招きながらセメント事業を大きくしていった点も文理の際立つ人物であった。

三井財閥を興した三井高利や三野村は、士族文化が残る中でも一般庶民でもかえる呉服屋を現金掛け値なしというスタイルで始めた。そこから、両替業や為替業にも進出し、銀行業へと至る。
財閥のイノベーションの要素としては、方針転換や新規事業に対するリスクヘッジ、第二に所有と経営を分離する組織構造の立案、第三に人材が人材を呼ぶサイクル、これらにより財閥が確立された。

三菱を作った岩崎弥太郎は海運業から入り、政府軍の反乱鎮静軍の輸送を買って出る。また、海外への船舶の修復業などや、鉱山取得を含むエネルギー業などで多角化していく。その一方で政府との仕事にはリスクが伴うところから、非政府関与を決めていくのも斬新。

高峰譲吉は、アメリカに渡りいくつかの化学物質を発明し、実用化した。また彼が中心となって設立した理化学研究所は大河内正敏によって、理研コンツェルンとして多角化していく。また、多角化といってもある物質が生成される際に出てくる副産物であったり、その製造過程で必要な物質を生産する仕組みであったり、そういったバリューチェーンを自身でも持っていくという点で、経済が成り立っていた点が面白い仕組み。何よりも、理研自体が自由な雰囲気によって、科学者が伸び伸びと研究する様、またそれにより責任感などが強く芽生えるという素晴らしい組織になっているのが現代のGoogleかのようなカルチャーを思わせる。

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2024年10月27日

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