【感想・ネタバレ】セラピストのレビュー

あらすじ

『絶対音感』『星新一』の著者が選んだ次なるテーマは、〈心の病〉だった――。河合隼雄の箱庭療法を試み、中井久夫から絵画療法を受け、自らもカウンセリングを学んだ。心の治療のあり方に迫り、セラピストとクライエントの関係性を読み解く。そして五年間の取材ののち、〈私〉の心もまた、病を抱えていることに気づき……。現代を生きるすべての人に響く、傑作ドキュメンタリー。文庫版特別書き下ろし「回復の先に道をつくる」を収録!

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Posted by ブクログ

 日本の心理学の発達過程を詳細に学べた私にとっては良書。冷静かつ第三者的な視点で描かれていて、強いバイヤスが入っていないのが良い。日本の心理学の発展に貢献した逸材の努力とその価値、カウンセリングの父、カールロジャースの軌跡も知ることが出来る。

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2025年09月18日

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医療、心理学、教育と多方面からの歴史的背景を知れて面白かった。

言葉にするということは、自分を理解したり、してもらったりするために、非常に重要なものではあるけれど、言葉にならない言葉以前のものが存在するのだと、そうだよね?そうだよね?とドキドキしました。

心の病からの回復とは発病前に戻ることではなく、新しい地平に立つことだとのこと。他の病気からの回復は、例えば熱が下がったとか傷が消えたとかなんとなくわかりやすいけど、心の病が治るとはどういう状態なんだろうかと不思議に思っていたので、そう捉えたら良いのかとホッとして、なんて素敵と思いました。

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2024年06月22日

Posted by ブクログ

始終圧倒されっぱなしだった。登場するセラピストのみなさんの思慮深さや鋭さと、それをあますことなく表現する最相さんの筆致。

クライエントが回復することを、手放しで喜んではいけない。心の病と向き合うことの長く苦しく、ときどき光が差しこむ道のりを垣間見た。

口絵の、中井久夫さんの書いた風景構成法のイラストがとてもいい。じんわり、何でも受け入れてくれそうな風景。

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2023年03月13日

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著者が、心理学やカウンセリングの世界を取材し、掘り下げたルポルタージュ。しかしジャンルを「ルポルタージュ」とまとめてしまうのはちょっと違うかも、と思える。著者本人の物語も含まれているし、日本にカウンセリングが持ち込まれてから、「心の病を治す」という分野の仕事がどのように研究・発展してきたのかを掘り下げた、歴史書や分析書のようでもある。
今や「カウンセリング」という言葉は世の中に浸透して、精神病ではなくても心が不安定になったとき、誰でも「カウンセリングが必要かも」と考えたりする。あきらかに病気ではなく、いじめや職業(職場)との不一致など、環境による不安であっても「カウンセリング」で何とかしようと考えたり。
私も不安感に耐えかねて、職場が紹介している窓口に問い合わせたことがある。(実際に受診するまでには至らなかったが)。
今ではそのように一般的になった「カウンセリング」だが、日本に持ち込まれてまだ70年しかたっていないらしい。心の病を引き受けるのは医者(精神科医)なのか?心理学者なのか?教育者なのか?そもそもそのような線引きもなく、”自称セラピスト”のような人も多数存在した。今でも民間の団体が主催する研修を数時間受けた程度で、もっともらしい看板を掲げてセラピーやカウンセリングを行う人がいる。今では「臨床心理士」という国家資格があるが、資格を取るのは大変難しく、経験が必要なのにも関わらず、待遇はあまりよくない。
それでも現代社会には、心に不調を抱え、カウンセリングを求める人がたくさんいる。社会はどのように対応していけばよいのだろう?求められる「セラピスト」とは?
本書の大部分は、かつて注目を浴びた「箱庭療法」や「絵画構成法」といった芸術療法の解説や、河合隼雄に影響を受けた研究者たちを取材した内容が占めており、日本の”心の診療”がどのような歴史をたどって発展したかをひもといている。箱庭療法はいかにして日本に持ち込まれ、どのように発展したのか。どんな人がどんな箱庭を作ったかの興味深い事例も少々取り上げられている。私も箱庭療法にとても興味がある!やってみたい!・・・しかし、今はそのような手法は下火になったようで、認知行動療法が主流だ。(これは私も仕事上多少の知識はある)。
残念ながらカウンセラーとクライアントが箱庭や絵画を通して心に向き合い、深いところに降りていくような治療は、もう現在はできないということだ。時間がないから。一人のカウンセラーが一日に何十人も診ている。数分間の診察で、抗うつ剤や睡眠導入剤を処方して終わり。それが当たり前になってきている。
本書を読んで、本当に病気で、薬の処方が必要な場合でなければ、一番のセラピストは身近にいる親しい人なのではないかと私は思った。そばにいて、相手の話に耳を傾け、深く共感したり、一緒に悩み悲しんだりして時には深く降りていってしまい(時にそれは危険なことでもあるらしいが)、そして一緒に上がってくる。
今は心療内科などの看板を掲げるクリニックに行っても、そんなに時間をかけて話を聞いてもらえないのならば、よっぽど素人であろうとそばで話を聞いてくれる人の方が心の回復の支えになるだろう。
私の友人に、個人でサロンを経営しており、とてもカウンセリングマインドがあり聞き上手な人がいる。時々無性に彼女に会いたくなり、友人として、ときには顧客としてサロンに通っている。先日会ったとき、「ねえ、あなたはサロンをやっていくために、なにかカウンセリングの勉強や研修をしたの?」と聞いてみた。本人曰く、傾聴ボランティアをするときにほんの少し研修を受けたがたいしたものではなく、もともと人の話を聞くのが好きなのだと言っていた。
傾聴っていうのも、誰にでもできそうで、できないよな。やっぱり彼女はもともと、向いているんだろうな、人の心を癒やす、何かを持っているんだろうな、と思った。
そういう興味もあって本書を読みました。数十年前の研究や、心理学の歴史の記述などは少々難しかったけど、とても興味深く読めました。

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2021年03月22日

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絵画療法やロジャーズのカウンセリングを本書でメインに取り上げられており、著者自身が一昔前に風靡した療法で認知療法などを取り上げられていないことをここに言っているけども、心理史について著者なりにまとめたことがしっかり書かれているし、カウンセリングにおいては「沈黙」が大切なことなど著者がエッセンスと感じたことがしっかり書かれている。なにより、著者自身が中野久雄さんなどに直接インタビューをして、この本を書くために大学院に進学して心理学の勉強をはじめたことなどその姿勢にとても驚かされた。

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2017年04月02日

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心の病って何だろう、どうやったら治るんだろう、どうやって治すんだろう。このあたりの疑問に対して、カウンセリングの歴史を紐解きながら迫っています。
心の病が「ほどけて」いく過程がなんとなくイメージできましたが、思っていたのと全然違ってびっくりです。
医者って病気を治してくれるイメージだったんですけど、患者が自分自身の心の闇を理解し、改善する方法を見つけていくのを、カウンセラーは支援し見守っていくんですね。
まさに「ほどけて」いく過程が臨場感たっぷりに再現されていて、自分のことみたいです。

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2016年12月13日

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最相葉月にしか書けない。このくどさというかしつこさというか、理論や分析で事象を切るのではなく、自身の違和感や興味を丁寧に丁寧に掘り下げていって、そこにあったのに誰も見向きもしなかった豊かな世界を見つけてしまう、というスタイル。読みながら静かな感動に包まれる。
社会の変化と症状の変化と制度の変化と診断治療法の変化とを、鳥の目と虫の目で立体的に浮かび上がらせているのも素晴らしい。自分でカウンセリングを受けた時の様子を誌上再録しているところの臨場感ったらない。
次回作も楽しみ。

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2016年11月18日

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ネタバレ

DSMを黒船到来とは、うまく名付けたなあと思う。
精神医学、心理学の、時代ごとの推移を本当に深く、でも分かりやすく概説してくれています。
現代の精神医学の抱える問題も、セラピストとクライエントの両面から描き出しており、その理解が深いがためだろうが、安易に批判的なスタンスはとっていない。とはいえ、ここに見ることのできる世界は、薄ら寒いと言わざるを得ない。
中井久夫氏の著作を読みたくなりました。

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2017年11月17日

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ノンフィクションライターの最相葉月による、箱庭療法について。

箱庭療法もさることながら、カウンリングについて深く知ることができた。

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2024年05月19日

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最相葉月(1963年~)氏は、関西学院大学法学部卒、広告会社、出版社、PR誌編集事務所勤務を経て、フリーのノンフィクションライター。『絶対音感』で小学館ノンフィクション大賞(1998年)、『星新一 一〇〇一話をつくった人』で講談社ノンフィクション賞(2007年)を受賞。そのほか、大佛次郎賞、日本SF大賞等を受賞。
本書は2014年に出版、2016年に文庫化された。
私はこれまで、著者のエッセイ集『なんといふ空』、『れるられる』、ノンフィクション作品『絶対音感』、『東京大学応援部物語』を読んできたが、その感性と徹底した取材スタイルが好きで、本書についても新古書店で見つけて手に取った。
本書は、「心理療法(=カウンセリング)」について、著者が「なぜ病むのかではなく、人の心がどう回復していくのか」に興味を持ったことをきっかけに、その歴史や方法、現場の様子を明らかにしたものである。
カウンセリングとは、20世紀初頭の米国に始まり、第二次大戦後に日本に持ち込まれたものだというが、本書では特に、日本のカウンセリングの歴史を作った、「箱庭療法」(砂を敷き詰めた箱におもちゃを配置して庭を作る方法)を使う心理学者・河合隼雄(1928~2007年)と、「風景構成法」(川や森や人の絵を、ある順序に従って描かせる方法)を使う精神科医・中井久夫(1934~2022年)の歩みを中心に、多数のセラピストを取材している。
また、著者は、臨床心理学を学ぶために、東洋英和女学院大学大学院と臨床部門併設の民間研修機関に通い、更には、自らの病(双極性障害Ⅱ型)についても明らかにしているのだが、そうした点は著者らしい。
読み終えて、これまでほとんど知らなかった心理療法の歴史を知ることができたが、中でも驚いたのは、河合隼雄の息子で同じく心理学者の河合俊雄が、「これまでの流れを見ていると、だいたい十年サイクルで心理的な症状が変化している・・・実は、発達障害だってそろそろ時代遅れになるかもしれないと考えているんです。生物学的な背景は絶対にありますから、傾向そのものは変わりませんけど・・・だいたい、あとになってわかるんです。それをいち早く捉えるのがわれわれセラピストの仕事ともいえますが」と語ったことである。つまり、クライエントの症状というのは、時代によってどんどん変化するというのだ。社会環境が変われば、それに対する人間の反応の仕方(=症状)が変わるのは、考えてみれば当然のことなのだが、改めて気付かされた。
そして、著者は最後に、クライエントとセラピストの関係の在り方について、次のように記している。
「この世の中に生きる限り、私たちは心の不調とは無縁ではいられない。医療だけでなく、社会的なサポートの充実が急がれる。ただ、よき同行者とめぐり会えたとしても、最後の最後は自分の力で立ち直っていくしかない。・・・心の病とは、暗闇の中で右往左往した挙句、ようやく探し当てた階段の踊り場のようなものなのかもしれない。踊り場でうずくまるクライエントのそばに、セラピストはいる。沈黙に耳を澄まし、クライエントから再び言葉が生まれるまで待ち続ける。クライエントが立ち上がったとき、彼らもまた立ち上がる。」
著者にして書き得た、心理療法とセラピストたちの歴史を知ることができる、力作ノンフィクションである。
(2023年2月了)

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2023年02月02日

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戦後の時代から現代までの精神疾患の治療の現場を取材し、セラピストの言葉を客観的に伝えている文章に誠実さを感じました。また、セラピストのかたがたの何処までも患者に寄り添う姿勢に私の中のずっと奥の方で固結びになっていた糸がするりとほどけ、心が軽くなるのを感じました。心理学は理論を唱えると、とても難しい学問ではありますが、やはり、人間の心と心の繋りなのだなと思いました。

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2023年01月27日

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ネタバレ

取材を深める前に筆者はカウンセリングを胡散臭く思っており、なぜ胡散臭く感じるのかについて書かれた部分は確かに……と苦笑いしながら読んだ。しかし筆者は取材を進めながらどんどん箱庭療法などの世界にのめり込んでいき、自分もまた病んでいたことに気づく。取材の仕方も、ただ話を聞くだけではなく、療法を実際に受けたり、自分がカウンセラー役になったり、時間と労力をかけて沢山勉強しておりすごいなと思った。
ロジャーズの心理学や箱庭などが日本にどのようにして入ってきてどう広まったのか、歴史が紐解かれていく様はとても興味深かった。

回復には悲しみが伴うということ。
言葉=因果律にとらわれたものであるが、因果関係のないものを語ることが必要であること。
近年は悩めない病が増加していること。
……など後半が特に面白かった。

中井久夫とのやりとりの逐語録、中井さんの人柄がありありと浮かぶ。河合隼雄についてのエピソードもたくさん。その他、様々な心理療法家や患者のエピソードが随所にちりばめられており、その一人一人の人生が深く描かれていて読みごたえがある。

箱庭療法や風景構成法などが実際にどのように行われているか、など、座学で学んできた心理学が具体化されて、個人的にとても勉強になった。

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2021年11月06日

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心理療法を著者が実際に受けながら、河合隼雄や中井久夫等、京大系心理セラピスト、箱庭療法やカール・ロジャース等、さまざまな日本の心理セラピーについて調べた本。

ヴァレリーの紹介でも知られる中井久夫の直々のセラピーを受けた体験記など、興味深い。
河合にしても、中井にしても、あるメソッドが有効であるというよりは、感性や学識豊かなセラピスト本人の技量に左右されるのかなとも思う。

効く効かないも良くはっきりしないものを療法と言って良いのか?ある先生の流儀奥義が平準化、普及化できないものを、学問と言って良いのか?

疑問は尽きないが、著者の静かで理知的な筆致に好感が持て、精神という不思議な世界に誠実に向きあうとする人々に触れることができる本。

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2021年07月30日

Posted by ブクログ

セラピストが相手にするクライエントの傾向(トレンドと呼んでいいものか分からないが)は、時代によって変化する。確かに、子供の頃に読んだ『こころの処方箋』には違和感を覚えたことを思い出した。

著者本人もセラピストのお世話になっているからこその視点が含まれているのもこの本の魅力だと思う。偏りなく、一人一人と向き合うセラピストに対しても、丁寧に一人一人を見つめる姿勢が安心感の信頼感を高めているように思う。


文庫版にのみ収録されているあとがきが、最も心があたたまる穏やかな光を感じるものだった。

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2020年01月27日

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私も15歳のときに読んだ「絶対音感」でノンフィクションの世界に華々しくデビューした著者の現時点での最新作となる本作は、<心の病>をテーマに、精神医学や心理学などがどのように発展してきて、どう人々の心を癒すのかについて書かれたルポルタージュである。

本書では、著者自らが両親の介護と死去に際して、自身も心の病を抱えていることを自覚しながら、自らも箱庭療法や絵画療法などを受けることで、深く治療の実態に迫っていく様子は強い説得力がある。5年間にも及ぶ取材と自らの治療を踏まえて書かれた本作は、そうした生々しい実態がわかりやすく描かれているともに、かつての治療では患者が喋りたくなければ10分間でも沈黙を続けられるような鷹揚な雰囲気があったが、近年の患者数の増大とそれに追いついていない医師・セラピストの人員数により、そうした治療が今や望めない等の問題提起がなされる。

個人的に強く関心を持ったのは、独自の絵画療法である風景構成法を生み出した精神科医の大家、中井久夫へのインタビューの中で、言語を操ることで、必然的に因果関係を作ってしまうという人間の根源的欲求について触れている点であった。

「言語は因果関係からなかなか抜け出せないのですね。因果関係を作ってしまうのはフィクションであり、治療を誤らせ、停滞させる、膠着させると考えられても当然だと思います。河合隼雄先生と交わした会話で、いい治療的会話の中に、脱因果的志向という条件を挙げたら多いに賛成していただけた。つまり因果論を表に出すな」ということです」(p366~367)

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2017年12月10日

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ネタバレ

「心の病はどのように治るのか」がテーマのノンフィクション。
河合隼雄さんも、中井久夫さんも『待つ』ことが大事なのだと教えてくれた。
『傾聴』って言葉が今言われてるけど、お二人は大分前からそれを実践してらしたんだ、と思った。
ちょっと私には難しかったけど、とても興味深く読めた。

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2017年08月29日

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普通にかんがえるなら取材対象として、精神領域は難しいと思う。患者、治療者の内面にここまで踏み込めているのは、著者の力だと思う。著者が独白した自身の患っている病の為か。患者や医療関係者が読んでも深く感じるだろう。それでいて初めて、基礎知識のない人が読んでも新たな見識をもたらしてくれると思う。

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2017年06月30日

Posted by ブクログ

この本を読んで、精神医学についてなにかがわかったとか理解したという感じではないけれど、読みものとしておもしろかった。なんだか読後感がすがすがしいような。
絵画療法を実際おこなったときの記録を読んで、なぜだかすごく心やすまるというか、心がひろがるような、静かに感動するような気がした。著者がセラピスト役、絵画療法の第一人者である精神科医中井久夫氏がクライアント役、となって、絵を描いたときの記録が、なんでもないやりとりのように読めるんだけど、中井氏のひとことひとことがなんだかとてもよくて。口絵に載っている、そのときの絵もとてもよくて。
河合隼雄氏もたびたび登場する。
どのセラピストも、治すとかそういうことじゃなくって、クライアントに寄り添うというような姿勢なのが心に残った。
クライアントの症状が解消されればうれしいけれど、解消されなくてもいい、というような言葉も印象的だった。

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2017年01月31日

Posted by ブクログ

河合隼雄とエリザベス・キュープラー・ロスの本は好きでたくさん読んだ。心の中の風景や精神が寄って立つ何かが浮かんで来る気がして。
心の病を治す為に力を貸そうとする人たちに感謝する。そして、その世界の一面を見せて下さった葉月さんにも '′ありがとう''

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2016年10月30日

Posted by ブクログ

 箱庭療法を主なテーマに、現代人の心の病について語られるドキュメンタリー。
 箱庭療法パートや精神医学の歴史は読むのが苦痛のレベルで退屈な時もあるが、第八章「悩めない病」と九章「回復のかなしみ」が秀逸で、読んでいてはっとした。
 心理関係に興味がある人にはお薦め。

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2020年06月19日

Posted by ブクログ

 セラピスト木村晴子の仕事から、河合隼雄、中井久夫とたどる、最相自身の自己発見のプロセス。精神科医療の入門的「売れんかな」本でないことが本書の命。
 なんといっても、精神科医中井久夫の仕事に対する誠実な記述が好印象の好著。

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2019年04月01日

Posted by ブクログ

仕事で、「心の病」のある人、あるいはその家族と話すことがある。
現状、苦しんでいる人がどのように悩み、もがき、治療を受けているのかはわからない。
私たちは、ただ、淡々と、その事実を記録して、案件の処理をするだけだからだ。
だから、各々に対して思い入れはしない。
けれども、たまたま私は治療をするほど追い詰められなかったけれど、かつて自傷したこともあるし、何度も自殺する方法について考えたこともある。
本が私を助けてくれたから、自力で立ち直ることができたが、それはあくまで私の体験であり、すべての人に有効な方法でもないし、共通する経験でもない。
だから、私は苦しむ人々がどんな治療を受け、どう関わりを持っているのか知りたいと思った。
心理療法士、精神科医はどんな思いで、相手と関わっているのだろう?

424〜425頁で女性患者がこう言った。
「この前箱庭を作ったとき、先生はこれで治せると思ったでしょう」
「私は別に治してほしくないのです。私はここに治してもらうために来ているのではありません」。
一瞬何を言っているのかわからなかったし、患者特有の意固地さなのかと思った。
しかし、「治さねばならぬ」という思いは、一体誰のためなのかを考えたとき、自分の子供を思った。
普通級ではなく、支援学級を勧められた時、教育委員会は、何のために、誰のために支援級と判定したのか、その時の怒りに似た感情を思い出したのだ。
「普通」とは何だ、誰のための「普通」なのか。

実際はそんな悠長なことを言っていられないかもしれない。
自傷や他害を起こさせないことは必要なことだし、実際に苦しんでいて治したいと思う患者も多いだろう。
だが、違うことは悪いこと、同じでなければ価値がないというのは、優生思想ではないか。
かつて、人類が何度も犯してきた過ちと同じことをまた、繰り返すのか。
なぜ生き物がこれだけ多様性を持ち、変異を起こしてきたか、私たちに足りないものは、そのゆとりなのだ。
人が人らしく生きるには遊びが必要だ。

心とは、多様性とは、生きるとは。
本書が問いかけるものは、広く、果てしない。

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2019年03月17日

Posted by ブクログ

自分がこの種の本に興味を持つのはなんでなんだろう。自分の心でも、自分で分からない。心理士や精神科医なら、それを解き明かしてくれるのか?そんなものでもない気がする。

この厄介な心がもし壊れたら、自分でもどう対処したらいいか分からないだろう。

セラピストという仕事に多少の懐疑を持ちながらこの本を読み始めたが、真の意味でセラピストになれる資質のある人って、本来はすごく少ない気がする。

文庫の最後についてるラグーナ出版のエピソードが良かった。執筆時期が違うから当然かもしれないが、最相さんの筆も軽く、働いている人達のなんとも言えないアッケラカンな感じに救われた。

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2017年06月03日

Posted by ブクログ

おや、新刊出ていると読んでみました。
確かに心を病んでいる人って今多いですよね。そして心療科といっても具体的に何をする所なのか、どういった治療をされるのかがわからなくて漠然とした不安感を感じるというか。河合隼雄さんという方はお名前だけは存じておりましたがそうか、日本の精神治療というかユング派の草分けだったんですねぇ。

というわけで精神治療というか心療の歴史から入って著者自身が体験されたカウンセリングや自己分析が入っていて盛りだくさん。増え続ける患者に対してどう時間を取るかというジレンマとか現場は大変だなぁと思う一方、昔だったらこれぐらいなら・・・と家族で面倒見ていた患者さんも居たんだろうな、なんて思いました。それが良いのか悪いのかはわかりませんが。

人の話をただ聞くなんて自分には無理だなぁ。つい意見を言いたくなるし、口を挟みたくなる。読んでいて思ったのですが自分も自分のことを知っているようで知っていないんだろうな、なんて思いました。前から自分はちょっと普通とは違うなと思っていましたが自分の中の正義とか結論を前に出すきらいが強いのかもしれない。まあ普通の人なんて人は居ないのかもしれないからある程度は許容範囲内で何とか皆頑張ってるんだろうけど。ちょっと立ち止まって自分を見つめなおすのもいいのかもしれないな、なんて思いました。もっとも見つめなおした結果、タガが外れて精神の調和を来したりする可能性もなくはなさそうだから興味本位で入りこめる分野では無さそうだけれども。

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2016年10月18日

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