【感想・ネタバレ】家族最後の日のレビュー

あらすじ

母との絶縁、義弟の自殺、夫の癌――。
写真家・植本一子が生きた、懸命な日常の記録。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

写真家の植本一子さんのエッセイ。っていうか、日記です。私も日記をつけていて、もう何年も同じ日付の過去の記録が読み返せるスタイルの日記を続けているのですが、やっぱり日記っていいよな、と思いました。私はノートに手書きをしているので、あまりたくさんは書けないけど、それでも読み返すと楽しい。この本を読んでもっと分量を増やして書きたいなと思いました。(たいていの人はそう思うハズ)。

「家族最後の日」というタイトルで、最初の方に実家と決裂する話が出てくるので、あぁ、そういう意味なのかーと思ったら、夫さんが癌で入院したので、「えっ!!!そっち?じゃあ最後、もう死ぬの?」と思い、残りページが少なくなって、「え?あとこんだけだけど、突然死んだりする?涙!」と思いながら読みましたが、抗がん剤治療が始まって一区切りのところで本は終わりました。
その後調べたら夫さんはやはり亡くなったようですが、この本のタイトルはやはり、実家との決裂を表しているようです。

実の母娘がここまでこじれるって、本当につらいよな、と思います。そのことは別の書籍で書かれているようです。(読もうか、迷うな)。
本書では、子供を連れて久しぶりに実家に帰った時に、お母さんが用意しているお寿司に手を付けないで「あとで食べるから置いといて」と言ったところから、お母さんがブチ切れて、「やっぱりもう二度と帰ってこない!」ってなるんだけど、私からすれば、それって著者の方が悪くないか?私が帰省する娘にご飯を用意して待っていた立場だとしたら、帰ってきてそれを食べもせず放置して、他のことし始めたら私だってブチ切れるわ!(笑)と思ったけど、違うのかな?まぁ、著者の他の本を読んでいないし、これまでの蓄積がいろいろあるのだろうから、同情しないといけないのだろう。

それは置いといて・・・
著者はフリーランスで写真家として仕事をしながら、二人の子育てをし、夫さんの癌が発覚して毎日の生活を一生懸命に暮らしていく。何か特別なことがあるわけでもないが、その日々は本当に尊い。そして大変だ。とても、共感する。
娘がサンドイッチを食べたいというから、コールスローサラダを挟んで作ったら、「卵サンドが良かったと言って泣かれる、苛ついてもしょうがないから作り直す、奇跡的にゆで卵があって良かった」とか、そういう記述にいちいち共感して泣きそうになった(笑)。あるよね、そういうこと。そして自分が、余っちゃったのを食べるのよ。

他にも共感したことメモメモ↓
全てを支えてくれる人などいない、いろんな人からちょっとずつ支えてもらってなんとかやっていく

赤ちゃんを怒鳴っちゃうんです、自分が怖いんですと泣きながら話したら、臨床心理士の先生は言いました。子どもを産むと、それまで封じ込めていた家族関係の蓋が開くことがある。突如噴出する怒りに戸惑うこともあるのだと。「でもね、悩んでいるお母さんはいいお母さんよ。問題は、自分が正しいと信じている人なの。」
↑これは日記の中の、雑誌のコラムからの引用。

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2026年03月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

運よく、サイン本を買うことができた。「今を生きてる?」と万年筆でサインしてあった。一子さんらしいと思いつつ、感動しながら、中身も読み進めた。

私は「かなわない」で初めて一子さんを知り、一気にファンになったが、先日学生時代の友人の中で「かなわない」について話した時、友人の中にも「自分から不倫してることを書いた人でしょ?」と眉を顰める人もいた。一方で、「不倫を自分から書くから文学なんだよ!」と憤る人もいた。私は一子さんのことは、写真の才能も文章の才能もあってうらやましいくらいにしか思っていなかったけど、そうか、これが文学か。

そして、この「家族最後の日」も装丁が素敵だと思う。「かなわない」もなんでトースト???と惹きつけられたけど、家族~はまず赤が美しい。写真の帯も是非めくってほしい。(ネタばれ?)

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2018年05月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

淡々とした日記のなかに、媚びへつらわない正直な毎日が、想いが、詰まっている。

「写真を撮っているとき、そして文章を書いているとき、私の精神は安定している。そのときは誰にも依存せず、自分一人で立っている気がする。」

そう言う筆者の植本さんにとても共感する。
一人で立つ、ということばがよく出てくる。自立、自律?
一人で立たなければいけないと私もずっと思っていたけれど、本当にそうなのだろうか。
人という文字は、人と人が支え合っている様子を表しているなんていうけれど、その角度というか、支え具合、支えられ具合はフレキシブルに変化していくのが理想だと思う。常に寄りかかっていなくても良くて、でも立っていられないときには、「助けて」さえ言えれば、いろんな人が少しずつ支えてくれる、はずだ。

「すべてを支えてくれる人は、本当にこの世のどこにもいない。いろんな部分をいろんな人に少しずつ支えてもらって、やっと一人で立っていられる。」

そもそも、一人で立っていない人なんて世の中に沢山いるじゃん、とも思う。それでもきっと別にいいのだけれど、それを許せない自分がいる。本当は羨ましいのかもしれない。そこに対して頑ななのは、やはり自分がどこかいびつなのかなとも思う。せめて、素直に「助けて」が言えるように。植本さんは、一人で立つことに対して、とても誠実だと思った。そういうところが、好きだと思った。

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ふと、お母さんに泣きつきたいと思った。私のいまの苦しみや悲しみをいくら周りの人たちに伝えたとして、ちっとも減る気がしない。全部をさらけ出せて、受け入れてくれるのは、結局お母さんしかいないのではないだろうか。周りを見渡しても誰もいない気がして、どうしてもそこに行き着いてしまう。そんな希望が昔からずっとあって、それがかなえられることがなかったから、私はいまこんな風になっているというのに。母への憎しみとともに、子どものように泣きつきたい衝動にかられる。
 結局私は自立をしないで生きてきたのだ。お母さんから石田さんへ、バトンが渡されただけだった。それがいま、自分に戻ってきてしまったような思いがする。自分のバトンは自分で持ちなさいと。こんな形で自立をしなければいけないなんて、思ってもみなかった。

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2017年07月01日

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