あらすじ
私たちは正しくなるために何が必要なのか? 正しさに太刀打ちできるものなどない!!
本書は、現代思想の理論を駆使し、「正しい」という言葉を徹底的に解剖し、愚直までに「正しさ」の意味を考究した理論書です。まず著者は「正しさ」が力であるという前提のもと、「正しさ」を考えるための基本構図を設定。正しさの判定を論理と事実によって行います。しかし、「正しさ」が常に勝つことはなく、「正しさ」が現実には敗北することさえあることを明らかにしていき、私たち人間の本質矛盾を突いていきます。そして「正しさ」の論理と事実の妥当性は人間のコミュニケーションにあるとし、詳細な事例を紹介していきます。また長年の哲学的難問「真理」と「正義」についての考究に入り、締めくくりに「言葉」の力についての鋭利な著者の分析を行います。 また本書に登場した哲学者たちの著書のブックガイドを添え、哲学ビギナー対しての便利な舵取りを行っております。 著者の高田明典は現代思想評論家であり、フェリス女学院大学教授で、これまでに、構造主義や現代思想、メディア、ネット関係の多く書物を出し注目をされております。本書は著者の渾身書き下ろし作品です。
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Posted by ブクログ
「正しさ/正義」は「誰が、どこで、どのタイミングで決めるか」が大きな要素になるので、一般的な認識と乖離してしまうことが多々あるし、逆により多くの人々に共感してもらえる「正しい主張」が響き渡れば「権力者」も「場の空気」をも粉砕するほど力を持つこともある。
自分で「正しさ」や「公平性」などについて熟考する時は、思想や哲学が道具として役立つが、これらは問題の深部にある発生源を直接的に触れようとするあまり、使い勝手が悪いことが多い。痛みが伴うのに体質改善的なアプローチとなりがちで切れ味も悪く、即時性もない。だけに自分の中ですら辛抱しきれなくなって結果的に「正しさ」が負けてしまうのだ。
また中年男性ともなると「私だけが正しい」病に陥りがちだ。それが頑固親父、雷親父、老害、コンサバ、レガシーなどと煙たがれることになる。退職して家族からも鬱陶しがられたりしたらその脅かされた「承認欲求」が爆発して暴走老人化してしまう。自分の考える「正しさ」の力にすがって個別の事情を拒絶し、攻撃して得られる自己重要感は、「ゼロ⇔100」にしか認識できない能力の限界を晒しているばかりか「自分の弱さ」の象徴ともなる。
つまり「正しさ」とは、心強い武器にもなるが、取り扱いが難しいということ。というのも「誰かにとっての正しさ」という前提が背面に隠れているので「その社会の構成員の誰にとっても正しい」が成り立つまで関係者らと熟考と微調整を繰り返さないとならない。