あらすじ
いまだITスキルに大きな格差があるインド。学校では上位カーストの生徒がマウスとキーボードを占領している。「これこそまさに、イノベーションにうってつけのチャンスだ。1台のパソコンに複数のマウスをつないだらどうだろう? …そしてすぐに〈マルチポイント〉と名付けた試作品と、専用の教育ソフトまで作ってしまった」。しかしその結果は… 「ただでさえ生徒を勉強に集中させるのに苦労していた教師たちにとって、パソコンは支援どころか邪魔物以外のなんでもなかった。…テクノロジーは、すぐれた教師や優秀な学長の不在を補うことは決してできなかったのだ」。こうして、技術オタクを自任する著者の、数々の試みは失敗する。その試行錯誤から見えてきたのは、人間開発の重要性だった。ガーナのリベラルアーツ教育機関「アシェシ大学」、インド農民に動画教育をおこなう「デジタル・グリーン」、低カーストの人々のための全寮制学校「シャンティ・バヴァン」などを紹介しながら、社会を前進させるのは、テクノロジーではなく、人間の知恵であることを語りつくす。
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Posted by ブクログ
テクノロジーは貧困層の生活を豊かにする万能策なのだろうか?
これがこの本の大きな問いである。そして著者はこの問いに対して「No」と言い、結局のところ、テクノロジーを利用する人そのものをアップグレードすることが必要であると主張している。
この本の大きな意義は、テクノロジーの役割を再定義したことにある。著者は「増幅の法則」という理論を提唱しており、テクノロジーの本来の役割は「人の能力や意志を増幅することにある」としている。
この本から得られた「増幅の法則」という着想は、家父長社会におけるICTの役割や意味を研究する自身にとって非常に有益なものであった。男性が支配的なバングラデシュ社会において、もはや女性は男性に従属的な存在であるだけでなく、その不平等な社会に何とか抵抗しようと戦略的に生きている。このようなバングラデシュ社会に今、モバイルフォンを活用したICTサービスが普及しつつある。家父長社会に生きる女性の戦略的行為に対して ICTがいかなる役割を果たすのか。この問いに答えるための重要な視点をこの本が与えてくれた。
(名古屋大学大学院国際開発研究科 博士課程 綿貫竜史)
Posted by ブクログ
テクノロジー!への懐疑を募らせる日々。
生身の人間から作られているのがこの世界。
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著者は、テクノロジーという外的な介入パッケージではなく、実際に変化をもたらす主体の「内面的成長」に焦点を当てる必要がある、という。
_本書の中核的テーマは、社会的状況を解決するべき問題としてみるよりも、育成するべき人や制度として見るべきだというものだ。
テクノロジー至上主義への批判や反証をさらに深堀する。
非営利組織アジム・プレムジ財団代表、アヌラーグ・ベハールが、2010年『ウォール・ストリート・ジャーナル』のインド系列紙記事で、15000校以上のコンビェーター室で展開する自らの組織の活動に疑問を役げかけ、「[情報通信技術]の解決策としての魅力は、せいぜい現実の問題から目をそらさせるだけだ。最悪の場合、情報通信技術は本物の問題を解決する代替案として提案されてしまう」と書き述べている。
貧しい地区の子どもたちがパソコンを自由に使えるようにした、「Whole in the Wall Project 」では、大人の手助けなくても使い方を自分たちで覚えたか、何をしたかというとせいぜいビデオゲームをする程度だった。
著者は、自身の実践や調査結果を通して、テクノロジーに内在する力についての迷信を打破します。
…
テクノロジーの性質として著者が見つけたのが「増幅の原則」。
テクノロジーは、人間の能力を増強する効果が第一にある、とし、テクノロジーが増幅させる人的資質として、以下の3つを挙げられています。
意図-心
判断力―知性
自制心ー意志
_介入パッケージがどのような「チャンス」を生み出していようとも、それ単体ではプラスの社会的変化を保証するものではない。
肝心なのは、テクノロジー導入の対象者、コミュニティに、どのような方向性があり、能力の基盤があるか。手段としてのテクノロジーは、人々が持ってきた欲求に応えるし、そこでは潜在的な感情も誇張される、という性質がある。
人が変数であるということに関連して、ピーター H.ロッシのプログラム評価に関する鉄則もこれに当てはまる、と。
「非常に能力が高く、強い熱意を持った人員が小規模なプログラムを実施するのと、能力も意欲もさほど高くない人員がプログラムを実施するのとではわけがちがう」
つまり、介入パッケージの効果が対象の能力に比例している。
…
デジタル・グリーンの事業では、それにかかわる人間に適切な焦点が注がれていたことを紹介しています。いかに目標にあった人的能力を特定し、あるいは構築することが大事か、例えばースタッフを雇い入れる、パートナーを探す、など、具体的方法についても書かれています。
また、IT大国となったインドがどう教育に重点的に取り組んできた結果だと論じています。1953年、ネルー首相が国立インド工科大学(IIT)を設立。人的能力の構築に数十年を費やした結果としてのテクノロジー分野の躍進。IIT卒業生の多くが海外に出ていく、マイクロソフトの20%がインド出身、その多くがIIT卒業生とのこと。
インドの全寮制学校シャンティ・バヴァンで低所得、低カーストの家庭の子どもを受け入れ、学問、課外活動、人格と文化的財産を重視した教育を実施している例とその成果。
また関連して、インド、イスラエル、台湾などにみられる、頭脳の流出が、有益な頭脳の循環に変化し得る、という「頭脳循環」を裏付けるアナリー・サクセニアンによる研究も初めて知りました。
個人の成長と社会的発展は、相互に引き起こされ、補強し合う、ことについても興味深い研究として、リチャード・フロリダが行った「クリエイティブ・クラス」と名付けた階級を調査では、マズローの欲求段階の枠組みで、個人の願望(自己実現階級の上昇)と国の人口構成(労働サイクル)との関連性ー農業人口のピーク(1900)、労働者人口、(1910-60)、サービス人口(1970年代~)ーが示されているそうです。
…
メンターシップ
内面的成長を個々人に促すために鍵となる取組のひとつがメンターシップ。
_すぐれたメンターシップに重点を置くのは大事なことだ。着飾っただけのメンターシップや、流行り言葉だけのメンターシップに重点を置いてはならない。メンターシップは、概念を根本から覆すようなものではない。だが、それが社会的大義の模範として取り上げられることがまずないため、理論家、政策決定者、支援団体に無視されてきた。だが、メンターシップはトップダウンの権力、事前的なパターナリズム、うわべだけの平等といった問題を回避する、包括的な枠組みになるのだ。
たしかに、多くの事業や活動で、何を教えるか、というような情報の部分に焦点を置きがちになり、人間の成長のための指導や教育から焦点に十分な焦点を注いでいないと気づく。
コミュニティのオーナーシップやエンパワーメント、参加型、などというけれど、
手続き的になる傾向があり、徹底する意志を確実に持っていないのは、テクノロジーや専門知識の活用という点でもかなりもったいない、ということを再認識しました。
個々人に丁寧に焦点を当てる視点を取り戻す必要があるのかもしれない。そして、プロジェクトを実施したら自動的に一定の成果が出る、というような発想から抜け出す必要もありそうだ。社会をよくすることは、時間がかかること、意志を伴う一人一人の献身が合わさって、そして継続して、やっと達成できるものだということ。