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Posted by ブクログ 2018年10月03日
同著者『虚構の時代の果て』とセットで読むのがいいと思う。『虚構の時代の果て』でまず筆者の言わんとする「虚構」の概念、枠組みを捉えた上で、「虚構」がどのようにして「不可能」へとすり替わる・移行するのか、その過程に目を向けた本『不可能性の時代』であるという印象。
実例として取り上げられているのが子供時...続きを読む代のわたしにも強く印象に残った(かつ多くの人も覚えているであろう)かつての少年犯罪の数々なので、理解しやすい。時代の変遷に伴い、少年犯罪の加害者の心理、動機が全く反転しているという指摘が面白かった。
「オタク」をめぐる様々な概念についても、オタクの社会の捉え方、他者との関わり方等々、言われてみれば思い当たるようなふしも多いし、自分が感じていたことや違和感を平易に言語化してもらえたようで、頭がすっきりした。
この本が出版されたのはちょうど10年前の2008年。今でも「不可能性の時代」が続いているのか、また別のフェーズに来ているのか、「今」がどんな時代である(あった)かというのはやっぱり10年くらいは待たないと解説できないものなのかな。「振り返る」形でしか社会学は機能しないものなのかと思えば限界を見るようでさみしいし、でもそれもそうだよなとも思う。難しい。
Posted by ブクログ 2011年10月10日
まさっちー先生一冊目。
友人に勧められて。
戦後は理想の時代。敗戦後、アメリカを理想とする時代。
そして、虚構の時代。高度経済成長後、現実と虚構の境目が曖昧になった時代。
これらをなぞって分析して、では現在は何の時代なのか、というのが本書のテーマ。
筆者曰く、不可能性の時代なのだと。
「不可能...続きを読むなもの」から逃れるための、二つの対象的な動きがある。
一つは虚構への逃避。これは虚構の時代の動きを引き継いだものだ。
もう一つは、現実への逃避。暴力と言う現実へ。
繰り返されるハルマゲドンの予言。同時多発テロ。イラクでのアメリカ兵のビデオ。
では、その「不可能なもの」とは何なのか?
それは他者である、と著者は語る。
他者性のない他者。
つまり、家族以上に直接的で親密な間柄であるような他者。
その他者を求める傾向は、「幼馴染」「前世」といったものに見られる。
この分析が正しいかどうかはともかく、なるほど、と思わせる語り口。
オタク系に知識があれば、物語として面白く消化できる。
「Always三丁目の夕日」のくだりは明快で良かった。
ロールモデルのない不幸、というのは言われているけれど、
それをはっきり実証していてすんなり入ってくる。
あとは、詐欺師本人が自分の詐欺に囚われる、というのもなるほど。
ただ、分析対象がいわゆるオタク系文化に偏り過ぎな印象。
せっかくこれだけの物語を描くのだから、政治や経済にもっと寄ればおじさん受けするのにな、と個人的には思いました。
あと、ムーゼルマンと「六次の隔たり」は無理やり感が強い。
最後に救いを…という気持ちはわかるが、ものすごく消化不良で困る。
後に解消されていくものなのか、他の作品で見てみたい。
Posted by ブクログ 2011年04月24日
[ 内容 ]
「現実から逃避」するのではなく、むしろ「現実へと逃避」する者たち-。
彼らはいったい何を求めているのか。
戦後の「理想の時代」から、七〇年代以降の「虚構の時代」を経て、九五年を境に迎えた特異な時代を、戦後精神史の中に位置づけ、現代社会における普遍的な連帯の可能性を理論的に探る。
大澤社...続きを読む会学・最新の地平。
[ 目次 ]
序 「現実」への逃避
1 理想の時代
2 虚構の時代
3 オタクという謎
4 リスク社会再論
5 不可能性の時代
6 政治的思想空間の現在
結 拡がり行く民主主義
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ 2014年01月08日
アメリカに管理され、高度経済成長を理想の時代から
凶悪な犯罪事件などに代表される虚構の時代を経て、
不可能性の時代に突入した今。
不可能性の時代とは、「現実への回帰」と「虚構への耽溺」という、
2つのベクトルを持つ時代という。
政治の世界でいえば、
「現実への回帰」は原理主義
「虚構への耽溺」は多...続きを読む文化主義
に対応する。
また、この時代は神のような
『第三者の審級』(全能者みたいなもの?)がいない。
そのため自己責任で意思決定をしていかなくてはいけない。
最後に市民参加型の民主主義は
小さい社会集団の中でしか機能しないことに対して、
『6次の隔たり』、『ランダムな線』で解決の糸口を見つけようとしている。
その根拠に著者の知り合いである中村氏、河野氏を紹介している。
正直、時代を語るのに、エポックメイキングだからって
オタクとか宗教団体を引き合いに出されても、世界が狭すぎて
その時代、社会を本当に言い表していると思えなかった。
最後の結びも性急で市民型民主主義に不可能性の時代の突破口を
見出そうというのは理解できるが、それが現実に根付いていないのに
著者の知人を二人紹介されただけでは、納得できない。
Posted by ブクログ 2013年12月23日
オビの文句「なぜこんなにも息苦しいのか?」と「不可能性の時代」というタイトル。これらにある種の救いを得ようと本書を手に取る人も多いのではないかと思う。しかし個人的には、「理想の時代」、「虚構の時代」そして「不可能性の時代」という戦後を3期に区分する発想と、その画期としての1970、1995という年を...続きを読む想定することに、「なんとなく」「あいまいに」うなずかされる以上に、得られるものはなかった。そもそも時代を象徴する事件の特殊性にその時代の空気を見出そうとする発想は、それ自体あまりにも陳腐であり、気鋭の社会学者たるもの、その手法の有効性を疑うところから出発べきではないのだろうか、という疑問もつきまとう。何故「オウム真理教」ごときに時代を区切られなければならないのか?という問いに対して、まず「オウム」が鏡のように照らし出す「オウム」以外の日本を掬いとる態度を確立すべきなのであって、いまさらにオウムの省庁構成やホーリーネームの意味を云々する発想にはそれこそ可能性を見出すことは出来ないと感じた。良く出来たお勉強の成果、とは認めるが、それ以上でも以下でもない。