【感想・ネタバレ】沖縄の島守 内務官僚かく戦えりのレビュー

あらすじ

島田叡。沖縄県知事。米軍の沖縄攻撃二カ月前に赴任。荒井退造。沖縄県警察部長として島田を迎える。二人は過酷な戦時体制下で、県民保護の困難な仕事に命がけで取り組んだ。共に沖縄戦が事実上終息した一九四五年六月、摩文仁の丘で消息を絶つ。沖縄戦後半世紀を越えて発掘された新事実を基に、二人の男の希有な生き方を丹念にたどった長編ノンフィクション。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

沖縄戦前夜、だれもがしり込みする沖縄県の官選知事、沖縄県警察部長に赴任した二人の官僚、島田叡氏と荒木退造氏。本書は、住民の疎開と食糧の確保に全力を尽くしながら殉職し、住民から島守として戦後長く慕われた彼らの軌跡をたどっている。

実際の戦闘が始まるまで住民は疎開を嫌がった。疎開児童千数百名を乗せた対馬丸の沈没がそれに拍車をかけた。歴史を振り返るといつも思うのは予防の重要性だが、二人の努力でかなりの人々が北部に移動を終えていたことが住民の被害を多少なりとも抑えたことを著者は強調している。

一方で、戦闘が始まってからの「六十万県民只暗黒ナル壕内ニ生ク」という過酷さは読んでいて辛すぎる。知事が守備隊の首里撤退に強硬に反対したのは「首里を放棄して、南端の水際まで下がるとなれば、それだけ戦線を拡大することになり、いきおい県民の犠牲をおおきくすることになる」(P354)からだった。徹底抗戦を選んだ守備隊が崩壊する中で、住民の被害は加速度的に広がってしまった。

沖縄の実情を本土に伝えるべく編成された警察官の決死隊は全滅。「沖縄県民斯く戦えり 県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」という海軍の太田司令官が打った有名な電報は、著者の推察によれば島田知事の報告を少しでも伝えようとするものだったという。

「一般行政が行われていた一つの県で住民の4分の1がなくなった」地上戦での住民の苦しみ、そして同時に、中央官庁から送り込まれた官僚や警察官の一部が沖縄のためにどれだけ献身的に働いたかをフェアに書き残したいという著者の執念が感じられる本であった。

0
2019年01月01日

Posted by ブクログ

終戦記念日テレビ特番で島田知事を知った。男の中の男。極限状態で自己犠牲を払い、県民のために行動する姿に泣きました。自分は、極限状態で島田知事の様な行動が取れるのか、考えさせられた。島田知事が座右に置いていた本が、南洲翁遺訓と葉隠だったのも、感慨深い。

0
2017年04月23日

Posted by ブクログ

『先生、偉い人とはどんな人ですか』。西郷はしばらく沈黙の後、答えました。『偉い人とは大臣とか、大将とかの地位ではない。財産の有無でもない。世間的な立身出世でもない。一言で言えば、後ろから拝まれる人、死後慕われる人だ』と」

田村洋三さんの「沖縄の島守―内務官僚かく戦えり」という本からです。

本書は1945年の太平洋戦争末期、沖縄戦前夜ともいうタイミングで、沖縄県民の疎開、食料調達、戦場での避難輸送に尽力した末、殉職した2人の官僚、島田沖縄県知事、荒井警察部長について書かれた本です。

開戦当初は戦果を挙げていた日本でしたが、やがて太平洋での制海、制空を失い、アメリカ軍の沖縄上陸をいかに戦うかが重要課題となっていました。

沖縄から逃げる官僚が多発していた中、沖縄県民を救うべく最後の最後まで任務にあたった知事と島田さんで、警察のトップが荒井さんです。

新井さんは1943年、島田さんは1945年に知事として沖縄に赴任します。

島田さんが沖縄に着任後は荒井さんとともに、食料の調達や県外への疎開などに尽力し、また沖縄戦開始後は軍側と折衝し県民の命のために自らを犠牲にしながら奮闘します。

冒頭の言葉は島田さんが、かつて佐賀県に赴任していた際に参加したある勉強会で講師が紹介していた西郷隆盛の言葉で、その言葉を聞いた島田さんが、地位いにうぬぼれ、ちやほやされていた自分を反省し、生涯「後ろから拝まれる人」になりたいと、謙虚な人生を歩む努力をしたとのことです。

リーダーとはこうあるべきと、とても感銘を受けた一冊です。

ぜひ読んでみてください。

いたたまれない。もし島田さんの立場だったら、リーダーとしてあのように振る舞えただろうかと自問自答。

0
2017年07月03日

「ノンフィクション」ランキング