あらすじ
戦国時代を代表する知将・真田昌幸の嫡男真田信之は、父や弟・信繁と別れて徳川側につき、真田家を守り抜いた男として知られる。「実直なお兄ちゃん」というイメージが強いが、若い頃は戦(いくさ)において、昌幸の制止を無視して無茶をしたこともあったようだ。その後紆余曲折あり、父子の別れの場面である「犬伏の別れ」では見事な決断力を発揮する。この決断力は晩年の「真田騒動」でも発揮された。関ケ原の合戦後、信之は相次ぐ浅間山噴火や戦災で荒廃した領国の復興に取り組む一方、上田の城下町や沼田の城下町の整備をすすめた。その後徳川家にとって重要な藩であった松代藩に転封。やがて「天下の飾り」と呼ばれ、徳川将軍三代家光や、四代家綱が隠居を許さない存在となった。義を重んじた男の九十三年にわたる生きざまを、真田家研究の第一人者(大河ドラマの時代考証担当者)が綴る決定版。
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Posted by ブクログ
真田信之を通じて、教科書では洗う事のない江戸初期の政治事情・風土が分かる
まだ、戦国を引きずる武将が多くいるじだいは、行政を行う立場は大変な事と想像できる
大河ドラマ大泉洋を重ねてはイケないが、生真面目に法理主義を貫く一方で戦国大名の気性が垣間見れるのは、平山先生の筆力のおかげかも知れない
徳川方についたタイミングとかが通説とちがうとなると、行動の理由がガラリと変わる
江戸初期の豊臣家と徳川家の態度は今まで習った歴史と違う、考えればそうかなと思う事もあるが、家康の晩年も豊臣政権だったと言えなくもない
浅間山噴火や飢饉によりヒドイ状態からの経営だった
松代藩を見すぎて藩をつぶした、騒動もおきたラストだけは人知の及ぶところではないのかもしれないが切ない
Posted by ブクログ
真田丸において、『苦労』のみがコミカルに強調されすぎた感のある真田信之、彼の苦労は…真田丸に描かれた様な『軽い』ものでは無かった!!
『犬伏の別れ』で父、弟と袂を分かって徳川方について以降、苦難に次ぐ苦難。難局に次ぐ難局。
・九度山に流された父・弟への仕送り
・浅間山の度重なる噴火
・内政を重視しようにも、災害が続いて農民が逃げ出す。<身銭を切って連れ戻したり!
・そんなこんなだから藩の財政は大変です!
・松代へ転封されたら、一部家臣が集団で離反したり
・御家騒動(それも、息子が先に亡くなっての御家騒動×2
・領内でのキリシタン問題まで!
etc.etc.
よくぞこれだけの難局を乗り切って真田家が続いたものだなあと、もはや呆れるしか無い。
Posted by ブクログ
戦国時代を代表する知将・真田昌幸の嫡男真田信之は、父や弟の信繁と別れて徳川側につき、真田家を守り抜いた男として知られる。父子の別れの場面である「犬伏の別れ」での筋を通した決断力は、晩年の「真田騒動」を解決する際にも発揮された。関ヶ原の合戦後、信之は相次ぐ浅間山噴火や戦災で荒廃した領国の復興に取り組む。その後、徳川家にとって重要な藩であった松代藩に転封。やがて「天下の飾り」と呼ばれ、徳川将軍が隠居を許さない存在となった。義を重んじた男の九十三年の生きざまを、真田家研究の第一人者が綴る決定版。(2016年刊)
・はしがき
・第一章 信之の生い立ちと家族の群像
・第二章 武田氏滅亡の衝撃と天正壬午の乱
・第三章 真田昌幸と信之の飛翔
・第四章 信之の決断
・第五章 苦難の連続だった信之の内政
・第六章 大坂の陣と信之
・第七章 上田から松代へ
・第八章 「土呑み裁判」からキリシタン対策まで
・第九章 相次ぐ不幸
・第十章 信之、最後の戦い
・あとがき
待望の「真田信幸」の伝記である。一応、その誕生から死去までを扱っているが、上田時代が大半を占める。平山先生の著書にハズレはないが、いくつか特筆する点をあげると、真田氏時代の上田城をめぐる考察が、大変興味深い。
荒廃した上田領を復興させようとする取り組みが、第五章で論じられているが、連年のように噴火する浅間山は、農地の荒廃に直結し、凶作や飢饉に繋がったという。本書に収録されている災害年表を見ると、まるで賽の河原で石を積むような感がする。慶長末年以降、病気がちであったとするが、為政者としての重圧によるストレスが影響しているのではないだろうか。
また、松代転封についても、徳川氏の嫌がらせではなく、秀忠から信頼され、北国のかなめの城を任されたとしている。池波正太郎の真田太平記のようなお話は小説としては面白いものの、徳川の与力大名であったことや徳川氏の養女として小松殿が嫁いでいること、関ヶ原の動向をみても、(別家ともみえる)信之が嫌がらせを受ける筋合いは無いと思っていたので、腑に落ちる思いがした。(高野山にいた、信繁の大坂入城だって、信之の責任は問えまい)
松代への転封は、家臣団との関係を再構築することになる。城下町の拝領屋敷への居住や地方知行制ではあるものの各地に細分化されて与えられたため、家臣達は知行地との結びつきを失うこととなったという。転封により、主君の力が強化されたことが、のちの御家騒動を乗り越える要因となったのではないだろうか。
莫大な蓄財をどの様に行ったのか、疑問であったが、転封により、御料所が、上田時代の20%から60%にまで増加したことが、27万両の蓄財の足がかりとなったという。
松代藩と沼田藩の関係について、信之は、沼田藩を信綱系の血筋で、継がせようとしたというのも面白い。沼田領において、キリスト教の布教が盛んであった事や、その対策に悩まされたことなど興味は尽きない。
大河ドラマの影響もあり、真田氏研究は一気に進んだ感があるが、本書は随所で著者が、「記して後考を待ちたいと」書いてあるように、より一層研究の進展が望まれる。本書は、今後、真田氏を研究するうえで欠くことの出来ない必読の一冊であり、お勧めである。
Posted by ブクログ
その生い立ちから最期まで93年の長い生涯を辿る一冊。真田期上田城についての検討や、内政の具体的な様相など、ただ事績を追うだけでは見えてこない統治の有り方がうかがえて面白い。真田領におけるキリシタンの事例は興味深いものがあった。