あらすじ
無宗教といわれることの多い日本人。だが、葬儀を行ない、時をさだめて墓参し、礼をつくして先祖を祀るのは、私たちの多くが霊魂の存在を漠然とでも感じているからだろう。葬儀のかたちは古代中国の先祖祭祀に由来する。紀元前二世紀、葬式の原型が儒教によってつくられた。以来二千数百年、儒教・道教・仏教が複雑に絡まりあい、各宗教が「先祖を祀る」という感情に回収されていく。本書では、葬儀と位牌の歴史をたどることによって、民族の死生観を考えてゆく。
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Posted by ブクログ
良書。
現代の日本の葬儀や、神社お寺を含む宗教観が、儒教道教仏教の影響が絡み合って日本化されているということを丁寧に書いている。
位牌というのは死者の魂の依代(よりしろ)である。依代は位牌だけでなく、さまざまなものに用いられた。現代でいうところのお墓もそうだし、折口信夫の論文を引き合いに出して語られた、かつて葬列で使われたさまざまな葬具も、依代である説明されている。
依代としての葬具や祭具や仏具が用いられるということは、死者の魂、という存在が大前提であって、昔の人はそれを大真面目で信じていたのだ。いや、信じる以前に当たり前のように畏怖していた。現代人の宗教離れは、単に霊魂の存在を信じれなくなった、というところに根本原因がある。科学万能主義、唯物主義の時代である。
だけれども、私たちは、周りの人の死に接した時に、自分自身が死にかけた時に、未曽有の大災害に見舞われたときに、非情にして理不尽な仕打ちを受けた時に、自分たち人間よりもはるか大きな存在を仮定せざるを得ない。そうしなければ心が折れてやっていけない、そんな時に、霊魂というものがいるのかもしれないと、感じさせられるのである。
さて、この本、とても良書なのだが、随所に書かれるセンチメンタリズムと、中途半端な脱線が少々鼻に突いた。
それでも、霊魂の依代の位牌の生成過程や意義を中心に据えて、儒教、道教、仏教と言う3つの角度からのアプローチ、そして現代的な問題へと、とても有意な構成ですばらしいと思いました。