あらすじ
詩が書けなくなった大詩人と訳あり女性編集者。突然、口をきかなくなった娘とその真相を探る母親。詩人との交流を通して、大切な人の心に届く言葉を探す女性達の奮闘を描く各紙絶賛の感動作。
世界は言葉の拘束衣を着ている、詩はその綻びか。
活字ではなく浮世に生きる詩と詩人を描いて新鮮。――谷川俊太郎
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数年前に知人に紹介された気になっていた本。文庫化されていないので、単行本で。
話は詩人・藤堂孝雄を編集者の立場として向きあう女性・今泉桜子から見たものと、藤堂の詩の教室に通う50代の主婦・清水まひろの2つの視点から語られていく。
編集者の今泉に見せる藤堂は、昔は名の知れた詩人だったが、もう13年も詩を書いていない、いや、もう書けないのか?というダメなおじさん。そこでは競馬をしたり、キャバクラに行ったり、いったいこの人は何を考えてるんだろう? そして、しばらく年齢不詳な今泉桜子も、何やら抱えている様子。そんな二人がいつか心を通わせる(男女の恋愛という意味ではなく)ときが来るのかなぁ~と予想しながら読んでいた。
一方で、藤堂の詩の教室に通う50代の清水まひろ。青春時代をバブル期に過ごし、ブランドものを身につけ、専業主婦として暮らしている。一見、のほほん主婦かと思いきや、まひろの高校生の娘が、学校で起こったある出来事をきっかけに家の中でしゃべらなくなった。そんな娘の部屋にあったのが、藤堂孝雄の詩集だった。藤堂の
詩を学べば、娘の抱えている気持ちが分かるのではないか? 娘に寄り添おうとする母親の姿、これが全然うっとうしくないというか、熱いというか、娘の汚名を晴らすために思い切った行動に出たり、抱きしめたいのに娘を見守ったり、最後はちゃんと娘の力で立ち上がれるように、そこに藤堂から教わった「言葉」のチカラを使うのだ。
言葉の哲学ともいうのだろうか、あまりに当たり前に使いすぎて、その言葉の核心?まで考えたことがなかったけど、「藤堂の詩の教室」で語らえた「言葉」。時代とともに言葉の重みは変わるし、日本人の調和を重視するが故のワンパターンに発するために生まれた言葉など、面白いな~と感じる視点がたくさんあった。
1度読んだだけでは、すべてを咀嚼できていないので、もう一度夜みたい。いや、時々読み返したい。(ストーリーというより、言葉の解釈?や考え方について)
この本、原田マハさんの「本日は、お日柄もよく」を読んだ人にもおすすめかも。全然違うけど、「言葉」を取り扱うという視点で考えるのが好きな人にはお勧めかな。話全体としては難しい話ではないので、読みやすいと思う。
それにしても、ガツーンときたのは、藤堂の『朝の祈り』という詩に出てくるこのフレーズ。
「謝罪は権力を生む
だからあやまってほしくないんだ」
謝ってしまったらすべてが終わり、解決した、という訳ではない。
謝られた方は、もやもやを抱えたまま、それ以上何も口にできなくなる。
とりあえず謝ってしまおうと考えがちな私は、思いっきりバッコーンとぶっ飛ばされた気分だった。
谷川直子さん。出版している本は少ないけど、高橋直子名義でエッセイも発行しているとのこと。他の本を読んでみたい。
そして、2023年最初の本。今年も「言葉」を大切にしよう。そうだ、今年は「詩」を読んでみよう。短い言葉にこそ、本当に大切なことだけが詰まってると思うから。
追記:もしかしたら、作家が描きたかったのは、母として生きるまひろの話をメインに書きたかったのかな。それを引きだたせるため、いや、もちろん「死」も扱いたかったのかもしれないけど(藤堂と今泉の話)、母親の偉大さというか、覚悟というのか、ただのおばさんじゃないで!という、肝っ玉の据わった「母親」の姿を描きたかったのかも、と思ってしまった。
Posted by ブクログ
簡単に消費されていく時代
音楽も絵画も写真も文学も
そんな小手先で操る日常のなかで
消費されているのは自分たちじゃないかって
このお話を通してそんなことに気付かされた
この大消費時代、忙しすぎて
自分の核の部分を見つめて言葉として掘り出すのは大変だけど、怠ってはいけないなと思った
もっと本当は大切に生きるべきかもしれない
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しみじみ素敵な本だった。
ストーリーとか展開とかなんかそんなのはもうどうでもよくって。
よくはないんだけど。
お話があってこその言葉なんだけど。
言葉がぎゅーっと胸にしみる。
ー愛していると口にしようとしたら、その言葉がからっぽなのを発見した。
クルミの「つらかった」の一言が
ほんとうに胸にすーっと沁みてきて
救われるってこういうことなのかなって。
「霧が晴れたら」
そぼ降る雨の中を きみは濡れてやってきた
ふくらんだポケットからそっと取り出したのは
生まれたての言葉
歩けるようになるまでわたしが育てるわ
湿った髪を右手でかき上げ きみはきまじめに言った
息をしているのかいと僕が聞くと
大丈夫 呼吸という言葉を与えたからと答える
栄養も知能も発達もちゃんと食べさせた
みんな漢字二文字なんだと僕はつぶやいて
悪夢も腐敗も絶望も二文字だと思い出す
不吉な予感を押し殺し きみの手の中をのぞいたら
生まれたての言葉は かすかに震えながら僕を見上げた
なんて呼べばいいのかな
まぬけな質問をする僕に きみはゆっくり瞬きし
それはあなた次第じゃないと苦笑する
いつのまにか雨はやんで 細かい霧が立ちこめている
この子のいつか 意味に出会って恋をするのね
君の声が途中からすべるようになめらかで
僕はその先にあるものを 盗むようにそっと見つめる
おとなになった言葉太刀が ひっそりと寄り添えば
やがて声になり そして詩になる
そのときまで僕らは待てるだろうか
それが二人で生きているということなのか
そう自分に問いかけながら 僕は静かにきみの手に触れる
霧が晴れたら きみを送っていこう
生まれたての言葉をこわがらせないよう
おだやかな道を遠回りして
「失うという事は なくなるという事実ではない
そこにはもはやそれがないと知る その体験なのだ
失われていくものが命をかけて
きみに教える
これで終わりではないと」
河出書房新社
Posted by ブクログ
詩が書けない藤堂とその周囲の人をめぐるお話。
詩とは「心の内側に降りていく階段」であって,
世間にあふれている言葉ではダメなんだ。
そのことが強く伝わってきました。
普段,気にせず使っている言葉。
だけども,本当は,言葉は大切に扱わなくちゃならないんだ。
そう感じました。
言葉を使うっていうことは難しいですね。
Posted by ブクログ
文句なしの「良い」一冊。
日々、生活の中で
言葉を選んでいるのは、それらを紡ぐ一人一人。
その各々、本に登場するみんなが
品を持っている。
だから文章に無駄がない。
詩人と、編集者の関係は
どこか滑稽。
でもその距離に、二人の
控えめな主張と深い悲しみが
現れているようです。
教室の生徒さんと、
そのご家族たちも、
誰一人、不要なキャラクターがいない。
とても満足度の高い一冊でした。
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もう10年以上、詩を書けずにいる大詩人。彼に詩を書いてほしいと願う編集者。娘が事件に巻きこまれて以来、言葉を発しなくなってしまったことを気にやむ母親。
みんなが誰かに伝えるための言葉を渇望している。意味のある言葉を使って意味のある会話をしたい。けれど、「ほんとうの言葉」って何だろう。借り物ではない自分の言葉で、気持ちを伝えたい。それにはどうしたらいいのか。
答えは、詩の中にあった。大詩人が最後に見つけた、「詩とは、自分の心の内側に下りていくための階段」という言葉が、深く深く僕の心に響いた。
Posted by ブクログ
詩を書けなくなった詩人、寄り添う担当編集者、傷つく娘に本当の言葉を掛けられなくなった母。
それぞれの苦悩を、妥協せず、言葉に真の意味を持たせることで開放する。
言葉、そしてそれを綴る詩、その意味を味わった気がする。
Posted by ブクログ
言葉の意味がからっぽになっている、消費され尽くしている、など言葉に関する言及、わかる気がした。
言葉の扱い方が、とてもいいなと思った作品。
Posted by ブクログ
前作も良かったけど、これも良かった。
詩人が出てくる小説だと、どんな詩を書いているのか気になるが、世に知られた詩人という設定なら、読者を納得させる詩でないといけないわけで、そういう詩を書く自信のない作家は書かずに誤魔化す。『ぱりぱり』がそうだった。
谷川直子は、書いた。そしてそれはいい詩だった。それだけで小説が少々つまらなくても許せるが、小説も良かった。
『うたうとはちいさな命ひろいあげ』も作家自身が短歌を詠み、それもなかなか良かったが、小説の出来はさほどでもなかった。こちらは大人の恋愛未満の関係だけでなく、子どもの学校でのトラブルも描かれているが、そこだけでもそこらのYAよりずっと人間が描けている。
谷川直子、好きだな。次回作も期待する。
Posted by ブクログ
派手ではないけど、しっかり印象にのこって好きな雰囲気だった。物語の軸のひとつである詩人と編集者の関係がなんかすごく、いい。恋愛の浮ついたりどろっとしたものを持ってなくて、最後にちょっと気持ちが近づくのがよかったな。
こちらも軸のひとつである詩についても。詩ではない歌詞をのせて歌う歌手、若い世代のカリスマってみんなそんな感じ。無責任な応援歌か、感想文みたいな恋の歌。単純でない言葉や表現は今の子たちには理解されないのかも。
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今の私たちは、自分の話した言葉がどう切り取られ、誰にどう批判されるかわからない世の中に生きている。目の前にいる人に発した言葉であっても、様々なツールによってそれは拡散される。人はそれを確かめもしないで、ささやき合い、悪意のない態度で、距離感で、人を追いつめることができる。本当のことなんて言えない。当たり障りのない言葉で相手を認め、口をつぐむ。または、匿名で相手を罵倒する。罵倒する言葉も決まりきっている。自分の生み出した言葉なんかでなく、お決まりの言葉を使って…。今の時代の小説だなあと思った。
Posted by ブクログ
エッセイのように軽く読めて
詩のように心に届く
妙に清々しい小説だ
テーマの一つに《謝罪は権力を生む》というフレーズがある
その中で
死に別れという痛みに負けた老いぼれ元大詩人と
なんとか再起させようとムキになる傷ついた編集者の出合い
底無しの距離をとりながらの絡み合いで
傷を舐め合うことから脱皮していくという物語と
娘がイジメられて自殺未遂したと訴えられた無実の親子と
同じ元大詩人が絡んでそれぞれが再起していくという
物語が交差するストーリー
妙にシツコカッたり頑張ったりと無理な箇所も感じるけれども
こんなことも多様な自然界になくはないのだろう
Posted by ブクログ
いつからか詩を書けない詩人、子供の死に心深く罪の意識を宿す編集者、友人の自殺未遂に自ら外の世界とつながる言葉をなくしてしまった少女、少女に語りかける真の意味をもつ言葉を探し続ける母親、4人をめぐる言葉と詩の物語。
作者の谷川さんご自身が詩を書かれるので、言葉に対する執着、愛着は強い。
「意味を失ってしまった言葉に、もう一度意味を持たせるにはどうしたらいいのか」
「詩は心の内側に降りていくための階段」
物語の中に出てくる純粋な言葉と詩へのこだわりの対極に、物欲にまみれた現実の描写は詩の純粋さを際立たせる。ラストで用意された、詩人と編集者、少女と母親の行き着いた結論はもう少し深く味わいたかった。
Posted by ブクログ
四月は少しつめたくて、その言葉から物語は始まる。
再び春がくるまでに、そのつめたさに少しずつ触れ、言葉とその意味とそれらが表すものの正しさを、詩人と編集者とともに考えさせられる。
詩人が詩を書けない理由と、女性誌の敏腕編集者が詩の編集者に転向した理由はどこかつながっている。
「失なわれたもの」を捉えようとひたむきに正面から向き合うこと、またそれに背を向け考えることを止めてしまうこと。
哀しみや愁いを言葉にすることの意味がどこにあるのか。
美しい言葉は情報のように空虚に感じられ、感動は押し付けがましいものになり、ただ与えられた言葉を重ねるだけでは「詩人のふり」になってしまう。
「詩ってなんですか?」という問いに対する詩人の答えは、本書のラストで明かされる。
Posted by ブクログ
クルミの気持ちわかるなあ‥一度心を閉ざしてしまうと開き方がわからなくなってしまう。
クルミのお母さんの視点も苦しかった。家事をすることは当たり前とされ感謝されず、娘にも夫にも冷たくされてしまう。詩という趣味があって良かった。
Posted by ブクログ
それぞれ問題を抱える2人の中年女性の視点から、1人の詩作家を軸にして、自らに向き合っていく物語。作品の時間軸としては、2014年ごろの物語であり、その当時の流行や、実際に存在する詩も登場する。物語の中心として詩の存在があるが、登場人物の心情とリンクさせた詩は、物語の流れとともに、より深く味わえるようになる。
Posted by ブクログ
妻に先立たれ「詩」が書けなくなった詩人と、担当編集者の話。「詩」というものが、なかなか難しくて理解困難。「人がじゃんじゃん同じ言葉をあちこちで使うと、その言葉の意味がどんどんすり減っていく。」この感覚はわかる気がする。
Posted by ブクログ
藤堂孝雄という書かなくなった詩人を軸に二つの物語が交互に語られる.でもどちらも言葉の持つ力に向き合っていて,最後には再生の瞬間を見せてくれる.挿入されている詩も良かったです.
Posted by ブクログ
現代にとても即した小説で、誰もが薄々思っていたことが書かれていた。
スマホ、ライン、スタンプなどの登場で言葉はどんどん従来の意味から離れ、空虚なものとなってきている。かわいい、いい感じなど使い勝手の良さから意味が複数加えられ本来の意味を見失った言葉もある。
詩人というのは、言葉に対して真摯で、物事に対しても簡単に考えるということをしない人種だとわたしは思う。そんな言葉と物事を大切に考える詩人と、現代の浪費される言葉を並べて描き、生きた言葉を使うことの大切さを読者に教えてくれる。
作中に出てくる詩がとても素敵でした。「謝罪は権力を与える」その通りだと思います。今まで一度も考えたことがなかったけれど、謝ることも一筋縄ではいかないのだなと。心に何か傷痕を残すような素敵な言葉がたくさん詰まっていて読んでいて心地が良かったです。